鬼原 広実

卒業論文要旨

家族に向けられた視線
近代日本における家族イメージの変容


 「家族が家族としてはっきり描かれるようになるのは明治になってからであろう。もっとも明治期の家族像の輪郭はあまりはっきりしない。(中略)当時の作品例がつかみにくいことにもよるが、多くの絵画作品を生むほどには、家族の意識がまだ明確な形をとってなかったのかもしれない。」(有川幾夫『家族の肖像 日本のファミリーポートレート』より)

 明治期に家族の視覚イメージが変容したという上記のような指摘は、わたしたちに家族について多くの関心を呼び起こす。近代において、いったい日本の家族にどのような変化がもたらされたのか。「家族像の輪郭」という場合、どのような家族形式を意味するのか。そして、共通認識であるかのように思われている「家族」とはどれほど共有されているものなのか、果たして揺るぎのないものなのか。

 日本の社会学研究においても、家族変容の大変革期としてあげられるのは、明治期であるといっていいだろう。近代日本の家族観の変化については、欧米の近代家族研究を代表するフィリップ・アリエスやエドワード・ショーターが説く、近代に特徴的な親子関係における心性の変容との関連から、直接触れられることはあまり多くない。このことは日本の場合、前近代から子供に対して特別な感情が存在したとされていることと無関係ではないだろう。それは子供の順調な成長を祝う産育儀礼が多いことや、明治10年(1877年)に日本へきたE・S・モースがその彼の著作『日本その日その日』のなかで「いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。」と指摘しているとおりである。日本の場合、近代の家族変容は家族制度を中心にして、家族構造の実質的な変化やそれにともなう家族観の変容が語られるというのが現状である。

 しかし、日本の近代においてもまた、はっきりと風俗画のなかに登場する親子の描写に変化があらわれるのである。まず、母と子のあいだに距離が生まれ、その空間を埋めるように部屋のしつらえがこと細かに描かれるようになり、やがては父親が生活の空間のなかに登場するのである。このような図像的変容は実際の家族意識の変化の表出であると考えられる。

 こうした現象は、西洋の風俗画においても、アリエスがすでに指摘していることである。アリエスは『〈子供〉の誕生 アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』のなかで絵画や墓碑銘、日誌、書簡などの日常生活資料を駆使することで、今日、当然のことと思われている家族の情緒的愛情が、近代以降の特徴にほかならないということを実証している。

 本論では、家族があたらしい視覚によってとらえられ、大衆に経験されることで、明治期の家族にどのような影響をもたらしたのかに注目しながら、家族像の変容について考察を進めた。

 第1章では家族を一単位として記録した肖像画についてをとりあげる。日本の前近代においてこのような形式がみられるのは、追善供養のための夫妻像がよく知られている。対幅の夫妻像は南北朝あたりから確認されているが、それぞれの時代や社会における夫婦関係への意識の変化がそのまま形式にあらわれているといえる。一方で「一家の肖像」に関しては確認できる例は少ない。一般的に血族集団が一枚の図像のなかに記録されるようになるには、写真が普及するのを待たねばならない。明治30年頃には写真館で家族の記念撮影が行われるようになる。このような「一家の肖像」の視覚化は、その慣れない形態を表出させることで、あらためて「家族」というものを大衆に認識させたといえよう。しかし、あくまでもこの時期にごく一般的であった、一家が横一列に並んだ表現は、画家自らが選びとったものではなかった。

 こうした横並びする家族写真の形式は、西洋では少し前から絵画形式として誕生しており、18世紀あたりからイギリス、ついでフランスなどで好まれたという「カンヴァセーション・ピース」[conversation piece]がそれである。
 マリオ・プラーツは、『Conversation Pieces』においてこうした絵画の特徴をつぎの2点にまとめている。第一に宮廷社会の時代から生じていた家族の集団肖像ではあるが、むしろ、市民階級におけるあらたなブルジョワジーの勃興を示すものとして位置づけられること、第二に家族の私的な絆を確認するための絵画形式ということである。

 日本の場合、このようなカンヴァセーション・ピースの例を確認することは難しい。しかし、含まれる意味は別として、各々の肖像が、画家の演出により、用意された背景に組み込まれるという構成の点で、ある一部のカンヴァセーション・ピースと類似が認められるものがある。それは天皇一家の肖像《九重廼御団欒図》(明治38(1905)年)である。石版作品ということからも、増殖・流通を目的とした制作といえ、現代に読み解くことのできるものとして、この図像に埋め込まれたメッセージ性はきわめて大きいといえるだろう。この題名にもあるように、新聞や雑誌などにこの頃からしばしば登場するようになった「団欒」ということばは、「家庭」という空間が形成されてゆく様ををみごとに象徴しているのである。

 第2章では明治20年頃、錦絵からその独占地位を奪うこととなった石版画であるが、それぞれに特徴的といえる表現形式に読みとることができるメッセージ性の分析をとおして、「一家団欒図」が制作されるまでの家族像の形成を考察した。

 家族を中心とした私生活への価値意識がこうしてたかまりをみせるなか、家族の情景は展覧会絵画の主題として登場する。美術展覧会の一時代に、大画面化が進むにつれ、家族による群像表現がくり返され、類型化をたどったというこのような事実は、美術展覧会において「風俗画」といわれるものがどのような位置にあるかを考える上でも興味深いものであるといえないだろうか。終章では家族主題に注目しながら、日本の美術展覧会における風俗画の流れをおおまかにたどることで本論に残される課題をまとめることにした。

 美術展覧会において、いち早く家族の情景が登場するのは白馬会の初期であり、このような作品は当時、時代の生活感を描き出す風俗画の新機軸とされた。それ以前は労働のようすをとおして描かれていたはずの農夫や漁夫の一家が、家族のコミュニケーションの場面のとしてはじめて描かれたのである。このあたらしい風俗主題の作品に特徴的であったことは、大画面を群像表現で構成したということである。

 この傾向は出品作の大画面化が進んだ、昭和初期の帝展においてもまた顕著であったといえ、家庭を題材にした都市風俗の主題が常に一定の出展数を占めるようになる。昭和7(1932)年の第13回帝展評からは近年の著しい現象として「生活を適度に享楽する中産階級の日常生活、請はゞ安楽平穏な家庭情景」を好んで主題とする画家が増えてきていることがうかがえる。このような主題の隆盛がピークを迎えることになった昭和初期は、大正から始まった生活の近代化をめざす一連の動きが成果をみせ、それが中産階級の家庭イメージとして定着した時期と一致する。ここに描かれた「家庭」は生身の人間の集合であることをやめて、画家をとりまく見た目に心地よい小さな風景でしかなくなっている。しかし、このような家庭の風景からは、社会に対して個人の生活を重視しようとする限り社会的な家族など存在しないのだというのメッセージを読みとることもまた可能であろう。

「家庭」という家族の象徴空間があらわれてから今日にいたるまで、家族をとおしてわたしたちに伝えられるメッセージは、社会の移り変わりとともに絶え間ないものとなっているのである。


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