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●奈良よしともインタビューをTEXTでDOWNLOADする(LHA形式)●
出来ること自分の場所が欲しくて
逃げるように
自分の部屋にかけこみ
自分だけの絵を描く
でもその絵は
人々に向けられている
(「深い深い水たまりより」抜粋)
いつのまにか忘れてしまった感情のやわらかさをもつ子どもたち。
そんな子どもたちを描きつづける奈良さんが
長時間に渡り、そのアーティストライフを語ってくれた。

表参道の「アートショップ ナディフ」にて
●奈良よしとも インタビュー●
−なぜ、ムサビを辞めたのですか?

奈良 ムサビを辞めたのは、えーと、えーとね、簡単にいうとお金がなかったからで、何でお金がなかったかていうと、結構バイトしてやってて、で一年生の時に二年生の、来年のお金貯めるじゃん、バイトいろいろして。でそんなときちょっとたまってきた時点で、なんかしんないけどその一年間で学校で何を覚えたかな、とか、何を得たかなと思ったら、結構学校の中で得たものがすごく無くて、まじめにやってなかったかもしんないけど、なんかそれに、そのたまったお金、っていっても四十万くらいなんだけど、それ使うのがなんかもったいないかなと思って、で、一年生の終わりくらいにすぐパスポート取りに行って、一番安い飛行機のチケット、ヨーロッパの往復かって、一年間有効の往復チケット買って、で行ったの。で、三ヶ月くらいずっと放浪して、帰ってきて。したらお金無いじゃん、なんか。で、無くて、でも 親に言えなくて。で、受けた愛知芸、愛芸と東京芸大受けて。それと大分県立芸術短期大学ってのも受けようと思ったんだけどさ。安いとこピックアップして。で、愛知が通ったから移った。だからお金がなかかったからです。で、愛知いったら、お金がいっぱい(学費が)安いじゃん、公立だから。でバイトしてお金が貯まって。で、愛知の二年生の時またヨーロッパ行って。三ヶ月くらい。で、かえってきてから、安いから別に困らないで、ま、大学院まで普通にに出て、出たけど。うん。それだけの理由。お金が無かったから。

いってること自分が実践しないと

−その後そのまま出てドイツに?
奈良 うん、大学院の二年が終わって。四年生の時からさ、ずっとバイトしてたの、あの予備校(愛知の河合塾)で。先生の。でオレは高校一、二年生を教えてて。だから受験と関係ないこと教えたの。なんていうかほんとの、こう、世界でどんなことが起こっているだとか。受験とかに全く関係の無い事ばっかりみせてたの。あの、映画見せて、その映画からインスパイアされて何か作ろうとか。その時その時の。例えばネバーエンディングストーリーとかさ。で、そういうことばっかりやってて。で、やってると、そいつらが三年生になって受験勉強になるじゃん、今度。すると、ね、なんかこう、もう、美術がどうあるべきかみんな知っているのに、なんとなく肌でわかっているのに。すごい、こう強制的に変なことやらされて、歪んじゃうじゃん。ねえ。でも………大学要求しているのはそういうことじゃん、あの受験の時。で、なんかオレん中でもさ自分が言ってることが現実の中ではぜん全然通用しない、大学はいる時。なんかすごいなんかこう自分の中でジレンマみたいになってきて。なんかこう理想的なことばかりいってっけど、結局そういう予備校にかわれてる、ていえば変だけどさ。いい給料もらって、楽じゃん、予備校って、普通のバイトより。で、すごいうしろめたくなってきて。やっぱりいってること自分が実践しないといけないかな、とかおもって、で学校に行こうと思ったの、オレが。その学校は日本の学校じゃなくてヨーロッパの学校。で、それがキッカケ。で行って、行くときはだからリサーチして、お金かかかんないとこ。でドイツとかお金かかんない。ドイツとフランスはお金かかんないだよ。
−ドイツは学費がタダですからね。
奈良 うん、タダ。で行って、受けて、受かって、ずっと…。
−言葉は?
奈良 言葉は…勉強しない。行って覚えた。
−すごーい
奈良 …うん。あの試験の時に、試験はね作品提出なんだよ、で、えーとね忘れちゃったけど二十五まいくらい、ある大きさが決められてて、それより小さいものを出せばよくて。うん、で、あと、外国人は言葉ができるよっていう証明があればいい。で、それは向こう行って、なんか、学校、学校ちょっとだけ申し込んで、語学学校。で、すごいこの人は今勉強してて、すごい言葉が上達してって、日常生活がいま、困らなくなってて、さらに勉強するつもりだから言葉の心配ありません、みたいな。それをもらって。そう、で、一番ビックリしたのは、そう、そうやって入ったじゃん。入って最初の授業っていうか、最初はみんな知らない顔ばっかり集まるじゃん、パァーッと。でこんな人がいるんだ、こんな人がいるんだって、思って。で、先生があれを持ってきたの、みんなの提出したやつ。自分の取って、って言って、取って。で、じゃあみんな適当に広げて、って言って広げて。で、みんなそれぞれそいつの見たりたりとか、あいつの見たりとか、あいつの見たりとかして。それすごいおもしろかった。全員違うの、だから。なんかちっちゃいのだけを出した人もいるし、こんな(ジェスチャー付き)大きさのを出した人もいるし。あと描いているもののみんな違うの、なんか病院いって、入院してる人たちをこうスケッチして、それを出した人とか。すごいバラバラなのみんな。で、たいていみんなヘタクソなの。でヘタクソで、なんだかすごいヘタクソじゃん、とか思ったんだけど、最初。やっぱ予備校とかないからさ、下手で当たり前で、で学校っいうのは自力でやんないとダメじゃん。なんか。うん。…それすごいビックリした。(ドイツに)入る時点からみんなそれぞれ個性的で。一人でいて絵を描いているのが一番好きみたい。

−何年なんですか、入ってから出るまで。
奈良 入ってからね、んーとね、四年いると、卒業したいって申請できて、あの、その申請したら、先生がOKかどうか言ってくれる。その受け持ちの先生が。うん。だから出たかったら四年…で申請して出ればいいし…。
−残りたければ…ずっと…。
奈良 残りたければね。…んーと何年までいいっていったっけな。七年いれたと思う。休めるんだよ。休み学期っていうのが取れるの、うん。半年ずつ二回取れるの、たしか。うん。
−ヨーロッパって、なんか、理由あったんですか。
奈良 ん?ヨーロッパね、ほんとはね、イギリス行きたかったんだけどさ。好きな作家もイギリスが多かったし、なんかイギリスの方が楽しそうだったから。単純にイギリス行ったほうが自分に向いているかなとか思ってたんだけどお金がすごいかかるじゃん。学費も日本の私立より高いし、生活費も高いし、東京住むより高い。するとやっぱ金が無くて住むところで結構いい設備があるところっていうか、いろんなもの見れるとこ、てことでやっぱドイツしかなかったからドイツってことで結果的にそれがすごいよかったんだけど。たぶんイギリス行ってたらね、楽しくてさ、楽しくてなんか…ダメになったと思う。全然こう一人で考える時間がなくて、浅い考えのまんま、こう楽しく過ぎてったような気がする。
−美術手帳のインタビューに書いてありましたよね。日本にくると、楽しいから作品が作れないとか、それと同じなんですか。
奈良 同じ、全く同じ。
−ドイツは楽しくない?
奈良 ドイツは楽しいだけどねM、どこが楽しいかって言うと、自分の部屋ん中が一番楽しくて、そこからどんどん制作できんの。深く考えれるし、なにも邪魔しない。
−外は?
奈良 外はね、公園とか自然とかあって、そういうのが好きな人は散歩して、こう考えたりとかできるんだけど、なんかオレは一人でいて絵描いているのが一番好きみたいで…うん。一人になれるから。
−この画集(「深い深い水たまり」)にもあったんですけど一人になりたくて、部屋で絵を描いているんだけど、その絵は人に向けられている。
奈良 恥ずかしー。(笑)

作品だけでコミュニケーションできないかな

−そういう事なんですか。
奈良 そういうことかもしんない。うん。やっぱあの、なんやかんや言って人に見て欲しいからやってるじゃんね、んで日本にいると、やっぱすぐコミュニケ−ションとれちゃってなんかあの、あえて作品作んなくても済んじゃったりとか、仲良くなれちゃったりするね。でも、なんかそれってあまりにも自分にとってはかんたんすぎて、それも楽しいんだけど、でも、言葉が通じないこととか、なんかあわなくても、僕の作品だけでコミュニケーションできないかなとか。したらやっぱ、自分が一人でそのそれに向かった時間が長ければ長いほど、それが外に出た時に、それを見る人とすごい会話ができるんじゃないか、と思うんだけど。そう、ドイツにいたら絵を描くってことが一番楽しい。日本にいると、やっぱ人と会うことが楽しくなったりとか、あるいはそれがストレスになったりとか、そうなっちゃうから。
−ドイツでは人にはそう会わないんですか。
奈良 人はね、うん、それなりに。日本にいる時と比べて全然、うん、会わないと思う。
−ヨーロッパの中で旅行とか…?
奈良 旅行はね、おもしろい展覧会とかあると行くけど。ロンドンでセンセーションがあったら行ったりとか。でも、ドイツって、やっぱすごい個人主義が徹底してるじゃん。で、 断ることが簡単に出来る。断っても全然悪くない。日本だと、あ、悪いな、とか思っちゃうじゃん。それを思う必要が無いんだな、っていうのがすごい…。
−それじゃあ、はじめ冷たいとか思わなかったですか?
奈良 みんなが?
−うん。
奈良 最初ね、冷たいじゃなくて優しいって思って、それは何で優しいかって言うと、オレ日本から来て、言葉まだ全然出来ないじゃん。で、みんながね、すごい優しかったの。どこに行くのにも連れてってくれるの。来い来いって。で、みんな優しいなとか思いつつ、ほんとに優しい人と、なんていうの、例えば体の不自由な人に席譲ったりとか、そういうのすごい当たり前のことなのね。なんかそういう身体障害者みたいに差別しちゃいけない、っていう人と、こう、二通りいるっていうのがだんだんわかってきて…。うん、そうそう…。
−言葉ができないってことで差別しちゃいけないっていうカタチで…。
奈良 うん、二通りあって。でもほんとに優しい人達は、オレが絵を描くしかできないから、なんか、一生懸命、一生懸命描いてて。で、興味持って寄ってきて。 −じゃ、よく部屋に友達になった人が訪れたりとか、絵を見て…そういうことがよくあった…?
奈良 うん、最初の頃は、辞典ひきながら会話したりとかして。なんか時で書いてもらって、オレが絵で描いて、それをこう一生懸命かけて返事の手紙みたいにかいて渡したりとか。結構ね、いろんなことしてた人が多い。例えば幼稚園の保母さんやってた人とか、どっかの難民キャンプでドイツ語教えてたコとか。それから、んーと、どっかの劇場で舞台の絵を描くバイトをずっとやってた人とか、そういった人がいっぱいいて、オレが入ったその部屋にはにはね。すごい親切なひとばっかりで…。
−寮みたいなところで生活してたんですか。
奈良 いや、最初はね、そのドイツの学校行こうと思った時に、旅行でね、行こうと思った時に、すでに来年の三月から来るからっていうんで捜したの、安い部屋を。それを見つけといて。でも、実際行ったの五月だったの。で、そこに一年いて。で、その間に寮に申し込んで、入ったの。寮っていってもその学校の寮じゃなくて、誰でも学生だったら入れる寮で、美術やってる人、一人か二人しかいなかったけど、あとみんな普通の学校だった、うん。
−その生活費とか、仕送り?
奈良 いや、生活費は全部日本で稼いでいった金。
−たりるんですか。
いや、一年半ぐらいでね、残高が二万くらいになって、やばいと思って。やばいと思った時に日本で個展して、売れて、またちょっと持ち直して。でもバイトいっぱいやった。 なんかあの日本レストランの皿洗いとか。それやったら、ドイツ人の友達とかがすごい古典的なばいとしてるねって。でもなんかこう、すぐこういうことしか思いつかないじゃん。外国でバイトって。日本レストランの皿洗いとか誰もが一度通る道じゃないのかとかさ。寿司屋だったんだけど、食えるんだよ、残ったやつ。いい寿司屋だからさ、接待とかでよく使って、ああいう人達いつも食ってるからさ、残すんだよ。で、いいやつだけ残ってるんだよ必ず。そう、すごい栄養補給になった、あん時。

マンガっていうのが美術史の中でも、もう放っておけない存在

−その日本でやった展覧会っていうのがはじめてだったんですか。
奈良 日本ではね、名古屋では結構やってたんだけど…・
−当たった展覧会はあるんですか?といか成功した…。
奈良 当たった…成功したのはね、何が成功したのか当たったのか分かんないんだけど…やっぱあの…うん、やっぱだんだん口コミで少しずつ名古屋で見た人が東京の人に言って、とか、名古屋まで見に来たりとか、で、東京でやって、口コミで名前だけは知ってるけどまだ見たことのない人がいたりして、とか。だんだん知らないところでこう、広まっていった。
−ギャラリーの人達の間で?
奈良 ギャラリーの人とか、美術館の学芸員とか。うん、そう。で、なんかみんな結構買ってくれるんだよ、学芸員の人でも。美術館で、展覧会にオレの作品入れたいんだけど。でもやっぱみんな自信ない。みんな若いし、なんかそういう下地があって、三,四年くらい前に美術手帳で絵の特集やった時に載ったのね。で、なんかそこら辺からだんだんみんな安心してやってもいいんじゃないかなって事になったんだと思う。それと海外でも発表やってきたから、やっぱ日本てそういうとこあるじゃん。外でうまくいったらいいものかもしれないっていうか、うん、そういうのあると思うけどね。
−三,四年前から美術館とかでやるようになった?
奈良 美術館でやった展覧会は、ていうか企画でやったのは、二年前からじゃない?うん、平塚市でやった東京ポップがあって。その次が宮城県でやったアイニックファンタジーがあって。あ、違う。その前に群馬県の群馬県立美術館でやった。そうそう、それやって、こうきて、こうきて。で、今度はなんだっけ。東京都現代美術館。あそこでマンガの展覧会やるの。なんか、マンガっていうのがやっぱ美術史の中でも、もう放っておけない存在になってきているのね。それは日本の中だけじゃなくて世界的に。なんか日本ていうのはマンガが非常に発達している国である。もうあのサブカルチャーとかじゃなくて、日本独自の文化みたいに思っている人がいる、もう増えちゃってるの(マンガをそう思う人)外で、こうマンガがいっぱい分類されてさ、すごいんだよ、いっぱいいるんだよ。信じられないようなものも。「なぜかしょうすけ」とかさ、「手塚治虫」とか昔のそういううのからはじまって、少女マンガの系譜とか。アートマンガ。ガロ系でアート系となんだっけ。ストーリー系とか。もういっぱいごちゃごちゃあって。SFとか、必殺技シリーズとか、スポ根時代とか、うん。で、最後の方ににそういうのを見て育った世代の美術っていうんで四人ぐらい選ばれてんの、作家が。で、オレも入ってて。
−それはいつ?
奈良 これはね、一二月だと思う、今年の。うん。だからほんと最近だと思う。

本当に戻れるものがあるハズ、なきゃいけないんだけど

−デュセルドルフの学校では一年目とか二年目はどういうことをやってたんですか。
奈良 一年目はね、えーと、ほとんど勝手にやれって感じ。うん。聞けば何か言ってくれるし、聞かなきゃ何もない。でもたいていは生徒同士で何か話し合ってやっていく。で一年後に作品展示っていうのやるの。一人三メートルか四メートルの壁もらって、それで自分の作品を展示するの。で、その時で、全員の教授がまわって、上に上がるかどうか決めるの。で、そこで上に上がれたら、あ、それまでは科が関係ないの、何科とか。で、それで上に上がれたら、自分で先生のとこに行くの。あなたのクラスに入りたいとか。で、先生がいいよって言ったら入れるし。それは何人行ってもいいの。この人もいいって言った、この人もいいって言った、この人もいいって言った、この人もいいって言った、っていったらその三人の中から選べばいいし。で、ほんとはこの人に行きたいけど断られて、じゃあ二番目に行きたかった人も断られて、っていったら、やっぱそういうの引き取るような役の人がいて、最後にそこに行って、入ったりとか。あと、すごいよかったりしたら先生の方からうちのクラスお前入れとか。うん、そうそう。
−先生の誘いを断ることも?
奈良 うん、断ることもあるよ。オレ一番入りたかったのに断られた。うんとね、フィリップ・シュベールバッ手言う人で。そいでその人すごい人気あんの。人気あるから、今年は一人も取れない。部屋が決まっているからそれ以上増やせない、というのと、それと、あなたと私は考え方すごい似ている部分あるから、私んとこ来ても得るものないって。だから多分あなたはワイルドになった方がいいから、あの先生とかあの先生んとこ行った方がいいとか言われて。だからほんとに自分が教えられる人を採るし、だってあまりにも似てたら先生だって気持ち悪いはずだよ、ほんとは。
−そいで、ベンク?
奈良 うん、ベンクかミヒャエル・グーテって人に行けって言われて。なんかオレ二人ともそんなに好きじゃなかったんだよ、なんか。下品な感じがして。でもいって、二人がサインくれて、で、ミヒャエル・グーテの方が描く場所広かったから、そっちに最初行ったの。で行ったらね、死んだんだよ。なんか若かったのに。(笑)あ、違うや、死ぬ前だ、死にそうになって、で、ペンクがね、学校の外に大きなアトリエ自分のお金で借りるから、あの、そこに来ないかって言うから。個室って言うから、そっちのがいいって言って。そっちのがいいって言って、そっちの方に言って、そっちの方に行って。で、行ったら死んだんだよね、そのミヒャエル・グーテが。でもペンクはそうやって自分でお金出して生徒達にスペース与えてくれたど、学校には年四回くらいしか来なかった。でも、それもアリだと思うけど。なんか毎月来てもらっても、なんかやっぱオレ外に自分の給料で借りて、いい生徒集めて、それで、いい先生だったな、て思うけど。
−日本の人はいたんですか?
奈良 日本人はオレ入った時、もうひとりいた。東京造形大学から来た人。でもそいつは一年後上がれなかった。合格できなかった。すごいいい作品なの。でも入学した時と変わってないの。入学した時はすごくいいって言われてたんだけど、一年後のが全然変わってなかったの。どんなに作品よくても一年間で作品全然進歩がなかったら学校いる必要がない。どんなにヘタクソでも少しは良くなってたら、これからやってたらどんどん上がるじゃん。そういう審査だった。厳しい。
−そっちの方がいいですよね。
奈良 いいと思う、そっちの方が親切だと思う。なんかほかに断られた人とかすごい、こう、その人の経歴とかインタビューで色々話してて先生が、哲学とかそういう方向から美術に参加していったほうがいいんじゃないかとかさ、作家になるよりも、なんかそういうアドバイスくれる。そっちの方がオレ親切だなあ、と思う。
−そうですね。
奈良 しっかりとした美術教育受けてないから、戻るところがないんだよ、戻るとこが。戻るとこって、なんて言うのかな、やっぱ悩んだりしたら一番確かなところに戻るじゃん。一番確かなものが無いってオレいつも思ってて、なんかやっぱりデッサンとかに戻ったりみんなしちゃうじゃん、結構、。でも違うんだよ。で、もっと言葉に戻ってたりとか、本当は自分達が受けた教育や体験にも戻れるとこらがあるハズなんだけど、なんか歪んだ教育で、うまくいかないから、今日は外に出て風景クロッキーしてみようとか、猫クロッキーしてみようとか、なっちゃうじゃん。でもそれって本当かなあってオレ思うの。文章書いててもいいわけだからさ、本当に戻れるものがあるハズ、なきゃいけないんだけど。

自分が一番イヤなやつを入れればいい

−デッサン基礎ってなんか…コワイ…ですよね。
奈良 そう、本当オレ、やなことだと思うよ。それを生かす人も中にはいてもいいんだよ。ふつうのすごい具象でも考え方をしっかりしてたら、テクニックでちゃんとした絵を描ける。このあいだL.A.で見た学生で、普通のうまーい絵なんだけれど、人の後ろ姿描いてんの、古典技法みたいなカンジなんだよね。それでバックの色がうぐいす色とかピンクとかそういう色で。そういう色っていうのは例えば刑務所とか、貧乏人のためのアパートとか、なんていうんだろ、反抗的な気持ちを持っている人をおとなしくさせるための色なんだって。彼はすごい貧乏なところ出身で、そういうアパートで育ったんだって。なんかそれと自分、そういう人みたいな弱い低所得者たちと国との関係を描き表しててあと黒人とかのマイノリティ、その人の顔を正面からじゃなくて後ろから描くの。髪の毛とか一本ずつ描いて、こんなちっちゃい絵で二つ並べてんの、同じ絵を。頼ってるんじゃなくて、彼の考え方にテクニックがあって、でもそれだけじゃなくて、テクニックが必要だから。でも逆に石膏デッサンよくなーいとか思ってると、本当は描くのが好きなのに、パフォーマンスだけやっちゃったりとか、インスタレーションだけやっちゃったりとか、すごい問題あると思う。なんかすごい複雑だよね、日本が抱えてる問題。美術大学とか、ヨーロッパとアメリカも全然違うの。ヨーロッパの人達はちっちゃい時から、普通の教育から何ができるか、なんか話し合いとか、そういう教育がすごく進んでるの。自分に意見を持つとか、個人で行動するとか。だから学校入って先生に何も言われなくても、ガーッてやってくの。やっぱアメリカっていうのは新しい国で、アメリカの美術が認められたのもちょっと前じゃん。五、六十年前から倫理とかやってる人が一緒になって急に出てきたでしょ。なんかそういう意味で本当の教育みたいのが盛んなのよ。例えばアメリカの大学だったら、一、二年でとる授業、三、四年でとる授業ってあって、絵画とか彫刻とか映像論とかいろんなのとるわけ、で絵画とったら一週間で二回、四時間で二回ある。その四時間実技の先生が普通の教室でスライドを見せたり、話したり、話し合わせたりして、で、制作は各自勝手にやるの、それを次の時持ってきて、みんなで批評したり先生がなんか言ったりとか、で、大学院になってはじめてアトリエみたいなのが個人で好きに使えるようになるの、で、そういう文脈とか理論とかの側面からの教育がちゃんとなっている。オレそういうのすごいなーと思って。そういうの日本人に向いていると思うんだけど、だから実技の先生が作品について色々言うんじゃなくて、論理の人、批評家が作品について何か言っていく。そういう授業の方がみんな伸びると思うんだ。何でかというと、批評家は実技ができないから言える。実技のできる先生はなんかやっぱ言うことのレベルが低いって言ったら悪いけど、「この色がどうのこうの」とか「この構図がどうのこうの」とかそういう事じゃなくて、もっとその下に大切なことがあって、やっぱそういうのは倫理やってる人の方が言えるんじゃないかな。決して無能だって言ってるんじゃない、自分が何を教えられるかどうかということを知るべき、自分と同じことを教えられる人をそろえても意味がないでしょ。金沢美大にはどんな先生いるかオレ知らないけど、例えば私も教えられて、この人も教えれて、この人も教えれてっていったら、その中の一人がいればいいんだよ。自分が教えれない物を教えれる先生を入れればいい。そうやっていく方が幅広がるしさ、活性化する訳よ。でも大学の先生とか見ているとなんか同じようなのが固まったりするじゃん、あれすごいおかしい。だから自分が一番イヤなやつを入れればいい。あいつを認めたくない、でも指示されている人を入れていけば面白い。そのほうがその人も努力すると思うよ。それをもっと勉強するべきだよね先生も。なんかL.A.の学校の先生勉強してるんだよ、前の日に。生徒から聞かれて答えられない事は恥ずかしい事なの、だから聞けばいいじゃないかみんな。マイク・ケリーの絵がどうこう、どう思いますか、とか、誰それ、とか、先生でしょという感じで。あとね先生に頼らなくても出来ることがあるんだよ。うーんと、どっかの美術館で面白そうな展覧会やってたら行って、例えばイタリア現代美術の歴史とかやってたら行って、学芸員に、どんな考え方でこの展覧会は組み立てられていて、どういう風に展示されてて、どういう事をしてきた作家なのであるのか言ってもらえばいいの。学芸員に質問すればいい。学校の先生はもういらないと思う。そういうのとかね、簡単に出来るはずなんだよ。それとかわりに呼びやすい関西とかに住んでいる作家だったら一人千円くらいだして自主ゼミ?交通費だしてもらって。近いからさあ、引き受けてくれる人いっぱいいるだろうから、課外ゼミでやっていけば学校のシステムに対して反抗するだけじゃなくて、それ以外自分達でなにか出来るか、っていう事を考えていけばもっと学校という場は同じ考えの人が集まってくる場だからさ、もっと出来るはずなんだよ。

出来ない事なんて多分何もないし

−学生もバイタリティとかなかったり、自分で何かしたりとかがないのかもしれないですね。
奈良 オレ偉そうなこと言ってるけど、オレもダメな学生だった。なんかそういうのやりたい人は勝手にやっていればオレはオレでやっていくよ、みたいに。でも、僕の場合はそれがうまくいったな、って思うんだけど、そういうタイプだったから。でもそれでうまくいくタイプって冷静に考えるとすごく少ない。だから時々学校批判とかしたりすると、じゃあ自分は何をしたかっていうと何もしてなかったんだけど、でもやっぱそれはそれ、これはこれ。今そういうことやったら、逆にオレが、ああ今学生やりたかったな、って思う。なんかみんながそういう動きをしだしてきたら、ああオレそういう学校いきたかったって思うはず。だからそういう風になったらスゴクいいと思う。出来ない事なんて多分何もないし。偉そうなこと言って…(苦笑)
−いや、でも本当にそう思います。
奈良 後ろにオレの大学の先生とかがいたりして(笑)
−日本の大学の時はどうだったんですか?
奈良 日本の時はもう最初からやっぱ作家の名前知らないじゃん、現代美術作家なんだと思って。で、今回、愛知県芸に非常勤講師で行ったときも、最初みんなよくきたねって歓迎してくれたの。大学いるときはカスにみてたくせに(笑)歓迎してくれて、で、そのときの質問がやっぱりロスはあついでしょう、とか野茂は結局どうなったの、とかくだらない。結局向こうでどういう教え方をしているのとか、そういうことはほとんどでない。くだらない質問。悲しくなるくらい、何も聞くことがないっていう…。みんなが悪い先生じゃないけどね。一人だけいい先生がいて、仮にH先生としくと、その先生にはオレ習ったことないの。一回も習ったことないんだけど、その人がかろうじて先生って名前で呼べる人。研究員っていっぱいもらうんだよ(教授、講師などが研究費もらう)、学校の先生っていくらかわかんないんだけど。で、必ず聞いてくるの、まずどういう動きがあって…こういう名前聞いたことがあるか、とか。すぐ本買うのその人、いっぱい。本当に教えてくれる人なの。で、ほかの先生は一年間に何冊、画集買うんだろうって思っちゃうよ。
−その先生多分うちにも来てると思いますよ。Nですか。
奈良 N・H
−はい、来てます。
奈良 聞けばいっぱい教えてくれるよ。一回も担任になってなかったんだけど、その人だけがよくカゲからアドバイスとかしてくれた。 −二年に一回くらい来て、油絵科に。
奈良 あとはもうくだらない先生ばっかり。なんかパリに留学していた。じゃあパリでどんな生活してたんですかっていったら、いや、あそこのレストランのあれがうまくってねーって。だからなんだよって思っちゃう。ね、この時こういういい展覧会があって、それをリアルタイムでみれてよかったとかさ。そういう話聞いたらさ、自分が経験出来ない事じゃん、リアルタイムってのはさ。そういうのもないしさ。なにをリアルに思ってただろう。

自分の考えをまた否定したかった

−「イラストレーション」という雑誌の編集後記のところに編集者の人が、奈良さんの個展で奈良さんとあったっていう話があって「イラストレーション」に持ち込もうとしたんだけど、人と比べられることがイヤでしなかったって。それで、人と比べられて世の中へでていく人と、そういう方法ではなくでていく人があるんだなって書いてあったんです。人と比べられるのはやっぱりイヤだったんですか。
奈良 イヤじゃん誰でも。
−コンペみたいな形でしたら、作品がダーって並んでて、その中で審査員が選んでいく訳なんですが。
奈良 だってその人にはその人の良さがあるし、ほらなんていうの単純な話。かけっこでさ足の速い人が一番で一番遅い人がビリになるの当たり前じゃん。早い人は努力しなくても最初から早かったりするじゃん、小学生の時とか。遅い人は隠れて努力してきたかもしれないけどビリになっちゃうわけでしょ。で、こっちの人だけが認められるわけじゃん。でも、果たしてそうなのかな。ビリでも努力してきた人が前より早くなったとすのじゃん。すると練習して少しでも早くなった。比べられたときはビリだった。でも僕は練習して少しでも早くなれたって自分の中で思えて、それが何か他のことをやるときにチカラになるようなきがするの。で、やっぱ傾向として、認められなかったらやめていく人が多い。だからそういうシステムが一番とか二番とか、なんとか賞とか、それ「イラストレーション」の編集長の人だ。やっぱ若かったからそういうものにあこがれるじゃん。なんか「パルコグラフィク大賞展」とかイラストレーションのチョイスとかさ、オレ出したら入るんじゃないかな、と思いつつそれに留まるのは、やっぱそういう一番、二番とかの世界にポツンといるわけじゃん。すると、やっぱ一番とれなかったら意味ないんじゃないかなと思っちゃうの。で、一番とれなかったら恥ずかしいよな、とも思っちゃうの。そういうのもあって出さなかった。ただ比べられるのがイヤなんじゃなくて。そういう自分の考えをまた否定したかったから。比べられるのを承知でだすわけでしょ。それがすごいイヤだなって。それ自体否定してないの。そういう中で伸びてゆく人もいると思うの。そういう競争の中で、特にグラフィックとか日本すごいレベル高いから全然悪い事じゃないと思うんだけど、自分は比べられるのがイヤだったし、公募展とか見てあるいても、結局この絵いいなって思っている絵があったりして、そのとなりにすげえ変なのがあったりする。きっとこのすげえ変な絵の人は、何で隣にこの絵があるんだろうって思っているだろうし、そういうのがすごいヤなの。

幻の絵本があってもいいかな

−絵本はずいぶん前にでているっていう話聞いたんですけど、でたんですか?
奈良 いや、でてない。でる一ヶ月くらいに出すところが倒産しちゃって。版下はあるの。見本もできてるの。いろいろまわっているんだけど、権利みたいなものが高いみたいで、そのリスクを負わないから。
−まだ決まってないんですか。
奈良 うん、決まってない。でもオレはもう一回新しい絵本描きたいな、って思ってる。
−え、じゃあ「友達になりたかったこいぬ」見たいんですけど、どうすればいいんですか。
奈良 見たい。オレも見たいんだけど、まあ、でもそういう幻の絵本があってもいいかなと(笑)「でなくなったよ」って電話かかってきて、聞いて。オレ全然落ち込まなくて、電話の人はすごい落ち込んでいたんだけど。長い歴史の中、そういう事件があってもおもしろいじゃないかなって逆に思って。
−十二月でるのはそれじゃないんですか?
奈良 十二月にでるのは違うやつで、ドローイング集。これ(すでに出版されている絵本「深い深い水たまり」)はカッチリ出来てんのね。で、もっと自分のラフな部分。かきなぐったりとか、そういう部分をそのまま出したいから、ほとんどドローイングだけど。ゴチャゴチャしたカンジで出す予定。

得るものが多い。…ちょっとつかれるけど…

−ドローイングも最近やってるんですか。日本来てからも。
奈良 やってるよ。
−小山さんとこで?
奈良 いや、オレいまやってんの宮内さんっていうムサビ時代の友達のところで。結構得るものが多いんだよね。そこ行くと、子供がいっぱいいてさ、得るものが多い。…ちょっと疲れるけど…。
−子供がいっぱいいるのが疲れるんですか?
奈良 疲れるよー
−すごいはしゃぐんですか。
奈良 テレビ見てると上に乗っかってくるじゃん。暑いし、重いし。
−すごくちっちゃな子なんですか。
奈良 普通に座らない、膝の上とかにすわってくる。寝ているときはお越しにくるしさ、朝とか、こっちは遅くに寝ているのに。ちょっとでも無視すると暴力振るってくるしさ。だから一回遊んじゃうとダメなんだよね。最初から冷たい人になればいいのにさ。
−子供は期待するんですね。
奈良 期待して忍者ごっことかさ、オレのこと「奈良くん」って「くん」で呼ぶんだよね。同じレベルにならなきゃいけない、木に登ったりね忍者ごっこしたりとか「うっ!」とかさ。 −そういうの嫌ですか。
奈良 好きだけどさ、長い時間はつらい。だんだん友達つれてきてさ、電話で連絡しあって「いま、奈良くん来てるよ」とか。来るんだよ、みんな。何だと思ってるんだろう。作品とか見たことないんだよ。
−何だと思っているのでしょうね。
奈良 何だと思っているんだろうね(笑)よくわかんない。何だと思われているんだろうね。友達?
−でも嬉しいですよね。
奈良 嬉しいのかなぁ、うーん、人前では嬉しいっていうけど、実際遊んでたら、絶対嬉しいってオレ言わないと思う。だんだん重くなってくるしさ、年とると(笑)
−犬好きなんですか?
奈良 嫌いじゃないけど…猫の方が好き。みんなが思っているほどきっと犬好きじゃない。動物好きだけど、みんなが思っているほどじゃない、犬は。
−猫は?
奈良 猫はみんなが思っている以上に…。猫だったら自信ある。負けない。なんか取り合いとか。猫がいて、どっちが先に手なずけるかとかそういうの。
−猫って難しくないですか。猫って寄ってくと逃げません?しつこいと嫌われるとか…。
奈良 時間がかかる。

それぞれもっているものをつないでいけばいいんじゃないかな

−奈良さんの画集「深い深い水たまり」に載っている文章で、氷のなかに女の子が閉じこめられていて…ていうお話があって、私あれすごく好きなんです。奈良さんの絵とシンクロして映像が浮かんでくるんですけど…。
奈良 それはね。核戦争のあとのシェルターの中での出来事なの。子供だけをその中に入れて、で核戦争が終わって、放射能が消えた時にシステムが起動して冷凍保存されてた子供達が、こう…生き返るとか…そういう話。
−その前の話があるんですか。
奈良 前の話が頭の中にあるんだけど、言葉にするのが面倒くさかったからその部分だけを言葉にして。そのあとみんな外に出ていって、外に出ていくと廃墟みたいなのにもう放射能きえているから、緑がでてきている。その中に子供が入っていく。
−おはなしがあって絵が出来ているんですか、おはなしというかそういうイメージみたいなものが…。
奈良 んーと…ない。ほとんど無くて、いや、そのイメージはいっぱいあるけどストーリーが固まってるわけじゃなくて、断片的に沢山あって。でもその断片をつくろうかとか、書こうとかやってるわけじゃなくて、いつもそういうこと考えているから、出てきたものが自然に、あ、これはあれからきたってわかる。それがあてああきているってわけじゃなくて、どれからきてるんだろって思って。ああアレだってカンジ。そういうのがほとんど。
−奈良さん、よく自分の中に原因が必ずあるんじゃないかみたいな。お釈迦様が言っていることに似てるけど縁起説っていうのあるでしょう。夢なんかでも、この夢なんかでも、この夢見たのは、ああ、あの映画みたいからだー、とか。
なんかそうすると自信をもてるっていうか、ちゃんとこういう前の事があってこうなってるんだから偶然じゃない、みたいな。よく偶然でいい絵できたりするじゃない。それは自分のチカラじゃないわけなんだけど、でもそういう事に対しても自分のチカラだと思いたい。だから、そうやって探していくんだと思う。自分の中で見たものとか聞いたものとか…変かな。

−いや、そういうところはすごく感じる、感じた。
奈良 だから自分の中にどれだけ可能性があるのかな、とか、だから本読んだりとか、美術史勉強して、二十世紀絵画はこうこうこうで自分はその中のどの位置にいて、どういう風にしてるんだろうという考え方はオレ、しない。歴史の一部になるよりは、やっぱ今自分自分が生きているリアルな世界?その中で自分がやっている実感を持ってやった方がいい気がする。死んでからとかそういうことは考えれない、そういうことを考えてたら劣等生になっちゃうきがするから。だから劣等生にならないためには、優等生も劣等生もいないところで仕事するべきだから。なんかそれぞれがそれぞれ持っているものをつないでいけばいいんじゃないかなぁって、だからオレが持っているもの、それ以上のものは望まないけれど、自分の中にもっともっとあるんじゃないかなあって思う。いつまでも小さい頃の記憶とか体験とか、そういうものものにこだわってるんじゃなくて、そうやっていきながら今リアルに感じてるものが増えていくわけじゃん、年齢とともに。そういうのをどんどん取り入れる。それをリアルに感じ取れたら…。本で読んでスゲエいいなとか思っても、文章を読んだだけで、それを自分は実体験みたい感じられなかったら、頭の中での出来事いなっちゃうから…っていうカンジかなあ。 −日手帳の読みましたよ。真剣に語ったといって恥ずかしがってたインタビュー。(一九九八年・四月号)
奈良 うーんハズかしい…。
−良かったですよ、僕絵描くの抵抗あったんですよ。でもそれが絵を描いてて良いんだなあとおもえるようになった。

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