| 高橋明彦@授業概要.半魚文庫 |
われながら分裂的で、あれこれかなり雑多な授業ですが、
まあ美術大学の一般教養の文学の教員なんてのはこんなもんでしょう。
基本的には僕の興味の範囲内ですが、なるべくバラエティに富んだものにしたつもり。
本当は近世文学だけの授業をやりたいですが、
それはぜいたくというものですね。
授業概要に書いてあることを書いても面白くないので、
関連したことだけ書きました。
[一般教養科目]
文学1・2(上田秋成『雨月物語』講読)
文学3(正岡子規『俳諧大要』講読)
人間と文化3(江戸のメディア)
[専門科目]
専門語学演習(古文)(変体仮名と草体の読解)
[完全自由科目]:-)
芸術と批評(現代思想と芸術理論)
[(院)選択科目]
古典演習(近世版本と挿絵)
[(院)必修科目]
地域美術研究(金沢の木版出版)
[(非常勤)金沢大学医学部保健学科]
文学(福永武彦『草の花』講読)
◇授業のテーマ:
みなさん、入学おめでとう。入学式で学長が言った事、覚えてますか。「自分の個性を磨け。人真似などするな!」。僕は、この言葉に涙が出そうでした(うるうる)。
君達は、この金沢美大に入学し、4年間の美大生生活の中で、自分自身の限界と、社会と自己との相克にいやと言うほど悩むことになるでしょう。そんな時に必要となるのは、自身の美術というカテゴリーを超えた視点を持つことです。自分を客観的・相対的に見る視点です。一般教養で文学を教える僕の手前ミソで言ってるのでは有りません。例えば、同じ芸術分野のなかの文学というジャンル。これをすこし垣間見ることで、そしてそれを契機に自分で考えることで、若い者の特権的な青春の暗闇から抜出す道を見つける事が出来るはずです。
学長の言ってた「個性を磨け」というのは、恐らく小学校の校長先生も言ってたかもしれないような単純な言葉です。が、人間が幾つになっても重要な意味を持つ、深い言葉です。個性とは何か、個性は如何にして成立するのか。
実際今日、19世紀的・ロマン主義的芸術観はもはや破綻しています。芸術に天才(優れた個性が社会を変える)は存在しません。人間の個性といったものを保証するヒューマニズム(人間主義)は、侵略と殺戮の20世紀の歴史のなかで既にカラ念仏に過ぎません。そして、個性という概念を保証してきた近代自我(我思う。ゆえに我あり)も、今では構造主義思想などによって批判されています。構造主義の解釈によれば、思考というものは自身のオリジナルな考えから生まれるのではなくて、もはや自分は考えさせられているに過ぎない、そう思込まされているにすぎない、というような事です。
現代とは、そういう悲しい時代です。そういう悲しい時代に、しかし芸術をあくまで選ぼうとしている君達に祝福あれ。およそ個性という概念が成立しえない時代、なにをやっても物真似にしかならないような時代、そして何をやっても「つまらんね〜」と先生に言われざるを得ない時代、あるいは自分をごまかし目先だけで先生の評価を得なければいけないような時代。ゴッホの狂気も、デュシャンの無意味も、ウォホールのコピーも、まるっきり無効な時代。そんな時代にあえて芸術を君達は選んでいるのです。君達にはもう道は残されていないのか、いえむしろ逆でしょう。
てな事を、『雨月物語』を読む中で、理解する授業です(ほんとだよ)。『雨月物語』自体については、授業を聞いてください(ははは)。
◇授業の内容および形式: 前述の高邁な志にも関わらず、表面的には授業は僕が本文を読んで訳し解説してゆく、簡単に言えば、一時間僕がしゃべりっぱなしという講義講読形式です。午前中の実技授業で疲れてるんでしょうが、寝てる場合じゃないよ(笑)。今年の一年生は、けっこう食付きがよいので、嬉しいです。
◇テキスト:『新註 雨月物語』(勉誠社) 1400円
◇評価の方法、時期: 各々学期末に1回試験を行います。論述問題で事前に課題も提示します。持込み可。安易に単位を与えるという役目も一般教養科目にあるとすれば、そのとおりの甘い評価です。ただし、どう書いてもよいが、自分の意見だと思うことを(この時代に!)自信を持って書くこと。その他、時間中に触れる作者論・典拠論・文学理論系の話について一通り理解した上で書くこと。Cを貰った人は、よっぽどダメな回答だったということです(あしからず)。Aは少ないと思う。テストを受けないと当然救いようがありません。出席は不定期に取りますが、加算の対象としてしか扱わない予定(とりあえず)。
文学3(正岡子規『俳諧大要』講読)
前期水曜9・10限。2・3年次(選択)
◇授業のテーマ:
2、3年生が対象の科目なので、能書きはタレません(笑い)。近代定型韻文の先駆的イデオローグ・正岡子規の俳諧論を読みます。恐らく、理解すべきテーマは次の通り。
◇授業の内容および形式:
人数はそんなに多くないはずなので、意見を求めます。ちゃんと「気の利いた発言」をすること。場合に拠っては予習もしてきてもらいます。
出てくる人名については明治書院『俳諧大辞典』、語句に関しては『日本国語大辞典』『角川 古語辞典』を引いてきてください。どちらも図書館に開架されてます。なお、今年度は角川の俳諧辞典も図書館で買います。
◇テキスト:『俳諧大要』(岩波文庫)。
◇評価の方法、時期:
学年末のテストと、時間中に披露した俳句。テストは、事前に課題を提示しますし、持込みも可。俳句の方は、子規の意図を理解してないものについては、ケチョンケチョンにけなします(笑い)。
人間と文化3(江戸のメディア/近世印刷出版史論) ◇授業のテーマ:
やることは、次の2点。
◇授業の内容および形式:
あまり受講生が多いと、書誌学実習にばかり時間をとられて、後半の講義の時間がなくなります。講義は次のようなものをやる予定。実習はサクサク進んで下さい(おねがい)。
◇テキスト:
実習用和本や配布物等、すべてこちらで用意します。
◇評価の方法、時期:
書誌学実習3回。2回は時間中の実習、1回は冬休みの宿題で、市立図書館か県立図書館にいってやってきてもらいます。3回の実習を一度でも落している人には単位は出ないと思います。ほかに筆記試験1回(学期末)。筆記試験は、持込み不可。やな教員でしょ(いひひ)。
専門語学演習(古文)(変体仮名と草体の読解) (以下、1997-9-12 補記) (以下、1997-11-27 補記) (以下、1997-12-20 補記) 先日質問されたので、ここにも書いときます。学期末のレポートですが、自分が担当した部分の調べ残し、補足などを書いてください。様式は自由ですが、口頭で説明出来ないぶんは、ちゃんと文章でそのあたりを補足しておくこと。
芸術と批評(現代思想と芸術理論)
◇授業のテーマ:
◇授業の内容および形式:
◇テキスト:
竹田青嗣『現代思想の冒険』(ちくま学芸文庫) 680円。この本は、まあまあ名著だけど、たいしたことないかもしれない。まあこれらに関連した本は無数にあります。いくらでも紹介します。
◇評価の方法、時期:
筆記試験1回(学期末)。レポータとしての報告・授業中の発言内容
◇ひとこと:
この授業は、平成8年度のカリキュラム改変で、専攻必修選択から外された科目でして、これを取っても卒業単位になりません。彫刻の3年生は、もう2年時でこれを修得してるし、受講する人は誰もいないと思います(ヤケ笑い)。しかし、今年度の履修状況を見ると、それでも愛すべき物好きな学生が居て、非常に嬉しいです。ラクで、楽しく、ためになる授業になるでしょう。まあ、実際、やる気も興味もないのに必要だけで受講生が一杯になってた時と較べると、レベルの高い内容を期待していただいて結構です。
(以下、1997-9-12 補記) (以下、1997-11-27 補記)
古典演習(近世版本と挿絵)
ああ、それから「俳句」に慣れよう。まあ、これは基本的な国語力だね。どんな職業についたとしても、これは必要よ。例えば、こんな句、意味分かる?
この句の子規の解説なんて、けっこう感動するよ。
子規の俳諧の理想を理解した上で、それっぽい俳句を作って貰います。カルチャーセンターじゃありませんから、御安心を。
こういうことをしない普通の時間は、本を読んで僕がしゃべりっぱなし(笑い)。
後期金曜9・10限。1〜4年次(選択)
まあ、みなさん、将来的には書誌学の知識や、近世出版に関する固有の問題などは忘れて仕舞うでしょうけど、他方、文学や絵画(浮世絵など)が出版機構に依存するなかで、芸術性の独立などと言うのがすでに江戸時代から幻想に過ぎなかった事を知るのは、かなりショックだろうし、逆に奮起してくれるかもしれませんね。
近世の出版史は、僕の一番苦手な分野で、一番テヌキでやりたくない授業なので、非常に面白くないと思います。課題も多くて面倒臭いです。人数はすくなければ少ないほど僕もやりがいがあるので、辞めるひとは早めに辞めてください。和本に触れて新しい世界を垣間見ることができ、社会と芸術についても考える楽しい授業ですが、そういう問題意識や興味の無い人には、まったく面白くありません。
いやー、人数が多すぎると授業にならんのよ^^;
芸術学専攻の3、4年生(通年)の選択授業なので、特にここに書くことは有りません。取敢えず次の二つが目標。
要請が有れば講義や解説もしますが、なければしません。兎に角、アトランダムに当てますから、スラスラ読んで、注釈して訳して下さい。事前にノートに翻字してくること。要は練習です。
扱う作品は、次の2種類くらい。
扱う作品については、要望が有ればそれを優先します。
初歩の段階では、活字版を探してきてそれと見比べてずんずん進んでゆけばよいでしょう。
『和泉式部日記』をやって、みなさんだいたい仮名は読めるようになりました。7月から「漢字交じりの刊本」として、近藤清春『今様職人尽百人一首』(草双紙・稀書複製会叢書)を取上げて、本文と絵画の注釈をしてます。レポータを分担し、年度末までこれでゆく予定。担当者は、最低でも以下の本に当っておくこと。
その他、関係する職人が出ている絵をなるべくたくさん探して下さい。江戸の肉筆・浮世絵などでもよいが、仮名草子・浮世草子・草双紙・絵本あたりの近世板本から探せるとなおよい。
この授業は、なかなか学生のレベルも高くて、文学部3年の授業と考えれば、全国的にもかなりのもんでしょう。いつももんくばっかり言ってますが、そう思ってます。それと、11月25日、直前に休講にして、必死に準備してたNさん、ごめんなさい。ほんとに謝ります。上のホメ言葉、謝るための前振りではありません。
と、上に書いたら、別の学生Sさんから、「そういう言い訳はするな」と言われました。まあ、ほんとにもうしわけなかったと思ってんだから、書くのも勝手だろ。
後期水曜7・8限。対象(彫刻専攻3年次・選択)
現代思想から芸術理論を考える。
私たちが生きているこの現代はどんな時代なのか。特に、芸術活動を行う上でその観点は決して無視していられないと思う。十九世紀的な悠長な芸術思想は、現代においては必ずしも有効ではなく、たんに自己表現の結果としては、制作はもはや成立しないところにきている。こういう状況の中で芸術に可能性は有るのか、一緒に考えたい。
演習形式。報告者は、下記のテキストの分担部分を、簡略でよいから、要約・解説する。私の解説も交えて討論を行う。
扱う現代思想は、F・ニーチェ、F・de・ソシュール、R・バルト、J・デリダ、G・ドゥルーズ、丸山圭三郎、浅田彰など。思想に関する予備知識は必要ないが、自分にとって制作とは何か等、自身の思想的課題はあったほうがよい。
竹田青嗣『現代思想の冒険』にもちょっと、僕のほうでちょっと飽きてきてるので、受講生がだれなのかまだ把握してませんが、メンバーを見た上で読む本を考えてもいいなとか思ってます。同じ竹田青嗣の『for beginners ニーチェ』でも読もうかな、と考えてます。或いは、マンガでも読むか、はは。いやー、やっぱり現代思想関係の基本知識は、いまの学生、ちゃんとあったほうがいいね。
で、その愛すべき学生(4月当初から受講を言明していた)ってのが、ほかの急遽割込み必修授業に出なきゃいけなくなって、ほかに二人いたのですが(つまり履修者は3人しかいなかった。ひえ)、そいつらは連絡も無い。で、この授業は無くなるかと思われた。丁度、学生の展覧会も重なっていたのだが、十月半ばに成ってから、ひょっこり一人が来ました。彼の場合単位認定が必要なのですが、授業はせず単位だけやろうか(当然、C)とか悪い考えも過りましたが、よく知ってた学生だったし、やっぱり「For Beginners ニーチェ」を読むことにしました。
こんな内輪話、おれ、不特定多数に向けて書いてて良いのかな。
ニーチェというと、いまでもやはり、実存主義とかナチとか思われているみたいですね。この授業の遠い目標は、ハイデガー著「ニーチェ」(白水社)でもってニーチェを考えることなのです。ハイデガー的なニーチェ像は、全然実存主義なんかじゃなくて、存在論およびニヒリズムのニーチェなんですね。竹田の『For Beginners ニーチェ』は、もうちょっとポストモダン的で、かつ人生教訓的な部分(いわば、わかりやすい部分)もあって、ちょっと傾向が違うけど、実存主義以後のニーチェ像であることは確かです。僕としても、実はタネ本は、木田元『ハイデガー』(岩波・20世紀文庫)と丸山圭三郎『生命と過剰』(河出)なんですがね。木田元って、早口で何度もいうと「ゲンキダ」になるんだね。ほんとに元気な人らしい(木田元の異端の弟子・F氏の友人鈴木俊幸から聞いた。しかし、異端の弟子とか云うと、カール・レーヴィット風でかっこいいでしょ>F氏)。
でもって、授業はサシでやってるんですが、こちらの説明としては、プラトン・アリストテレス以下の形而上学の発想(デリダ「人文諸科学における言説・ナントカ・ゲーム」がネタ本)を理解し、ヘーゲル・マルクスの弁証法的歴史観をおさえ、それらを批判してゆく反哲学者としてのニーチェに迫るべく……、いまは兎も角、「え、こんなこともしらんのかいなー」、「用語をしっかり覚えろよ」、「おい、ノートとらなくて、覚えられるぅ?」などと、やってるのでした。
哲学は、それ専門じゃない人にとっては、やっぱり人生哲学(教訓)的な要素は不可欠だなあ、と、特に、悩める美大に接していて思います。自分自身振返っても、いまでこそもはや哲学なぞ不要で生きてはいるが、むかしはぼくもそうだったよね。実際、ニーチェも「ツァラトストラ」なんてあんまりピンとこなくて、「道徳の系譜」のほうが断然好きでしたね。それと、学生に案外受けるのが、「この人を見よ」ですかね。蛇足乍ら、目次を掲げておこう(岩波文庫訳)。
ほんと、ポップだなあ、ニーチェって。
(以下、書名は省略)
後期火曜日5・6限(修士1年・選択)
西川祐信の八文字屋絵本の絵画注釈をやります。結構面倒ですよ。去年は予想外に受講生が居ましたが、みんなとりあえず真面目にやってくれました。でも、ほんとうはもうすこしレベルを高く設定したかったなあ(笑い)。
(以下、1997-11-27 補記)
受講者は4人ですが、マスター1年生の選択授業だから、数はこんなもんでしょう。簡単に用意出来て内容的に面白いテキストってのはなかなかないのですが、結局祐信は避けて、月岡雪鼎の『絵本 武勇名取川』の下巻を読んでます。なぜ、下巻だけなのかと言うと、この夏に古本屋でたまたま端本を見つけたのです。『國書總目録』だと、漆山天童だけだったか、所蔵もあんまり知られてない、稀覯本ですよ(『近世大坂画壇』大阪市立美術館編にはちゃんと紹介されてるが)。兎も角、価格3800円(安い)の元を充分とったね。
受講してる院生たち、このページ、読んでる?
みんな、変体仮名なんて読んだ事ないし、国文風な調べなんてなれてないから難渋してるみたいですが、教材としては、けっこういいよ、これ。源平を中心とした武士の逸話の絵本化したもので、原典を探したり、絵画注釈したり、内容がある。原典探しは、史書と文学作品とでは雰囲気(伝承化の寡多など)違うということ(まあ、国文専門なら当たり前のディスクールだが)、絵画のほうは、現代化(近世の風俗がごっちゃってになっている)など、調べるのにも楽しめる。
おーい、院生たちー、このページ、読んでるぅ? 人名辞典は、もうちょっといろいろ引いてこいよー。引用した文献は、ちゃんと読めるようにしてこいよー。
僕のほうの話としては、「NHKの大河ドラマは歴史の勉強になるし、意外と良い」などと、案外ラチも無い事をしゃべったりしてもいますが(笑い)。
地域美術研究(金沢の木版出版)
前期金曜日7・8限(博士1年・必修)
合計6人の先生方のオムニバス授業。僕の担当は、9月5日/12日の2回。地域の問題で僕が出来るのは「金沢の出版」しかないし、あんまし美術じゃないけど、まあ広く文化ではありますね。金沢の近世・明治の木版出版を語るには、受講生に事前の予備知識がないと無理です。次の著書と論文を当日までに必ず読んで置くこと。まあレポートがわりです。
講義は、金沢出来の板木と板本を見せながら僕がしゃべりまくるだけ、かなあ。地方美術や地方文化という真正面の問題については、僕が話をするまでもないでしょう。
(以下、1997-9-13 補記)
講義は、金沢出来の板木と板本を見せながら僕がしゃべりまくるだけ、でした。受講生がみな自覚ある大人で、こちらをもりたてつつ(学部生諸君も見習えよ)、おもしろがってくれた、ように感じています。
9月5日は、近世三都の出版物を見せながら、その出版の歴史と機構について、12日のほうは金沢の江戸から明治へかけての出版物の様子など、そんな感じの話でした。
文学(福永武彦『草の花』講読)
非常勤で、美大の隣にある金沢大学医学部保健学科(旧医療短大)でやってる授業です。まあ非常勤まで書く必要ないかとは思ったけど(笑い)。「近代文学で」と承ったので、それじゃあ、ということでかつて好きだった作品を。去年一度やりましたが、非常に優れたクラスでしたので、授業もやりやすかったし楽しかったです。今年ももう一年やるんだと思うけど。
◇対象時期:後期で3年生(卒業年次)対象のはずです。
◇テキスト:新潮文庫『草の花』
◇授業内容:僕がひたすら『草の花』を朗読して、あとしゃべりまくるだけの授業です。
◇評価:学年末にレポート一回。レポートは次の2つの課題をやること。
(以下、1997-9-13 補記)
やはり今年ももう一年やるようです。去年の受講生の人、このページをもし見つけたら、メール下さい。今年の受講生のひとも(メールがきたら点数が上がる、なんてわけはありませんが)。
(以下、1997-11-27 補記)
で、やってます。今年は、課題を「伊豆近辺の地図を作る」ってのも加えようかな、とか思ってます。
『草の花』に出てくる、汐見の「現在・未来・過去」の時間意識ってのは、ハイデガーですよ。あんがいだれも指摘してないんじゃないかな(最近の研究成果は知らないけど)。福永ファンの学生がいて、いろいろと話を聞いて、初めてハイデガーの「被投的投企」ってのを実感しました。僕のような、軽く、未来に希望を失わない人間は、いままで、全然ハイデガーが分かってなかった、ということを思い知らされた。