シテ詞「是は武蔵国の住人横山の十郎晴尚 にて候。さる子細候ひて上意にちがひ。本 領悉く召し放されて。さん%\の疲労の 身と罷成りて候。然れども従子にて候ふ 久米川を在鎌倉せさせ候うて公方へ此事 を歎き申し候。か様に零落れては候へど も。我若年より馬に好いて候ふ程に。馬を ば一疋立て置きて候。余りに徒然に候ふ 程に。厩に出でて馬を見て心を慰まばや と存じ候。やあ馬の足掻する音のし候。誰 もないか馬に草かへ。ツレ「いや誰もなく 候。シテ「何とて見え候はぬぞ。ツレ「昨日 まで候ひし物を皆ちり%\になりて候。 シテ「扨此屋の内には御身と唯二人ならで は候はぬよなう。あら笑止や候。草の一筋 も候はぬよ。此馬は殊の外草臥れて足を

立てかねて候。是は唯今飢死に候ふべし。 実にや身の憂きまゝに。故事の思ひ出で られて候。漢の高祖楚の項羽。七十余度 の戦に。項羽討負け給ひし時。望雲騅と いふ馬は。ひと足に千里をかける名馬な れども。膝を折り黄なる涙を流し一足も ゆかず。騅ゆかず/\。ぐい如何せんと 歎き給ひしとかや。されば其時も虞氏と いふ后望雲騅。我等も夫婦馬一疋。唐土我 が朝高き賎しき品こそかはれ。数行虞氏 が涙もやはか我等が涙にはまさり候ふベ き。ツレサシ「実にや此事さりとも/\と。思ふ 月日は重なり。次第々々に衰へて。今は 寒窓に煙絶えて。春の日いとゞ暮らし難 う。永日に灯火消えては秋の夜なほ長し。 シテ「家貧にして親知少く。身賎しうして

は故人疎し。二人「親しき者だに疎くなれ ば他人は何とて訪ふべき。一疋馬の残る こそ。物言はぬものゝ心ありて。我にそ ふよとなつかしさに。夫婦厩に立ち寄り て。泣くより外の事ぞなき。シテ「か様に 時刻移りつゝ。此馬なほ/\弱り候ふ べし。あたり近き武蔵野へ立ち出で草を 刈りて。此馬の命を助けばやと思ひ候。 ツレ「いや妾出でて刈り候ふべし。シテ「そ れこそ思も寄らぬ事にて候へ。侍の時に とつて馬に草かふ事は苦しからず候。か まへてあやしさうに外面へばし御出で候 ふな。やがて参り候ふべし。是処は忍ぶの 草枕名取の夢な覚しそ都の方を思ふに。 初雪トモ二人次第「明方近き浮雲の/\横山をいざや 尋ねん。初雪サシ「これは鎌倉亀がへが谷に。 初雪と申す女にて侍ふ。こゝに武蔵国横 山の十郎晴尚。古世にまし/\し時。常 に情をかけ橋の。うき世を渡る習ながら。

四季折々の衣更。朝夕の煙の絶間までも。 偏にこの人の扶持なりしが。所領たがひ てさん%\の。疲労の由承り候。世にま し/\し時は訪ひ訪はれ。疲労の時は尋 ねゝば。さてこそ流の女とて。思も知ら であるべきぞと。今日思ひ立つ旅衣。 下歌二人「野は遥々と武蔵なる横山さして急ぐ なり。上歌「まだ夜をこむる山の内。/\。 松にかゝれる藤沢や。春も名残となく鳥 のおのちの里は晴尚の。本領なるが相違 する。それ故なりと思へば。なつかしか りしこの里の。科なきまでも恨めしや /\。初雪「いかにこの内へ案内申し候。 ツレ「誰にて候ふぞ。初雪「これは鎌倉亀がへ が谷に初雪と申す女にて候ふが。此やを 承り及び。御訪の為にこれまで参りて候。 扨殿はいづくに御入り候ふぞ。ツレ「殿は 夏狩へ御いでにて候。初雪「扨いつ御帰り 候ふべき。ツレ「今四五日は御帰り候ふま

じ。狂言シカ%\「。初雪「暫く候。恩を蒙りて知ら ざるは。林の鳥の枝を枯らし。野鹿の草を 踏むが如し。是処にて月日は送るとも。 御目にかゝらざらん程は帰る事は候ふま じ。ツレ「あら笑止や。人のありとも知らで 殿の御帰り候ふべし。妾園生より出で迎 ひ。此事を申さばやと思ひ候。シテ一声「何事 も。皆かはり行く世の中に。身はいつま でか。残るらん。今刈る草の露よりも。余 りて落つる。涙かな。サシ「実にや浮世転 変たる事。我一人に限らねども。憂き時 は唯晴尚が身の上とこそ存じ候へ。我弓 箭をとつては陳平張良をも恥ぢず。蕭何 が勢をなしゝ身なれども。公方の御意 に背きぬれば。さしもに広き武蔵野に。 憂き身の果は極まりて。天にせをくゞめ 地に抜足をし。僅なる茅屋に身をかくす。 いつまでかくてあるべきぞと。思ふにか ひやなかるらん。かの岡に草刈るをのこ

心だに。なければ花とも白露の。多かる 草を刈り。地「持ちて家路にいざや帰らん 刈り持つ草は何々。かく浅ましくなり果 つる。/\。憂き身はともも夏草の思しげ みを刈らうよ。あはれ昔と忍草。同じ名に あらばいつか思を忘草。忘れんと思ふ身 の科は。誰を恨みん葛の葉の帰るを誰と 人問はゞ。もとあらぬ身と答へんと小萩 を刈りて帰らん。詞「何とてこれまで御出 で候ふぞ。なんぼうよく草を刈りて候ふ ぞ。さて馬は苦しうも候はぬか。ツレ「いや 馬は苦しうもなく候。あれには人の候ふ 程にさてこれへ参りて候。シテ「人とは誰 にて候ふぞ。ツレ「鎌倉亀がへが谷に初雪 とやらん申す女の。此やを訪ねて来りて 候。シテ「それは古世に候ひし時。さる体 にてあひしらひたる君にて候。此体にて は何として見参し候ふべき。幸ひ他行の 由をば仰せ候はぬか。ツレ「其由申して候

へば。御目にかゝらざらん程は帰るまじ きとて皆押入りて候。シテ「いや/\此体 にて候ふ間。何として逢ひ候ふべき。然 るべき様に仰せ候へ。ツレ「是は仰にて候 へども。女の身にて遥々来りたる志も切 に候へば。そと御見参候へ。シテ「和上揩フ 身にては。殊更さ様の者には対面は叶ふ まじきとこそ仰せ候ふべきに。遥々来り たる志も切なれば。見参し候へと承り候 ふが。さらば見苦しく候へども見参し候 ふべし。いや/\殊の外見苦しう候。唯 然るべき様に仰せ候ひて御帰し候へ。 ツレ「これに烏帽子直垂の候ふを召して御 見参候へ。シテ「あら不思議や。何としてさ 様の物をば御持ち候ふぞ。ツレ「自然御訴 訟も叶ひ候はじと思ひて用意申して候。 シテ「あら有難の御志や候。さらば之を着 て見参し候ふべし。鏡を給ひ候へ。ツレ「恥 しながら左様の物を失ひてこそ此烏帽子

直垂をば用意申して候へ。シテ「扨は女性 の手具足を失ひて烏帽子直垂を御用意候 ふよ。さらば盥に水を入れて給はり候へ。 水鏡を見うずるにて候。何としても散々 のしたてにて候。実にや親にて候ふ者は 鎌倉一の男と云はれしよなう。いで一年 鎌倉殿若宮御参詣を御覧ぜられて候ふか。 ツレ「さん候我等もたてこしにて見物申し て候。シテ「扨御供の人数は誰々ぞ。ツレ「北 条殿は御舅。一しほいみじく見え給ふ。 シテ「さてその外の人々には。ツレ「新田南 条。シテ「村田高橋。ツレ「吉河舟越。シテ「横 山の。地「よに越えたりと云はれしに。そ の子と今は云ふべきか。シテ「時移りては 叶ふまじや見参し候ふべし。はたと忘れ たる事の候。扨客人に見参し。酒を勧め 候はではいかゞ候ふべきぞ。ツレ「是に折 節白き酒の候。シテ「それこそ苦しからず 候へ。さて酌をば誰にとらせ候ふべき

ぞ。ツレ「酌をば妾出でて取り候ふべし。 シテ「いや亭主の出でて酌とる等と候へば 似合はぬ事にて候。ツレ「こゝに謂の候。さ きに人のなきまゝに出でてあひしらひて 候。先に出でて今出でずは。定めて妾と推 量し候ふべし。唯出でて酌を取り候ふべ し。シテ「尤にて候。さらば酌と申さん時 御出で候へ。ツレ「心得申して候。シテ「是ま で遥々御出で候ふ御志。返す%\有難う 候。此体にて候ふ程に何の御肴も候はね 共。酒を一つ勧め申し候ふべし。唯志を御 受け候へ。かの盧山の慧遠禅師。虎渓を去 らぬ禁足たりしに陶淵明かせうれい。 樽をいだきて虎渓に行き。志を知らざら んは。鬼畜には劣るべし。いざさらば酒を 飲まんとて。地「昔の友にあふむ盃。/\ の。酔にあやまり虎渓を出づ。其酒はた くらうなり今此酒は上揩スちの。御色に ゑいするか。殊更色の白きは志を肴にて

今一つきこし召されよ。初雪「いかに晴尚 に申すべき事の候。シテ「何事にて候ふぞ。 初雪「扨先にあの上揩スちに尋ね候へば。 殿は夏狩へ御出と仰せ候。夏狩とは何と 申す事にて候ふぞ。ツレ「なう/\何と仰 せ候ふぞ。取敢へず夏狩へ御出と申して 候。心得て御返事候へ。シテ「何と夏狩の事 を御尋ね候ふか。此御肴に夏狩の事を語 つて聞かせ申すべし。クリ「抑御狩といつ ぱ。地「昔たうしう王とておはします。め でたかりし御位も。鷹を叡慮にかけ給ふ。 シテサシ「其頃未だあら鷹の。夜居の月の山に 入り。地「野に出る日の暮るゝをも。しら ふの鷹を失ひて。鳥の落草かき分けて。 尋ぬる鷹を翁や知りて侍ると。下す宣旨 も重き鷹を。通別教に顕したり。これ ぞ野守の鏡なる。又我が朝のその昔。在 原の中将。二条の后に参りしを。いかな 人か大君に。つげの小櫛の鬢の髪。さし

たる科に附せられ。遠流の身に業平は。 当国に下りて。入間の郡三吉野や。今の 川越の山かの庄に在りし時。里の長のひ とり姫。儲の君ともてなせば。鄙人なり といへども。そのかたちらふたけて。心 に情あり明の。月にかゝる小夜時雨。や もめ男のあこがれて。宵々毎に通路の関 守に姿を見えじと狩衣の袖を打ちかづき 指貫のそばを高く取り。足早に歩みつゝ。 シテ「君が閨もる窓の隙。地「かいま見ぬれ ば妻しある。遥々来ぬるきぬ%\の。別 となれば恋しくて。三吉野のたのむの 鷹もひたぶるに。君が方にぞ。よるとなく なる。それは秋かる鹿の声夫恋の歌の心 なり。又夏狩の玉江の芦。あしく語りな ば。常座の恥辱家の恥。よし/\云はじ 唯酒飲うで遊ばん。シテ「吉野竜田の花紅 葉。地「更科越路の。月雪。シテ「さらばお 肴にそと舞はふずるにて候。舞「。

ワキ「なう/\某が下つて候。シテ「よき所 へ御出でしものかな。珍らしき御酌の候 一つきこし召し候へ。ワキ「某をば大事の 訴訟に在鎌倉せさせ。その身は在国とて てうなみすゑての大酒は。余りに似合は ぬ。御風情候ふものかな。シテ「御腹立尤も の事にて候へども。珍らしき酌の候一つ きこし召し候へ。ワキ「さらば一つたべ候 ふべし。なう/\安堵の御教書候ふよ。 シテ「あら有難や候。殊の外たべ酔うて候 そと遊ばし候へ。ワキ「将軍政所の下し。 横山の十郎晴尚。本領武蔵国おのちの庄 の事。もとの如くかの地に附せらるゝ所 也。建久三年五月日と読み上げたり。 地「かゝるめでたき御代なればや憂きも つらきも忘れ果て。かのてうたちを伴ひ て。はや鎌倉へ上りけり/\。