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【資料紹介】高屋肖哲資料⑤ 肖哲の観音菩薩像①-「蓮舟に乗った観音」像-(更新日2017/12/13)

2017年12月13日

【資料紹介】高屋肖哲資料⑤ 肖哲の観音菩薩像①-「蓮舟に乗った観音」像-(更新日2017/12/13)
【資料紹介】高屋肖哲資料⑤ 肖哲の観音菩薩像①-「蓮舟に乗った観音」像-

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肖哲資料の中に「観音菩薩図」(観音-113/大正10年)という作品(下絵)があります。
本作は縦133.0cm、横51.0cmという軸装の絹本ほどの大きさで、下絵ではありますが美しい着彩が施されているのが特徴です。使用されているのはよい紙ではありませんが、ほぼ原寸の完成形にちかい下絵と云えるでしょう。主線が毛筆ではなくペンで引かれているのが本作の特徴で、現在は、背景色が鮮やかなコーラルに見えますが、当時は違う色であったと思われます。
本作は観音の静謐な表情や着彩の美しさはもちろんですが、衣装の流れるような曲線の表現や透け感のある布の描き方など、細かな部分において肖哲の確かな実力が垣間見える作品です。

肖哲資料のなかには本作だけでなく、「蓮舟に乗った観音」像が多数残されています。
「観音-113」の描かれた大正10年以前に制作されたものや、昭和期に描かれたものが散見され、肖哲は長い間「蓮舟に乗った観音」像を構想、または手掛けていたことをうかがわせます。当時、肖哲は市井の人から仏画の依頼を受けていました※1。「蓮舟に乗った観音」像もそうした市井に広く求められていた観音像だったのかもしれません。肖哲は1923年の関東大震災で被災し、その時、多くの下絵や下図類が焼けてしまったそうなので、本作のほかにも多くの「蓮舟に乗った観音」像があったことでしょう。
2017年から福井県立美術館をかわきりに開催されている「狩野芳崖と四天王 近代日本画、もうひとつの水脈」において、高屋肖哲「月見観音図」(大正13年/個人蔵)が公開されました。所々違いはありますが、観音が蓮舟に乗り、水面に映っている月に両手を合わせているという点では観音-113と同じ系統の観音像と言えるでしょう。こうした完成品が残っていることからも、この「蓮舟に乗った観音」像は実際に作品が作られていたことがうかがえます。

肖哲資料の、「蓮舟に乗った観音」像には二種類の系統が認められます。ひとつが観音-113のような、蓮舟をあおりで描き花びらの内側を見せるもの(観音-56、観音-52)、ふたつめが「月見観音図」(大正13年/個人蔵)のような蓮舟の先端が反り返っており、花びらの外側と内側の両方を見せるもの(観音-48、観音-54、観音-57)です。また、どちらも観音が(明確に月が描かれていない下図もありますが)、両手を胸の前で合わせて、水面に映った月に合掌するというほぼ同じ様相で描かれます。

また、中には観音-49や観音-55のように、香炉を持ったものや、観音が水面ではなく天上の月を見上げているというバリエーションも見られ、肖哲がさまざまな観音像を構想していたことがわかります。

資料のなかでも本作は目を引く肖哲の逸品ですが、ここに描かれる観音像は何観音と呼んだらよいでしょう。「狩野芳崖と四天王 近代日本画、もうひとつの水脈」で公開されている個人蔵の観音像の名称は「月見観音図」という名称が付けられています。
肖哲の残した観音像の多くが、近世後期に市井で信仰されていた三十三観音※2など民間の観音像が元になっていると言われます。昭和5年から7年にかけて刊行された『新篇仏像図鑑』では三十三體観音について「三十三體観音は、法華経普門品に説く三十三身即ち観音の普現色身三昧より云現する三十三種の変化身を根拠として後人の作れるもの、三十三體観音としての典拠は不明なり。」「勿論之れ好事家の作れるものにして、経軌の説にあらざるは謂ふまでもなし。」と述べられおり、明確な典拠を持たない民間の信仰色が強い観音であったことをうかがわせます。同書の挿絵には「蓮舟に乗った観音」像も数点散見され、このようなイメージのもと肖哲の、「蓮舟に乗った観音」像は制作されたのでしょう。
また、同系統の作品としては、橋本雅邦の「一葉観音」(明治32年/山東美術館蔵)などの作品が残っており、「蓮舟に乗った観音」像は同時代の作家たちも画題に選んだ、観音のイメージとして当時認知されていた図像のひとつでした。そのような広く知られたイメージを元にしつつ、その図像を「作品」へと昇華させているのが肖哲の腕と言えるでしょう。

※1 藤井由紀子「近代化のはざまに生きた画家高屋肖哲―時代から零れ落ちた一人の画家の足跡
※2 三十三観音とは「楊柳、龍頭、持経、圓光、遊戯、白衣、蓮臥、瀧見、施樂、魚籃、徳王、水月、一葉、青頸、威徳、延命、岩戸、能靜、阿?(あのく)、阿摩提、葉衣、瑠璃、多羅尊、蛤蜊、六時、普悲、馬郎婦、合掌、一如、不二、持蓮、?水(しゃすい)」などの三十三体。(『新纂佛像図鑑』)

(美術工芸研究所 非常勤学芸員 幸田美聡)

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肖哲資料に収められている観音-114bは、各装飾をはじめ薄布のひるがえり方など高屋肖哲「月見観音」(大正13年/個人蔵)と一致する部分が多く見られます。また、「月見観音」が145.5×50.8cm、観音-114bは77.5×51.3cmと横幅がほぼ同じ大きさであり、観音-114bは「月見観音」の下図である可能性も考えられます(観音-114bは観音の下半身部分のみであり、上半身部分は未収蔵。失われている可能性もある)。

【高屋肖哲について】
高屋肖哲(1866-1945)は慶應2年(1866)、岐阜県大垣町の士族高屋海蔵の次男として生まれる。19歳で上京し、狩野芳崖に師事。芳崖の死後は、まわりの勧めもあって東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学。その一期生となる。卒業後は翌27年(1894)から30年(1897)まで石川県工業学校に勤めたが、退職。その後、東京美術学校図案科助教となるなどの経歴がわかっている。
肖哲の生涯は長らく不明であったが、近年の調査により図案科退職後は関西で仏教美術研究に没頭していたこと、高野山で寄宿生活をおくっていたこと、晩年は石器の研究に熱中していたこと、九州や淡路を放浪していたことなどがわかっている。

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【参考】
『新纂佛像図鑑』上 国訳秘密儀軌編纂局 第一書房 1972年
「高屋肖哲の新出一括資料調査報告書 『雑事抄録』翻刻・画稿類一覧および研究」金沢美術工芸大学美術工芸研究所 2000年

藤井由紀子「近代化のはざまに生きた画家高屋肖哲―時代から零れ落ちた一人の画家の足跡」「芸術学 学報」第7号 金沢芸術学研究会 2000年

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最終更新日 2017.12.13

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