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かいだん  かつらのかわなみ

怪談 桂乃河浪

林屋正蔵作                  

 

 

[解説(短いです)を読む]

 


 太平の御代(みよ)とは有難いもので、戯れ言を吐いて日本中津々浦々とどかぬ所なく、世の中の翫(もてあそ)びとして繁昌しております。この四十年来はなし家も多く輩出し、その中でも私の怪談咄は、工夫致してはや二十余年。道具仕掛けで飛頭変(ろくろくび)を飛ばしたりしましたが、今年天保六年に、おばけに足はありませんけれど、私はおばけ咄の高座から足を洗って、楽隠居しまして、世話咄(せわばなし)を沢山書きはじめました。廻らぬ筆ではありますが、まずは、林屋正蔵の怪談をとくとお目にかけとう存じます。

 





 相州鎌倉米町の商人、こくや長左衛門の忰(せがれ)、長三郎。歳は二五。垢のついた小袖を着て、「一ツぬぎて後ろに負ひぬころもがへ」とは松尾芭蕉の句ですが、そんな身軽ないでたちで、気の合う仲間八五郎と東海道を上って、京都へやってまいりました。十五六日も逗留していましたが、続く五月雨(さみだれ)に見物もままならず、宿屋で旅寝三昧。

「もしもし、長さん。よくそんなに寝てばかりいられる事だ。ちっと起きて、おもての窓から東山でも見てご覧なせい。この雨の風情がなんとも言えないよ。木の間に赤く見えるのが、祇園様。白く見えるのが丸山。薄黒く見えるのが三十三間堂、東大谷八坂の塔だ。赤い白い黒いたあ、何の事はねえ、外科医者の膏薬箱を見るようだ。」

「八五郎、よくまあぺちゃくちゃと。いい加減にしときな。」

「長さん、江戸と京とは、きつい違いだねえ。こんなに雨が降ってるのに、合羽を着た者が一人も居ねえが、どういうもんだ。」

「それは道理がある事だ。東西北と三方が山で、南ばかりがあいていて、摺鉢の底のような場所柄だから、雨が降っても風があたらず、横から濡れる事が無くて、合羽はいらんのだ。」

「そうさねえ。江戸のように下から降らねえから‥‥」

「馬鹿を言え。江戸だからと言って、雨が下から降るものか。」

「や、こいつは言いそこなった。とにかく、東山はいいねえ。『夜着(よぎ)を着て寝たる姿や東山』か。」

「これ、八五郎。そんな句があるものか。あれは嵐雪の句で、『蒲団着て寝たる姿や東山』。」

「そのくらいの事はわたしも知っているけれど、『蒲団着て』では襟から風が入って寒いから、今では『夜着を着て』と言うのさ。それだから、昔の短冊には『蒲団着て』と書いて、その脇に説明書きがしてある。寒い時は襟のところへ股引をあてがう‥‥」

「嘘ばかりつく男だ。」

「お、また降ってきた。長さん、今日は芝居としましょう。」

「そうさねえ。どうせ一日中見るつもりだ。役者は誰だい。」

「いい芝居さ。役者の格は、江戸でははじめに書くのを巻頭(かんどう)、おしまいに書くのを巻軸(かんじく)というが、上方では、はじめが書出(かきだし)、しまいを留筆(とめふで)というんだね。この節は、女形が松江、留筆が歌右衛門。書出が芝翫(しかん)。芝翫は借金が済んでないんだね[書出しには請求書の意味も有る]。」

「では、番頭を呼んで頼もうか。ちょっと下から一人来てくんなさい。」

 はいはい、と番頭がかけあがり、

「芝居でございますか。ご案内申上ます。北の芝居のいつきにねきで[ごく近所のこと]播磨屋と申まするは、手前の家同前の茶屋じゃさかい、お客様がござりましたら具(ぐ)して[連れて]おくれと申します。すぐにご同道(どうどう)申上ます。じゃが、いかい雨が降りくさって、道もじるい[ぬかるむ]さかい、ぼくりの用意をいたしましょ。」

「なんだかちっとも分からねえ言い方だが、お頼み申しやす。」

「さあさあ、お二人様、おいでなされませ」

と、三人連れ立ってゆきました。

 





 万事、上方の芝居は、表口は江戸の人形座と同じく、招き看板は人形などを飾り、奇麗でございます。しかし、中に入れば、花道はまっすぐにつけてあり、また舞台の左の方に臆病口(おくびょうぐち)という切幕があり、役者はこの口からも出入りをします。桟敷の柱へは祇園新地のおやま芸子の名を記した暖簾をかけ、また挑燈をかけて客を待ちます。舞台の幕は横布で、江戸とは何かと様子が違います。

 案内の番頭は門口からかえり、二人は茶屋の女に誘(いざな)われ、二人で土間一間(どまいっけん)借り切りの見物をします。ちょうど良い所で、舞台は芝翫・歌右衛門・松江の三人の一番目で、大詰めの所。狂言は江戸風で、しかも名題は、

「平家評判記
    悪源太義平 中村芝翫
    義平女房  中村松江
    主馬の判官 中村歌右衛門」

 三人の掛け合いの文句が始まっておりまして、

まず、歌右衛門、「子細と言うは、先(さい)つ頃、宗盛公(もりむねこう)の仰(おお)せを受け、熊野詣での折からに、国分(こくぶん)峠にゆきくらし、宿り求めし一つ家(や)の、主(あるじ)と言うは賎(あや)しのえせ者。」
芝翫、「しかもその夜は雪降りて、野山も分(わ)かぬ銀世界。」
松江、「折(お)り焚(た)く柴(しば)の煙(けぶり)さえ、活計(たつき)も知らぬ糸車。取る手も凍る霜柱。」
歌右、「軒の氷柱(つらら)か、きらめく光。身をひそめたる天井の。」
芝翫、「軒より落ちくる雪なだれ。」
松江、「夢は破れて、旅人の。」
歌右、「肝(きも)に堪(こた)える物音は。」
芝翫、「素頭(すこうべ)微塵(みじん)と思いのほかか。」
歌右、「窺(うかが)い寄って曲者(くせもの)を、引捉(ひっとら)えんも真の闇。」
松江、「此方(こなた)は逃(のが)れん。」
芝翫、「彼方(かなた)は咎(とが)めん。」
歌右、「互いに争う、そのはずみ。」
松江、「引出(ひきいだ)したる。」
歌右、「白旗(しらはた)。」
芝翫、「一巻(いちかん)。」
松江、「スリャ、その時の。」
芝翫、「六部(ろくぶ)も。」
歌右、「主(あるじ)も。」
松江、「縁あればこそ。」
歌右、「めぐりあう日も。」
三人、「あるものじゃなァ。」

 と、この狂言の見得もきまり、上方の者の誉める声、

「えらいぞ、えらいぞ、加賀屋様。梅玉様。お前のおいでを待っていた。けっこう、けっこうじゃあ。」

 関東の者の誉める声、

「加賀屋に成駒屋。松江の家名は成田屋。いいぞ、いいぞ。舞台をしょってたて。」

 





 この一場が終わって、幕になり、次には世話狂言が始まります。「これより、梅の由兵衛」と狂言の紹介があって、その幕間はことのほか長く、幕の内の太鼓に半鐘を打まぜて、どんじゃん、どんじゃん、どどじゃん、どんじゃん、音を響かせます。

「長さん、あのしゃぎりの音を聞きねえ。間抜けな音だ。江戸の芝居は、幕間には太鼓が二挺、笛に大太鼓とで、四人がかりでしぎゃるのに、こっちでは片手に太鼓のばち、片手に撞木(しゅもく)のばちを持って半鐘と太鼓をたたくから、どんどん、じゃんじゃん、どどじゃん、どんじゃん、どどじゃん。ととさんばかりでかかさんは留守か。そして、幕を見なせえ。縦縞のではなくて、横幕だね。あの紋所は何だね。」

「八や。お前には分かるまいが、あれはこちらの贔負(ひいき)の手打連中(てうちれんじゅう)の印で、佐々木に大笹というのは京の贔負連中。また大坂は違いますか。ねえ、上方のお方。」

 長三郎が、隣の上方の者に尋ねると、

「お前方は関東のお方じゃな。大坂では、笹瀬(ささせ)というて、これが贔負の手打連中にあたるもの。なんとえらい違いであろうがの。」

「なにかと言うと自分の方ばかり誉めやがる。江戸の芝居を見た事もあるめえが。江戸はこんなものじゃ無(ね)え。上方のように、幕間になると花道を履物はいて歩くようなぞんざいな事は無(ね)え。ところで、長さんよ。江戸の幕は縦だが、なぜこちらでは横幕なんだね。」

「あれは江戸の芝居の有難い所で、もとがお能(のう)から出たものだから、出入りの幕を揚幕(あげまく)と言い、また立布の幕は由緒ある事だ。勘三郎の中村座の幕は、色は柿色・白・紺と三色。縞模様で十二本。市村座の幕は、色は柿色・萌葱(もえぎ)・紺と三色の十二本。河原崎座の幕は、柿色・紺・萌葱と三色で、十三本。また、守田座は違う。芝居好きでなければ、こんな事は知らない事だ。」

 





 幕間には中売(なかうり)が、

「万力(まんりき)、万力。水辛(みずから)。」

と、駄菓子の名前を言いながら、売り歩きます。

「もしもし、上方のお方。箱をかついだあの男は、何でござりやすか。」

「あれは、万力水辛じゃ。」

「へえ。そんなら、呉服屋泥棒がとらまえられたのかえ。」

「そりゃ、なんのこっちゃ。根っから分からんわいな。」

「だから、万引き、見付かった、と‥‥」

「そうじゃござりません。万力はなあ、竃(くど)へ炮烙(ほうらく)を掛けて米を煎って作りますわ。」

「クドとはなんの事だ。」

「竃(へっつい)のことを竃(くど)と言うわいな。」

「竃(へっつい)をクドだと。唐人(とうじん)のような事を言う野郎めが。」

「唐人なものかいな。日本中通用する言葉じゃ。それに、人の事を唐人じゃなんじゃと、おかしなお方じゃ。」

「なに、おかしい事があるものか。そんなら江戸から大坂までどれほどの道程(みちのり)がある。」

「はて、知れた事。百五十里(り)。」

「それ見ろ。その百五十里だけ、唐(から)へ近いわ。」

「何言うてやら。やくたいじゃ。そこで、その竃(かまど)へ炮烙(ほうく)を掛けるわ。」

「ホウラクとは何の事だ。」

「炮烙(ほうらく)を知らん者がござりますか。土でこさえて、竃へ掛けて、ものを煎るものでござりますわ。」

「それは江戸では、炮烙(ほうく)だわ。」

「なんじゃ。炮烙(ほうらく)のことを炮烙(ほうろく)と申しますか。おかしいなあ。」

「こっちがおかしい。唐人め。」

「また唐人かいの。どうもならんわいの。まあ、聞(きき)いな。その炮烙(ほうらく)を火に掛けて、米を煎りますわ。その米に飴(あめ)を入れて、えらく押して、売るさかい、万力(まんりき)と申ます。水辛(みずから)とは、昆布を細(ほそ)うしたものじゃ。ちと、日本の事を覚(おぼ)いいや、唐人め。」

「ええ、いまいましい。こっちの知らねえ事だと、上方の者にやりこめられる。」

「これ、八五郎。いい加減にしなよ。幕間がだいぶ長いの。ちっと酒にして、後は弁当。何もかも江戸とはきつい違いじゃの。このまあ静かな事は。なるほど、喧嘩(けんか)などする人が一人もない。」

 





 こんどは中売(なかうり)がお茶を持って、

「茶々、あがりんかいな。ちゃちゃ、あがりんか。」

と、売り歩きます。

「もしもし、長さん。茶売りを見なせえ。江戸から見たら、奇麗だねえ。江戸の芝居の茶売りは、『茶ァ、よしか。茶ァ』と売って歩き、どこの者が飲んだか知れぬ茶碗を、すすぎもしねえで汲(く)んで出す。こちらでは、手に茶盆(ちゃぼん)を持って、茶碗の中へ茶を少し入れてすすいで売るから、奇麗だ。ありゃりゃ。そのかわり、やかんの茶が無くなると、

すすいで茶盆に捨てた茶をもう一度やかんへ入れて売るから、

やっぱりきたねえ。」

「八や。となりの土間は、祇園の芸子だの。」

「そうさ。奇麗だね。」

「あちらの女は、仲居。こちらのは、髱上(つとあげ)と見えるわ。」

「長さん。ツトアゲとは何だえ。」

「髱上(つとあげ)とは、女髪結いのことよ。」

「お前方は、祇園新地のお方かえ。」

「さよじゃ。上手(うま)く粋(すい)ぶったお方じゃなあ。」

「そりゃあ、一目見れば分かるものよ。こちらの髱上さん、お前も祇園新地かい。」

「わしゃ、二条通り烏丸(からすま)でおます。」

「なんだ。からす丸だぁ。そんならおまえは枇杷葉湯(びわようとう)[京都二条烏丸通りの薬屋が売り出した薬。道行く人誰にでも只で振舞ったことから、転じて、浮気者のこと]か。」

「これ、八五郎。お女中をつかまえて悪口とは、気障(きざ)だわな。」

 女同士が話しております。

「髪結いさん、見ておくれいな。わしが昨日、髪を洗ってな。とんと落ちんさかい、いまいましうてな。いろいろしたじゃけれど、落ちこじれたさかい、見ておくれ、髪が一向(いっこう)じゃわいな。」

「なんのいな、一向ようでけたわいな。」

「えろう油(あぶら)[お世辞]を言うじゃわいな。」

「ちぇっ。うまくぬかしゃがるなぁ。」

と、わけのわからぬ八五郎がくやしがります。

 さて、この話のうちに、芸子の居る土間へ、茶屋の若い者が酒や肴を持ってきましたが、土間を渡ろうとして、八五郎の肱(ひじ)につまづきました。もとより気短かの八五郎ですですから、「この野郎め」と言いながら、二つ三つと打擲(ちょうちゃく)いたします。その拍子に、菓子椀に入れた葛きりが長三の着物の上へこぼれかかり、汚れてしまいました。また、刺し身の醤油が芸子の着物にかかって、また汚れます。まわりに人も集まって来ます。

「これこれ、八五郎。まあ、許してやりなよ。」

「それだって、長さん。お前の着物が汚れたじゃないか。」

「おれのはいいが、隣の芸子さんの着物にも下地がかかって気の毒だ。」

「いえいえ。わたしのはようござりますが、お前さまのがお気の毒でござります。ここの茶話の若い者の麁相(そそう)でござりますさかい、どうぞ御堪忍(ごかんにん)なされて下さりませ。」

「これはこれは。いたみいります。」

と、互いに義理を言う所へ、播磨屋の女中も来て、

「なんじゃやら、茶屋の若い者が麁相いたして、御堪忍なされませ。」

「おっと、もうよいよい。それより女中、ちと耳をかしてくんな‥‥」

と、長三が耳うちをすれば、女中は心得顔で、出てゆきます。

「やいやい、茶屋の者。」

「はいはい、もう堪忍して下さりませ。頭を五つも張られて、うずきます。ことわりも無しに、あんまりじゃ。」

「ことわり無しに殴(なぐ)るのが、関東で流行(はや)るわい。」

「こないにうずいては、長(なご)うは流行るまい。じゃが、まあ縁起がいい。こぶが四つ出来て、ヨコブじゃ。間にロの字を書くと、よろこぶで、めでたいわ。」

と、殴られて喜ぶ馬鹿もあったものです。

 さて、さきほどの芸子が口をはさみました。

「そないはことはおいて。これ、茶屋の若い者。ちょっと耳を貸(か)しいな。よいか、岸野(きしの)さんのお頼みじゃぞ‥‥」

と、何やらこれも耳うちをすると、若い者は出てゆきます。

 ほどなく、二番目の「梅の由兵衛」の序幕があき、随分長い幕で、それも一幕切れた頃、播磨屋の女中が風呂敷包を持って来て、

「旦那様、ようやく出来ました」

「やあ、女中さん。これは今三条の松屋という呉服屋から取り寄せた紅掛花色(べにかけはないろ)の透綾縮(すきやちぢみ)の重継(かさねつぎ)。浅葱地(あさぎじ)の古金襴(こきんらん)の帯だが、お前の気には入るまいが、その汚れたものを脱いで、これにちょっと着替えてくんなせえ。」

「これはこれは。ありがとうございます。ところで、これは五条のかぎ屋という呉服屋から今(いんま)取り寄せました薩摩上布の帷子(かたびら)に博多の帯じゃが、おぼしめしに叶(かな)うまいけれど、ちょっと召替えて下さりませ。岸野さんのお心遣いでござります。」

「そんならお前のお志(こころざし)。ちょっと着替えて。」

「それならまたこちらの岸野さんも、あなたのお心遣いを、ちょっと着替えて。さぞ嬉しかろうなァ。」

と、女中におだてられ、岸野は芸子と言いながら、まだ十七才のうちば者。頬をぽおっとあからめて、ただ長三の男振り、京には見馴れぬ東風(あずまふう)。長三も岸野の容色に、いつかは慕(した)う下心(したごころ)。芝居の見物衆は、どよみをあげて手をたたき、

「えらい達引(たてひき)じゃ。」

「この京の祇園新地で芸子の玉と言われる扇屋の岸野さんと、もう馴染みになった。」

「江戸の旦那さんも、上手(うま)いもんだ。ひと幕たつかたたぬかの間に透綾縮(すきやちぢみ)の帷子(かたびら)に金襴(きんらん)の帯が出来たぞえ。おれの嚊(かか)の八丈の帯なんぞ五年間も締めっぱなしでけつかるが、未だに出来ないわいの」

「これ、外聞(がいぶん)のわるいこと。」

「岸野さんも江戸の旦那さんも、えらいえらい。」

 さて、外野のひやかしはともかくも、岸野は長三郎に話かけます。

「もしもし。どちらのお宿でございますか。」

「三条の大和屋でございます。」

「では、そのうちお訪ね申しましょう。」

 と、この後は、他のお客と酒盛りとなり、八五郎は酔っ払って前後のわきまえもありません。芝居も終わって、太鼓の音。テンカラ、テンカラ、テンテン、カラカラ、‥‥。お客はみるみるうちに帰ってゆきます。




 さて、長三郎は旅篭(はたご)へ帰ってからも、何事も手につかず、ただ岸野と逢いたいとばかり思っていました。

ここに大村屋のとよ蔵という男がございます。岸野が贔負にしている、祇園新地の茶屋を夫婦して営んでいる男です。岸野はこのとよ蔵に手紙を預け、長三郎の宿までとどけさせます。長三は、手紙を読むとすぐに返事を認(したた)めつかわし、さて、その夜初めて大村屋に行きます。長三はただ初心ぶって、挨拶もそこそこに、とよ蔵の女房が岸野を連れてまいります。二人を二階へ伴って、襖(ふすま)をしめて下に降りれば、あとは長三郎と岸野の二人だけ。差向(さしむか)いで心のたけを語りあかし、胸は晴れても後朝(きぬぎぬ)には雲りがちなる雨模様。この縁が実は悪縁で、後の歎きの種となるのでございました。




 この後、長三郎は金が要(い)る事が出来(しゅったい)して、八五郎を鎌倉まで下(くだ)したのですが、六月下旬に遣わして、はや六十日程たっても音沙汰無しで、東も西も分からぬ旅寝の空の下、長三はただ岸野のことだけを頼りにしてしておりました。

ある夜、また大村屋の二階に行ってみると、岸野の使いの少女が急用といって手紙を持ってまいりました。

「おお、よく使いに来てくれた。岸野の手紙か。よしよし、置いてゆきな。この間約束した人形は明日とってやるよ。」

と、少女を返し、開く手紙には次の通り。

「ちょっと申上候(もうしあげそうろう)。かねがねお話ししておりました大和の国のお客で三九郎ともうします人が、私を二百両で身請けすると言います。親方も承知して、私は大和にゆかねばなりませぬ。」

 金の無いところへ持ってきて、とつぜんの岸野の身請け話に、長三は動転しています。そこへ当の岸野が現れまして、言うことには、

「これ、長さん。私はもはや死んだも同前。詳しい事はさっきの手紙にに書いてある。今さらお前と引別れになって、大和へなんか行かれましょうや。いっそ殺して下さんせ。」

と、わっと泣出します。長三は、岸野の口に袖をあてて、

「ああ、声が大きい。ひょんな事でおれと関わりあい、出世する身をむざむざと‥‥」

「あれ、まだそんな事を言うて。また泣かすのかえ、長三さん。」

「ああ、下に聞こえる。静かにしな。今まで何かと世話してくれたとよ蔵に迷惑かけるも気の毒。どうせ我が身は、野晒(のざら)しか、草葉の露と消える身だ。さて、どこで死のうか。」

「さあ、わしも遠くは知らねども、いつぞや人に誘われて、遊山にでかけた嵐山。その下を流れるのは大井川。」

「おお、それそれ。鎌倉で見ておいた都名所の本にも、嵐山、渡月橋(とげつきょう)、はなの筏(いかだ)の大井川。その下流には桂川(かつらがわ)。目に見るように面白く読んだその本も、今はこの身の捨て所か。はかないものは世の中よ。」

 さて、この二人。

 手に手をとって、東男(あずまおとこ)と京女郎(きょうじょろう)。 世間に心中(しんじゅう)も多いと言うが、例(ためし)少なき妹背(いもせ)であるよ。 祇園縄手を横に見て、松原通りの暗がりを、人目を厭(いと)い藤の空。 心に頼む阿弥陀様(あみださま)。 言うべきことも口ごもる、はや壬生寺(みぶでら)の鐘の音(おと)。 今や二人の身の上も、はや散り初める嵐山(あらしやま)。 山裾(やますそ)濡れて、川浪(かわなみ)の、大井川へと着きにけり。

「長さん。ここからもう大井川でござんす。この世の名残りに、たった一目でよいから、お前の顔が見たい。」

「これ、岸野。ここが名高い渡月橋だけれども、空には月の光は無し。」

「暗き世界に惑(まど)うはかない命。明日には心中の噂も、きっとすぐに広まって、かかさんが嘆(なげ)きなさるでしょうね。」

「それは私も同じことよ。相模(さがみ)の親達がお聞きになって、お嘆きが思いやられる。これ、岸野。今聞こえた鐘は、たしか九つか。」

「九つの鐘を三つ聞いて。」

「残る六つの六道(ろくどう)に、迷わぬように、さあ、手と手をとろうぞ。」

「そんなら一緒に、長三さん。南無阿弥陀仏。」

 さて、長三も、「南無阿弥陀仏」と唱え、岸野の胸元をしっかと取る。岸野は称名(しょうみょう)を唱えて目をとじる。その白いのどぶえを、ぐさりと一(ひと)えぐり。「わっ」と言う声が一つして、今を盛りと咲く花が、はかなく散ってゆきました。

 長三郎も、岸野の後を追って自らのどを突こうとしました。ところが、この時。この男の心に、良くない思いがよぎりました。あたりを見回してつぶやくのです。

「どうも、嫌やになった。それより、この女の守り袋に入っているのは、確かに金(かね)。これさえあれば、思いのままだ。所詮(しょせん)こうなっては鎌倉へ帰られぬ身。北国街道を北に向い、京や鎌倉の様子をしばらくうかがおう。それにつけても、八五郎は、金をとりに遣わしたのに、道中で護摩(ごま)の灰(はい)にでも出会ったか、盗賊にやられたか。 それはともかく、今は自分の身の大事。人目をさけて逃げのびよう。四五年も隠れておれば、人の噂も七十五日、いざ。」

                                                            

長三はん、岸野は……
 足早(あしばや)にその場を立去ろうといたしますと、後ろから襟首(えりくび)がひんやり、身の毛がよだち、後ろへ後ろへとひっぱるものがあります。ふりかえって見ても、何が見えるわけでもありませんが、確かに気配を感じます。それは岸野の一念でしょうか、持った刀で何度も切払い、やっとの思いで逃(のが)れます。
う・ら・み・ま・す・ぞ・え〜

                                              


[]←大丈夫です。これをクリックしてね。  こうして長三郎は、京都を逃出し、北国街道から木曽路へ歩みを進めます。すると、はるか後ろから一人の旅人が追い付き、声をかけます。

「もしもし、若いお方。お前は関東の者と見た。わたしもちょっとした間違いをしでかし、長い旅をしている。もはや路銀は使い果たし、ご覧の通りの苦しい有様。ちょっとばかりお金をめぐんでもらえませぬか。」

「これはまた、無理な相談。善光寺参りの仏顔でもあるまいが、金があるならやってもいいが、こっちにも無いよ。」

「べらぼうめえ。二百文や三百のはした銭。面倒な無心(むしん)はもう言わねえ。お前の胴巻(どうまき)の左の腹に、金はあるのは見抜いているんだ。さっさと置いてゆけ。」

「ほう。もし金があるにもせよ、なぜ左だと言うんだい。」

「だから手前(てめえ)は馬鹿だと言うんだ。さっき川を渡った後の、着物の乾き方で分かるのよ。」

「何と言っても、金は無(ね)え。」

「下手(したて)に出りゃあ、つけやがりやがって。出さねえなら、こうして出させるまでさ。」

 ただの旅人かと思っておりますと、実は、これが護摩(ごま)の灰(はい)でございます。むりやり長三郎の胸倉(むなぐら)をつかむと、懐中に手をのばします。長三郎は、それをふりはらおうと争うはずみに、足を踏外し、崖下(がけした)の谷底へ転落してゆきました。護摩の灰は、それを見下ろし、

「なんでえ。金を取らずに、手に残ったは、あいつの片袖だ。ここから落ちれば生きてもいめえ。谷に下りて、明日の朝にでも探ってみるか。」

 さて長三郎は、はるか谷底。暗がりの中を手さぐりで歩きまわっておりました。

「ああ、恐ろしい。すんでの所で命をとられようとした。しかし、ここは、まあ、どこであろう。金は確かに懐中にある。しかし、京にいたとき馴染(なじ)んだ岸野からの手紙まで、あの盗人の手に入っては、後の難儀。とは言うものの、危うい所での、命の身代わりと思えば、安いものだ。」

と、手紙の言は諦めて、北国さして急ぎます。

 





 さて、それから十五年の年月が流れます。鎌倉、雪ノ下に軒を並べる現銀(げんぎん)商いの呉服屋がありました。その中でもひときわ目立つ一軒。主(あるじ)は帯屋長右衛門といい、暖簾(のうれん)には井筒に帯の紋が染め抜いてあります。さて、内儀(ないぎ)のおきぬが勝手(かって)の方から出てきて、長右衛門に言います。

「もしもし、今となりの信濃屋のおかやさんから頼まれました。御亭主半右衛門さんがお風邪だそうで、今度の江の島参詣は、かわりに娘さんのお半さんを遣わしたいのだそうです。講中のみなさまに宜しく伝えておくれと言います。また、娘さんはまだ十五。厄介かとは思いますが、あなたが十分面倒見てやって下さいな。」

「おれも忙しい渡世ゆえ、参詣どころじゃないのだが、講頭(こうがしら)なれば、仕方無い。となりの娘御(むすめご)の事は心配はない。お前は留守をしっかり守っておくれ。」

 さて、講中の者二十人ばかりして江の島参詣。 滞りなくすませ、様々な楽しみもあり、帰り道には藤沢の水茶屋に立ちよりました。講中の一人が長右衛門に尋ねます。

「もしもし、帯屋の旦那。お前様はどういう縁やら、旅といえば八五郎と一緒ですねえ。」

「そうなんだ。随分以前の事だけれど、京都へ上った事もある。あんときゃ、とんだ事をしでかして、祟(たた)りが来ねえか、心配よ。それと言うのも、おれが大金持って一人旅。護摩の灰にふんだくられて、馴染みの岸野さんの身の代金が間に合わず、旦那と二人して、桂川で心中しようと‥‥」

「こら、八五郎。滅多(めった)な事を言うでない。」

「それよそれ。壁に耳あり、徳利(とっくり)に口あり。石が物言う世の中だ。石といえば、この寺で見た、小栗判官(おぐりはんがん)の石塔(せきとう)だが、あれは本物かい。」

「本当に昔あった事だ。横山という江戸の浪人が、この藤沢で旅篭(はたご)を営んでいた。本名は赤井牛九郎と言ったが、横槍を通すような山師だったから、人から横山と替名で呼ばれたのよ。その旅篭へ、常陸国(ひたちのくに)から逃げてきた浪人、小栗判官兼氏という人が、十人の家来を連れて十日ほども逗留していた。そのうちに、この旅篭の娘にこはだというものがあったが、いつの頃からか、判官と契(ちぎり)を交わすようになった。」

「もし、旦那。チギリとはなんのことだい。」

「契(ちぎり)というのは、男女の中のことだ。男女が馴染みになると、手と手を持(も)ち握(にぎ)る。モチニギリという字を略してチギリだ。さてそこで、横山は、小栗が所持する金銀を奪わんとて、毒酒をこしらえ、十人の家来は皆殺し。ところが小栗だけは、こはだからその陰謀を聞いていたので、その毒酒を呑まなかった。床の間にあった杜若(かきつばた)の花一輪を手の中で揉んで紫の汁を出し顔にぬって、毒にあたったように見せて『ええい、無念』と倒れてみせた。すきを見て逃げ出し、鬼鹿毛(おにかげ)という愛馬で、藤沢寺まで逃れ、住持にかくまってもらった。住持が、つなせという魚を焼けば、あたかも人間を焼くような匂いがする。そこへ横山一党が追い付いて、住持を尋問する。住持は、『確かに男が来たが、もはや死したゆえ、こうして焼いているのだ。さきの男は、もしや、そなたらが殺害したのではあるまいな』と、ごまかしつつも、おどかして、横山たちを追い払う‥‥」

「もし、旦那。ツナセたあ、どんな魚だい。」

「それは、このしろのことだ。そのわけは昔、下野(しもつけ)の国に、美人の聞こえある娘がいた。その土地の守護がこれを聞き、お妾に召されたいと仰せになった。ところがその娘には恋こがれた男がいた。娘の親も不便に思い、一計を案じる。娘は死んだと嘘の申し訳けをして、葬送の真似をして、つなせを焼いたのだ。その守護も、これを計略と知っていたのか、次のように詠まれた。

  しもつけのむろのやしまの夕けぶり誰(た)がこのしろにつなせ焼くなる

 物の本にそう書いてある。これ以後、このしろのことをつなせと言うようになった。」

「こいつあ、いい事を聞いた。今度から寿司屋にいったら、

のりと玉子とつなせをまぜて、

と言ったら、結構な学者だね。ところで、小栗判官は、やっぱり生きているのかい。」

「これ、八五郎。見や、あの門番の爺(じじい)が、小栗だ。」

「それじゃあ、火を焚いている婆(ばばあ)が照手姫か。鬼鹿毛(おにかげ)という馬は、どうしたろう。」

「あそこにいるわ。」

「長さん、あれは牛だわな。」

「もとは馬だったのさ。食っては寝てばかりいたから、牛になった。」

「旦那にだまされた。でも、嘘でも面白い。さて、講中のみなさん、旅篭屋へゆこう。」

 さて、皆が旅篭に着きますと、旅篭の主人が言いますには、今晩お帰りとは思わずに別のお客を泊めてしまったとのこと。すみませんが相部屋で、との申し訳けをしております。

「なに、構うことはないよ。大勢のほうが、楽しくて宜しい。」

「そうさ、旦那の仰しゃる通りだ。さあ、ごめんくださいよ。」

と、八五郎を先頭にみなは大部屋に入ります。長右衛門は挨拶も叮嚀でございます。

「これは、どなた様も今晩は。お喧(やかま)しゅうございます。皆がさつ者ですが、宜しくお願いいたします。」

 相部屋の客たちが、次々に挨拶します。まずは、西国の武士でございます。

「これはこれは、叮嚀な挨拶。わいどもは遥か西国の者でぎゃるが、一昨年国本より江戸表(えどおもて)へはじけまいりて、このたび、国本へ帰るぎゃ。袖すりあうも他生の縁ちゅう事ぎゃある。思いおこせば、一昨年の五月二十五日の極上吉日を選んで、家中のくせ馬はね右衛門の娘おさよを妻に貰い受けましたが、二十五日に一晩添寝(そいね)しただけで、二十六日に殿に召されて、江戸への出府の仰付け。そのまま仕度(したく)して浜辺へゆけば、妻のおさよが見送りにきて、天にあれば比翼(ひよく)の鳥、地にあれば連理(れんり)の枝、約束した甲斐も無く、互いの不運を嘆くのでぎゃる。船は順風に帆をあげ、離れる岸辺を見れば、可愛いや妻のおさよは、遥か山に登って微塵(みじん)も動かず、そのまま山川万里にへだてられて、はや二年。風の便りに聞けば、おさよはわいどもとの別れを嘆いて、その山で石になって、今は漬物の重しになっておるげな。とんとどうも、これが気にかかるばい。」

「わしらは遥か東の者でござる。三人連れで、先月国本を立ちやして、京、大坂、西国、四国をめざし、宿場(しゅくば)ごとの飯盛女(めしもりおんな)、その他諸国のお女郎たち。まず京は島原、祇園新地。大坂は新町、道頓堀。筑前博多に柳町、下関、長崎は丸山、寄合町、越後の新潟、所々方々(しょしょほうぼう)、お女郎買いとの思いつき、三人連れの色修行(いろしゅぎょう)だ。」

「わたくしは、呉服店に年季奉公いたす者でございます。このたび休みをいただきまして、京へ帰ります。京は、三条石垣(いしがき)先斗町(ぽんとちょう)でございます。」

「何んだ。今日三度、石垣からぽんと落ちたぁ。」

「こら、八五郎。冗談はよしな。さて、みなさん、今晩はここで、諸国の御方の寄合だ。夜を明かして、百物語はいかがでしょう。」

「そりゃあいい。蝋燭を百本燈して‥‥」

「これ、八五郎。その趣向は古すぎる。こうしたら面白ろかろうよ。向こうの離れ座敷に、青い紙を張った行燈(あんどん)に人数分の蝋燭を入れて、その脇に鏡台の丸鏡を置く。そこへ白無垢をふんわり掛けて、水向けの茶碗や線香をたてておく。」

「うう、気味が悪いねえ。」

「そして、この座敷で話をしおわったら、手探りで離れ座敷まで行って、鏡の前の白無垢を取って自分の顔を映してみる。行燈(あんどん)の明かりが青白いから、自分の顔とは思われず、だんだん怖くなる。そこで、何やら不気味な事が起こるかも知れないよ。」

と言いながら、「わあぁ。」と大きな声を出したからたまりません。皆びっくり。

「ああ、びっくりした。旦那も人が悪いや。さて、それじゃ仕度をしよう。」

と八五郎が手を打って下女を呼びます。

「白無垢はあるかい。」

「はい、ございます。しかもお弔いの時、棺桶にかけたものです。まだ三十五日もたたぬ仏様にかけた、生きのいいのがあります。」

「寿司のネタじゃあるめえし、気味の悪い事。一度仏にかけちまったのかい。」

「いいえ、五六度はかけました。しかも女の仏。」

「なお気味が悪いや。その仏はいくつになる。」

「はい、八十九才で死んだ婆様(ばあさま)でございます。」

「そんなら怖くねえや。幽霊になって出てきても、足腰は立つめえ。喰いつかれても、歯もあるめえ。じゃ、その仕度をたのむよ。」

 





 さて、百物語の始まりはじまり。まずは東の国の田舎人からでございます。

「まず、わしから語るべい。去年六月七日の夜のこんであった。わしの家からすこし離れた西方寺という寺がある。そこの石垣のそばに、立っているババアがいる。白髪を振り乱して、口は赤く耳まで裂け、何かにぼりぼり喰(くら)いついている。わしがうろたえていると、そのババア、細い腕を手招きをした。怖くなってたちすくみ、よく見れば、歯はぼろぼろ落ちるわ、口はほんとに真っ赤だわ。あまりの怖さに、肝も座って、ババアに言ってやった。『おれは恨みを受ける覚えは無(ね)え。お前は、定めて迷いの者だんべい。人間がこの世を去る時は、火は火、水は水へと帰るから、五輪の塔にも地水火風空(ちすいかふうくう)と書いてある。お前も成仏したがよかんべい。南無阿弥陀仏、地水火風空』、そう言うとババアは、『おれは、水火空(すいかくう)だ』と抜かしやがる。何のこったとよく見たら、西瓜(すいか)を喰(くう)ていた乞食婆だった。耳まで裂けた口と見えたのは、西瓜。こぼれる歯は、種だったべえ。さて、蝋燭を消してこようか。」

 「さて、次はわたくしでござります、聞きなせえ。四五年も前の事。遠国へ行きまして、山の中で、妙な者に逢いました。人のようでもあり、獣(けもの)のようでもあり、これがなんと、猿が年を経てなった、狒(ひひ)という妖怪でした。こちらが思うことをみんな悟ってしまう化物で、どうしたらよかろうと思っていると、『どうしたらよかろうと思っているな』と言います。逃げようと思うと、『逃げようと思っているな』と抜かします。脇差(わきざし)を抜いて切付けようと思えば、『脇差を抜こうとしたな』ときます。もう何も思うまいと考えると、『何も思うまいと考えたな』と言う。出し抜けに後ろから踊りかかって、切付けましたが、刀も通らない。仕方無いからそのまま背中におぶさり、うまい具合いに狒の金玉を掴(つか)んで、そのまま握りつぶしてやった。仕留めてみると、孕(はら)んでいるゆえ、腹を裂いてみると、子猿が五匹いる。一匹三両で、十五両の儲(もう)けになった。」

「それは嘘だろう。金玉のある猿が、孕むわけない。」

「いや、そうでは無い。猿も年を経ると、男女両有を兼ねるものだ。さあ、次は京のお方。」

「はいはい、わたくしの番でござりまするか。聞いておくれいな。今から見れば、十五年も前の事。わたくしが十か十一の年の頃、祇園新地の扇屋の岸野さんと言う芸子がおり、三条通りの旅篭屋に逗留中の東国のお方と馴染みになりました。その頃わたくしは子供ゆえ、その人の顔も知らず、話に聞いたばかりじゃが、その色事がだんだん難しうなって、とどのつまり、桂川で心中いたしました。男の死骸は川に流れたとの噂。岸野さんの死骸は、親方が引取り葬りました。それからと言うもの、夜更けに桂川のほとりを通ると、折々若いお女中が泣いておるとのことです。『お前はこんな夜更けになんで泣いておられるのか』と聞くと、『はい、わたくしは男の行方を探しておりまする』と言うて、また泣く。『その男というは誰じゃ』と問えば、『今は遥か遠いところにおいででござりまする』と言う。『お前の家はどこじゃ』と問えば、『わたくしは扇屋の岸野というものでござりまする』と言う。『それは三年前にここで心中した芸子じゃないか』と言うと、『はい、わたくしがその岸野でござりまする』と、哀しそうに上げるから、見れば、びっしょり濡れた髪の向こうには青白い顔。びっくりして、後も見ずに逃げて来た、とはわたくしの向いに住む十兵衛様の話でござります。なんと怖い事ではありませぬか。」

 と、話のうちにも、長右衛門は心の中で念仏を唱え、顔色は青ざめ、歯の根は合わず、ぞっと身の毛のよだつ折、風が吹き来て、一座の明かりが皆消えました。一同はわっと騒ぎ出し、ようやく明かりをつけて、皆々、「仕舞(しまい)にして、寝よう」と急(せ)き立てられ、めいめい蒲団に入ります。

 





 長右衛門は、昔の悪事を思い出して寝られません。その時に、信濃屋の娘お半が長右衛門の所へ来て、

「お吉さんとお留さんと一緒に臥(ふ)したけれど、怖くて寝られませぬ。お前の所において下されませ。ああ、怖いこわい。」

「これ、お半。これはどうした事。子供とは言え、もう十五だろう。外聞というものがある。さあ、あっちにゆきや。」

「それでも怖くて、行かれませぬ。ああ、怖い。」

 そう言って、お半は長右衛門に抱付きます。長右衛門も、その子供っぽい振舞いに、つい心を許して、

「それなら、この夜着(よぎ)の内に少しだけおいてやる。今にあっちに行くのだよ」

と、言う先から、何やら蚊帳(かや)の上でがさごそ音がする。見れば、蚊帳の上いっぱいに女の黒髪が広がっている。その中に、ありありと見える岸野のおもかげ。二人の様子をじっと見て、苦々しく笑っております。お半は声もたてられずに気絶して、一晩中介抱したのも、後の難儀を招くこととなるのでございます。

あはは。おやじぃ、いかんね〜(訳者)

                                                                                                                 


 この後、半年ほどたっての物語。

「もしもし、長さん。女房のわたしが小言がましく言うのも何ですが、お前はあんまりじゃございませんか。女郎狂いや芸子だてには我慢もなりますが、年端もゆかぬ生娘(きむすめ)のお半さんを、あんな身体にして、世間に何とお詫びをしたらよいか。あんまりの仕方じゃ。それに世間では、帯屋には何か祟りがあるなどと言う者もある。人の噂も七十五日と言います。一旦身をかくして、また出直してはどうかと思います。後は私がなんとか取り繕っておきます。それにしても、仮初めとは言え、別れはつらい。」

と、女房おきぬの真実の異見(いけん)

 長右衛門は、一人になってつくづく考えるに、

「ああ、めぐる因果は糸車。思い起こせば、十五年前。後先(あとさき)無しの無分別から、岸野を殺し、あちこち逃げまわったが、噂も止み、もうよい時分と思って名前を替え、今では帯屋長右衛門。年はたっても後悔の気持ちが晴れることは無い。いつぞや旅の折の百物語の夜、ありありと岸野のおもかげ。そのはずみに、怖がるお半を抱き寝して、たった一度が因果の胤(たね)。今、おきぬが言うように、世間への顔向け、信濃屋夫婦への義理立て。どうせ一度は刀の錆(さび)と消えたはずのこの命。潔く淵(ふち)に身を投げて死ねば、岸野の執念も消えるであろう。」

 覚悟を決めて、長右衛門は、こっそり裏口から出てゆきます。そこへ来たのが、信濃屋お半。

「長右衛門様。」

「ああ、お半か。」

「はい、さきほどからおきぬ様の御異見を聞いておりました。どうも生きてはいられぬと思います。私も一緒に殺して下さりませ。」

「これ、泣くな、お半。他所(よそ)へ聞こえる。さあ、覚悟はよいか。一緒に死のう。」

 と、背中におぶって行く所へ、京から逃げる途中で出会った護摩(ごま)の灰(はい)が現れました。

「やあ、長右衛門の人殺し。証拠は、木曽路で手に入れた岸野からの手紙。これを持って、代官所へ訴えようか。」

 そこへ八五郎が現れて、

「長さん、お半さん。死ぬには及びません。ところで、手前(てめえ)は、いつぞや愛知(えち)川で逢った護摩の灰であろう。手前の為に、長さんの身の難儀。こうしてくれるわ。」

と、護摩の灰の腕をねじふせようとします。護摩の灰は、逃げ出そうとして、皆して追掛けてゆきます。と‥‥。

 





 その時、岸野は驚いて、

「これこれ、長三郎さん。目を覚ましいな。きついまあ、うなされ様(よう)。どうしたのかえ。」

 長三郎は、びっくりして目を覚まし、あたりを見まわして、みな夢であったことに気付きました。

「どうしたもこうしたも無い。話せば長い事だ」

と、一部始終を語ります。夢は五蔵(ごぞう)の疲れと申します。語り終わっても、長三郎は未だふさいでおりました。岸野も、やはり涙ぐみ、

「私を請出そうという大和のお客もあり、ああ、この身の難儀。」

 気持ちは沈んでおりました。そこへ、茶屋のとよ蔵夫婦が、扇屋の亭主と八五郎を連れてやってまいりました。

「もしもし、長三郎さん。お前の様子を親御様が案じて、八五郎さんがお金を預かって来ました。」

「よう、長さん。金が為替(かわせ)でやってきたよ。江戸からの土産だ。江戸の川瀬(かわせ)の水車(みずぐるま)、湯水のように使いなせえ。」

 と、八五郎が申しますれば、扇屋の亭主も、

「岸野さん。お前の身請けの話も、埒(らち)があいた。うれしいことじゃないか。大和のお客という人は、長三郎さんの叔父さんにあたる方。八五郎さんが付添って、これから晴れて鎌倉へ行くがよい。道中の用意もできました。」

 と、万事めでたし。あげ羽の蝶三郎(ちょうざぶろう)、喜びのまゆを開くや、扇屋の岸野を連れて、東(あずま)へ下ってゆくのでございました。




 さて、盧生(ろせい)は一炊(いっすい)の夢のうちに五十年の人生を悟りましたが、荘子(そうじ)の夢の蝶三郎は、人生の善悪を悟って、その後、長右衛門と名を替えました。また岸野は、一旦は身の難儀から心中(しんじゅう)を考えましたが、命も助かり、岸野の名から死の字を省けば、キノとなりますが、ノとヌとは音(おん)が通じるゆえに、きぬと改名して、舅姑も大切にし、呉服屋に相応な、絹布(けんぷ)ならぬ賢婦(けんぷ)として、とびきりのおかみさんとなりました。二人の間には女の子も生まれ、お半と名付けて、可愛いらしいなかにも、草双紙を読んでは

「種彦[柳亭]と馬琴[曲亭]のがおもしろい」

などと、年に似合わぬこしゃくもの。また八五郎は、弟同様に仲よくし、同じ帯屋の家名を譲り、ゆくすえ長き繁昌。では、これにて正蔵の、怪談桂の川浪の一席、めでたいうちに、おわりまする。


 





◆怪談落語の濫觴は笑いと表裏の恐怖

怪談桂乃河浪(かいだんかつらのかわなみ)

作者=初世林屋正蔵
成立年代=天保六年
解題(由来、成立事情など)
作者は江戸の落語家、初世林屋正蔵。天保十三年(1842)六月五日没。生年は天明元年(1781)頃。三遊亭円朝「牡丹灯篭」を頂点とする怪談落語の先駆者で、怪談咄の祖と言われる。文化三年(1806)、寄席話の祖と言われた三笑亭可楽に入門。後に独立し、文化十四年(1817)から江戸西両国の寄席で怪談咄を始め、鳴物や人形・仕掛けを用い、ろくろ首を飛ばした。高座の傍らその咄を二作の合巻にしたが、天保六年に剃髪・引退した後の最初の合巻が本作。絵師は歌川国貞。浄瑠璃『桂川連理柵』(安永五年初演・菅専助作)で有名な「お半長右衛門」の世界を怪談咄に仕立てた。尤も、随所に笑いの要素がある。上方者と関東者とのちぐはぐな対話によって東西文化を比較をし、皆で百物語を語る場面では何れも怖い話と見せて笑いのオチをつけ、他にも芝居の声色、駄洒落の多用等、かなり脱線が多いが、それも正蔵の怪談咄の面白さの一つだろう。
活字本=現代語訳に河出書房文庫『日本怪談集/江戸編』。(c)高橋明彦

この解説は、別冊歴史読本『日本奇書偽書異端書』(新人物往来社・1994年4月)に高橋が分担執筆した記事をもとに、初出本に記した解説もちょっとまじえたものです。

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初出 :『日本怪談集/江戸編』(共著) 河出文庫(1992年 7月)
現代語訳:(c)高橋明彦 1997年2月1日 HTMLによる公開

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予告無しに環境をいじって、ごめんなさい。物語のクライマックスなもので、ちょっと驚いてもらおうと思いまして。リンクに下線を引いてる人は、バレバレですが、画面上でマウスを適当に動かすと、元の背景色に戻る地雷があります。ちょっとつきあってください。

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