[本屋列伝]風月庄左衛門(ふうげつしょうざえもん)
初出 :學燈社『國文學』特集・近世の出版−−本屋と作者・1997年9月号風月庄左衛門については、つとに森潤三郎氏の発言があるが(「書肆の大家」、『考証学論考』所収)、まとまったものとしては弥吉光長氏の「京の風月と江戸の慶文堂」や「風月庄左衛門『日暦』」(『未刊資料による・日本出版文化』1所収)がある。本稿も弥吉氏の研究に多くを負い、特に目新しいものはない。風月庄左衛門は京都の大書肆である。堂号は風月堂。沢田氏。庄左衛門は代々の通称で、荘左衛門とも書く(庄と荘と、用字には特に区別はないようで、荘の字も承応年間あたりから見える)。現在分かっている風月版の嚆矢は、寛永五年(一六二八)刊の『国花集』『医法明鑑』『荘子〓(ケン)齋口義』の三著である。井上和雄『書賈集覧』は寛永四年刊『長恨歌伝』があるとするが、この書は実態がよく分からない。
初代は風月宗智(『国花集』では宗知とする)と言う。生没年未詳。所付けは京都二条通観音町。この宗智も恐らく庄左衛門と称したのであろうが、特に確証はない。寛永五年からおよそ二十数年刊に渡って、風月版の刊記には「風月宗智」の名が記され、その下限は慶安二年(一六四九)の『神皇正統記』のようであるが(弥吉)、他方、沢田庄左衛門・風月庄左衛門の名前も、『真字伊勢物語』(寛永20刊)に見える「二條通/澤田庄左衛門」などが早いほうか、数は少ないが、寛永年間から見える。だが、慶安三年刊『撰集抄』などもはや澤田庄左衛門の名前となり、宗智の名を持つ本は以後確認されなくなる。恐らくこの頃が、二代目に代替りした時期なのであろう。風月宗智の名に成る版をほかに挙げれば、羅山『丙辰紀行』(寛永15)、東常縁・宗祇『古今和歌集両度聞書』(同)、『三部抄之抄』(同)、幽斎『伊勢物語闕疑抄』(寛永19)、『土佐日記』(寛永20)、『新刊音釈校正標類蒙求』(同)、『小学集説』(同)、『古事記』(寛永21)、『文章一貫』(同)、羅山『癸未紀行』(正保2)など。二代目の時期も盛んに出版活動を行っており、都の錦『元禄太平記』で書肆の十哲に数えられることになる。
風月堂中興の祖といわれるのが沢田一斎である。弥吉氏はこれを五代目と推測する。号に一斎・奚疑斎。名は重淵、字は文拱。称はもちろん庄左衛門。元禄十四年(一七〇一)二月十九日生れ、天明二年二月十四日没。明和五年版や安永四年版『平安人物志』の「学者」の部に「澤重淵/字文拱号奚疑斎/二條衣の棚角/風月一斎」と見え、書店主風月庄左衛門として以上に、若林強斎門下の崎門朱子学・神道学者として、また岡白駒と交わり白話通の文化人として著名である。岩波古典文学大辞典の「沢田一斎」の項(中村幸彦)では、松室松峡の日記の延享元年(一七四四)四月二十四日に「風月庄左ヱ門ハ詩文ヲ能ス、小説文ヲ作ル事華人ニ似タリ」というという。岡白駒の著作の多くが風月堂版である。弥吉氏が掲げる『小説精言』(寛保3)、『詩経毛伝補義』(延享3)、『開口新語』(寛延4)、『小説奇言』(宝暦3)、『小説粋言』(宝暦8)のほか、『孔子家語補註』(寛保1)もあり、他書肆との相版も含めば『春秋左氏伝〓(ケイ)』(宝暦10)、『史記〓(ケイ)』(宝暦10)、『箋註蒙求』(明和4)などがある。
建部綾足もこの頃、風月堂の交友圏にあった一人である。熊本大学国文研究室蔵本『真字伊勢物語』は前掲の寛永二十年刊の後印で、綾足の朱筆と一斎の墨筆、さらに「奚疑斎」の銘入り用箋の補綴を持ち、長谷川強氏の紹介(『武蔵野文学』20)および国書刊行会『建部綾足全集』稲田篤信氏の解説が備わる。綾足の『伊勢物語考異』(明和6)、『舊本伊勢物語』(同)も風月の単独版であり、綾足との関係および一斎の国学の学識も窺われよう。また、綾足『建氏画譜』の刊行に当っての動静が風月堂の日記『日暦』に見え、これには大谷篤蔵氏の詳細な紹介が有る(『建部綾足全集』巻一・月報)。
この『日暦』は、わずか明和九年九月九日から翌安永二年十二月晦日までの分を現存するに過ぎないが、その記事には来客や地方の得意先とのやり取り、本屋仲間での講の活動、唐本市や板木市、名古屋の風月孫助や千代倉下郷家との連絡、家族の病気や怪我、果ては番頭の遣い込みの処分など、書店商売を活写する。弥吉前掲書に翻刻と簡便な注解が備わる。筆写者は一斎の次の当主であろうが、「隠居」として一斎も頻出する。
宝暦・明和頃から風月単独版は少なくなり、先の白駒や綾足の例を除いて新版の殆どが三都・名古屋をも含む相版となり、その独自性は見えにくい感じがするが、これも出版規模の全国化という時代の流れで、小宮山楓軒『楓軒偶記』に「京師にて書肆の大家と称するは、茨城と風月なり」と、柳枝軒と並び称せられるなど、その地位は不動であった。
風月堂から暖簾分けした書肆には、貞享期開業の名古屋の風月孫助(兼松氏)があり、初代夕道は俳諧も嗜み「いさ出ん雪見のころふ所まで」の芭蕉の懐紙が残る等、長友千代治「下郷千蔵宛風月孫助書簡」(書誌学大系『近世の読書』所収)に詳しい。永楽屋東四郎はまたそこからの暖簾分けで、宣長の著作例えば『玉勝間』や『古今和歌集遠鏡』等の永楽屋版に風月庄左衛門も相版書肆として名を連ねる。また、綾足『奉納伊勢国能褒野日本武尊神陵 請華篇』(明和六年一冊)には、荘左衛門・孫助のほか、三河の風月喜兵衛、駿河の風月長兵衛が名を連ね(他に八書肆あり。岡本勝『さるみの』17号参照)、特に喜兵衛は洒落本出版にも加わる。井上隆明『近世書林版元総覧』はこれら以外に八家の風月を記載するが、他に風月半七(剣橋大蔵『好色文伝受』元禄1)などもその系統であろうか。
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