| ■議事録
報告/金沢美術工芸大学 大学院デザイン専攻製品デザインコース 服部 泰知
今回は、女優の蜷川有紀氏に、「コミュニケーションの芸術」というテーマで、演技・演劇という御自身のこれまでを通してお話を伺った。
■蜷川氏のこれまでの出演の演劇・映画作品について
「サロメ」1978年:つかこうへい演出。高校在学中、「サロメ」を演じてみたい、との一心からオーディションを受ける。約3000人の中から見事抜擢。女優デビューとなる。しかし、酷い役を要求されたことにより、女優とは何か、と最初に疑問を抱くことになる。また演技という考えたことを肉体化するということにも悩んだ。
「狂った果実」1980年「ひめゆりの塔」1981年:女優として、自分の性をも捧げなければならなかったり、まるで本当に戦争にあっているかのような感覚に陥るなど、過酷な経験をする。そのことから、女優とは何か、を再考することになった。
「恐怖時代」1983年:時代劇スプラッターの先駆け的作品。当時としては先鋭的であった。次々と人が殺されていくところに美しさを感じていくという作品。
「仮名手本忠臣蔵」1990/1993年:歌舞伎に生の息吹をいれてやる手法をとる。役と自分のすりあわせ作業として、自分の潜在意識を原動力とし、役(の潜在意識)を作り上げていった。
演劇の女優の面白さは、何回同じ劇を演じても、その回ごとに新しい発見をすることだという。役者はその日、その回、その瞬間を生きており、もし自分自身の体調が悪い場合は、役自身の体調が悪いのだと考える。また、演出家の意図をいかに素早くくみ取れるか、が役者に必要な要素である。
「にごり江」1994/1998年:女が一夜にして青春を葬るという、言わば自我を捨てることを意識した作品。どれだけ心の襞を演じるかを要求された。明治時代の日本の日常生活を緻密に再現し、日本の美意識を描いた、かなり日本的な作品であった。
「罠」2004年:セットが一定で転換されず、役者が言葉だけで劇を表現しなければいけなかった。
■演技・演劇を通しての「コミュニケーションの芸術」について
1. 呪縛
役者は自分で、役も劇も選べず、自分の体のみマテリアルとして、与えられたモノの中にいかに自分をいれていくか。俳優は呪縛されている。表では舞台でスポットライトを浴び明るく華々しい姿と、裏では楽屋などで孤独と闘う暗さというギャップの中に生き、それをいかに乗り越えていくか。俳優の困難がそこには存在する。
2. 潜在意識を探る
いくつかの断片をいかに球にしていくかのように、一人の自分という中に宇宙を創っていく。その宇宙は、経験・考えを通して、自分とぶつかることでどんどん変形していく。
それにはコミュニケーションが重要となり、長所も短所も含め自分の全てをさらけだすことが必要である。その無防備な自分を見せることが、役者にとってのキーワードであり、役者としての自分の本当の個性が現れるきっかけとなる。氏は、自分はストーリーを表現する道具でいいと考え、自分を投げ出すことが、潜在意識を探る上では必要だと言う。技術を磨いて磨いて放り出したとき、技術は芸術に変化する。
3. 瞬間
成田三樹夫が「ひそと動いても大音響」と言葉したように、動きだけの一瞬で、その周辺、また人生までもを表現することが役者である。またその一瞬の造形が役者の醍醐味でもある。
4. 間
瞬間をとらえる。自分の間とは何なのか。自分の不安・緊張が間を縮めることになり、これまでの自分の経験から圧倒的に自分というものを信じることから、間は生じる。演技は技術というよりも、むしろ役者の間によるものが大きい。
5. 演劇空間
演劇を行う前の空間と演劇中の空間の違い。言えば演劇の空間は異空間。観客は非日常的なものを見て、また日常に帰っていく。そんなところに演劇の必要とされるところがあるのでは。
■「バラメラバ」初監督映画作品(脚本・主演も手掛ける)について
自分の潜在意識を引っ張り出して、テーブルに並べてみたらどんなモノになるだろうか。という考えから生まれた作品。
演劇は役者がコントロールしていくが、映画は監督がコントロールしていくところに違いが生じる。
映画の編集作業の際に、女と男の考え方の違いというモノを痛感。男は編集において論理的に進めていくが、女の潜在意識に論理的というモノはなく、編集に違和感を覚えることも多々あった、という。
■演技・演劇・役者について
役者とは普通以上に自分をさらけ出さないと、うまくやっていけない。普通以上に大きな声で話したり、笑ったり、泣いたり…。日常生活から感情をオープンにしていくことが必要である。
また俳優とは考えを言語化するのではなく、肉体化する職業である。頭で理解し、心で感じ、体で表現、と三カ所がうまく同時に働かなければならない。
また演技には日常生活とのギャップが必要。演じる際に今までとは別の自分を解き放つ。
今回、演技・演劇というコミュニケーションの芸術ということでお話を伺ったが、デザイン・芸術とは離れた存在にも思えるが、話を聞くとデザイン・芸術と共通、または繋がるような感覚的な部分が多々感じられた。また蜷川氏は、公的に俳優を育てる機関が必要である、という。日本は海外に比べればレベルはまだまだで、全体の底上げが必要であるということを最後に締め括られた。
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