H19 10/31 開講
エネルギー事情がわからないと、
今の教育の勘違いぶりはわからない。
Written by Dr.M.Ohtani
at Kanazawa College of Art
1.Sさん 2.友人Y 3.マンゾーニ 4.孝三郎 5.英二 6.次郎 7.龍之介 8.正則 9.哲次(仮名)
10.ジョージ 11.セルシウス(摂氏) 12.スミス 13.利貞 14.Jay 15.Jay2 16.久美子 17.ウィルソン 18.Jay3 19.私
20.ニーチェ 21.卓郎 22.ソディ 23.リンダ 24.フィッシャー 25.ハインバーグ 26.孟司 27.ダイアモンド 28.ホリス 29.治
30.ハバート 31.治2 32.治3 33.ゲーテ 34.アリストテレス 35.ヤング 36.ジュール 37.ジュール2 38.治4 39.ダービー
40.ニューコメン 41.ワット 42.達雄 43.カルノー 44.グッドシュタイン 45.マルクス 46.ニーチェ2 47.ヴィドマン 48.ハインバーグ2 49.アトキンス
50.アトキンス2 51.アトキンス3 52.孟司2 53.俊一 54.耕二郎 55.ソディ2 56.バチャリエ 後篇
石油減耗時代の教育 (前篇)
わたしたちがほんとうに研究しなければならないのは人間の条件の研究である。
『エミール』 ルソー
その昔、金沢にはAnotherOneというバーがあって、私は常連客の一人でした。今でもAnotherOneの元マスターを囲んで年に2度ほど飲み会をします。 Sさんと知り合ったのは15年前のことで、シーバス・リーガルのボトルを賭けて腕相撲をしたのがきっかけでした。
さて、Sさんの一人息子も今では20歳の大学生になっているのですが、この前の飲み会のときにSさんは、「息子を呼んでもいいか。説教してやって欲しい」と言うのです。 どうやらSさんの息子は将来に漠たる不安を覚える悩める若者なのですが、対応に困っているようなのです。
「もう日本はダメでしょ。外国に行こうと思うんです」
「で、一体何するの?」
「・・・・・」
「目的も持たずに外国行ったって、どうにかなるわけないでしょ。年間何万人も留学生がいる今や、外国帰りだからって明治時代のように重用されるわけでもないし。 そもそも今、石油生産がピークなんや。石油減耗の影響は世界規模やからな、経済がおかしい状況では、マイノリティは虐めの対象になるで」
「・・・・・」
「外国人もな、飯食って、糞して、寝る、という生物としての基本的な営みは日本人と同じなんや。そこに気がつかなアカンで」
そんな会話をしながら私は、あまり考えなくてもなんとかなった親の世代と考えても埒が明かない子の世代の感覚のズレを思わずにはいられませんでした。そして、一つ言えることは、往々にして親も子も道理に疎い、ということでしょうか。わけもわからずに悩んでいるわけです。
そんなわけで私は、経済学部だかに通っている彼に一つだけアドバイスをしてあげました。
「今度、講義が終わったら先生のところに行って、部分準備預金制度について教えてもらいなさい。そして、そのトリッキーなところをよーく考えてみなさい」と。
その会話をジャスダック上場某企業の取締役(高校の頃からの私の友人Y)は傍らでニヤニヤしながら聴耳を立てていたのでした。
Yとは長い付き合いなのだが、下ネタから政治・経済まで語り合える唯一の友人だ。 3年くらい前のことだろうか、私がフレデリック・ソディの貨幣論を調べていた頃のこと、男二人でオシャレなバーのカウンターに並んで座って飲んだのは。 その日、私は複式簿記のことをYに尋ねた。というのは、Yは経済学部卒の取締役で、彼の会社の財務諸表の質問窓口を務めていたからだ。
といって私は、彼の会社の財務諸表に関心があったのではなく、複式簿記の考え方からすると、ウンコでも金が創れるだろう、という話題を持ちかけたのだ。「糞くらえっ」というのは彼の口癖の一つだったが、その日Yは私の話をまるで理解することができなかったようだ。
ユーレカの瞬間が訪れたのは、1年後のことだった。Yはずっと考えてくれていたのだった。Sさんの息子と私との会話に聴耳を立ててYがニヤニヤすることができたのには、こういう前置きがあったのです。
20世紀イタリアを代表する芸術家ピエロ・マンゾーニは「30グラム、自然保存」とのラベルが貼られたウンコの缶詰を制作し、同一重量の金価格で販売した。Yが務める会社がそれを買ったならば、彼の会社の仕訳帳の借り方にはマンゾーニの作品幾らと記録され、貸方にも同額の金額が記される。これが複式簿記の発明なのだが、これを一般企業の会計について考えてみても面白くはない。これを銀行業務に応用すると、興味深い事実が浮かび上がってくるのだ。
ところで、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、と言ったのはビスマルクらしい。歴史を顧みるならば、人は私がウンコに拘る理由を理解してくれるだろう。
堺屋太一著『時代末』によれば、20世紀に日本が軍国主義へと大きく傾く転機となった出来事は1932年の5・15事件だったという。海軍の青年将校や農民有志らが、要人の暗殺、銀行や変電所の破壊を図って決起した事件だ。変電所を破壊して帝都を停電にする計画は果たされなかったが、犬養毅総理大臣が凶弾に倒れた。
この事件によって、戦前の政党政治は機能しなくなったと評される。 というのは、当時の人々は卑劣なテロに反感をもちつつも、メディアが事件の犯行動機を伝えるに連れて、人々は次第に5・15事件の決行者に共鳴していったからだ。生活苦こそが犯行動機であり、100万通に及ぶ減刑嘆願書が集まったそうだ。新聞・雑誌には被告を讃える記事さえ掲載されるような事態へと展開していったらしい。5・15事件は政党政治が作り出した社会悪に対する義憤から生まれた事件として同情的な論調が醸されていったのだ。不幸にも、そのような論調こそが、政党よりもクリーンなイメージを保持していた右翼と軍部の影響力を強めて、凄惨なクーデター2・26事件を誘い、恐怖支配によって日本は戦争の泥沼へと突き進んでいったというのだ。
5・15事件の首謀者はウンコに思いを馳せる余裕がなかった。そのことが悔やまれてならない。
石油減耗時代の指針として「農業を基盤としたローカル・コミュニティの再生」に活路を求めようとする識者は少なくない。 だが、私たちは歴史から学んでおかなければならない。
旧制第一高等学校中退のインテリ橘孝三郎は、まさに農業を基盤としたローカル・コミュニティの再生に挫折した挙句、 急進的な社会改革を期して5・15事件に関与した農村活動家だったのだ。
橘は、「我々は今や勤労生活を捨てて強力団結を解消し、土を滅ぼして自滅せんとしている。しからばなすべきこともまた自ら明らかではないか。我々は今や正に土に還らなければならない」、「土に還れ、土に還れ。土に還ってそこから歩行の新なるものを起こせ。それのみが自己と他と一切を開放すべく我等に示されたる唯一の途である。それのみが都市農村と全国民社会を救うべき大道である」(『農村学』)と説いていた。だが、農民の自助努力だけでは生活がまるで改善しないという現実に橘は悩んでいた。そんなときに、軍部の革新派との邂逅があり、橘は急進的な社会改革を求めて右翼陣営に身を投じることになったらしい。
松沢哲成氏による橘孝三郎の伝記(『橘孝三郎 日本ファシズム原始回帰論派』)によれば、小菅刑務所に入獄後間もない頃の橘孝三郎は、ローマ史と金融論を中心とした読書・研究に時間を割いたようだ。そして、獄中で金融論を研究した橘孝三郎は相当なショックを受けたらしく、昭和9年から10年にかけての獄中手記に次のような言葉を残している。
「最も注意されなくてはならないのは、社会それ自身の経済的性質である。即ち、富と云うものは本来的に社会的なものであると云う事である。これを考える事なしに、貨幣又は信用と云うことを考へる事は不可能である。」
「調和されたる社会でなければ、調和されたる交換はあり得ない。従ってまた、調和されたる生産分配もあり得ない。次の時代は、何よりも先に貨幣の管理に成功せんことを要求しておる。…交換なき社会はない。社会だといふ事が交換だという事である。」
「信用までが国家が管理統制する必要が、勿論ある。」
「どうしても一切を強力なる国家権力の統制化に持ち来らさねばいけない。でないと皆なまいってしまう。あの有様、この有り様を見る。人間らしい人間があるか。あられない。あられる道理がない。」
おそらく獄中で橘孝三郎は、金融のしくみの問題点つまりは農民が窮乏する根本的な原因に気づいたはずだ。だが、不幸にも塀の外では、報われない勤労をも厭わぬ皇国農民精神の鍛錬陶冶が活発になっていた。日本の教育史の中では、郷土愛と勤労主義を掲げた農本主義教育がファシズムのイデオロギー形成に寄与したと解釈されてもいる(久保義三『新版 昭和教育史―天皇制と教育の史的展開―』)が、郷土愛と勤労主義を説いた当の橘孝三郎は、マネーがいとも簡単に創り出され、それを人々が有り難がることで都市の論理が支えられ、それゆえ郷土愛を育もうにも都市化が進み、農民の勤労は水泡に帰してしまう、ということに気づいていたはずなのだ。
戦後、誰もが豊かさの増進を実感できた経済成長の時代、「土に還れ」との哲学はほとんど顧みられることはなかった。日本の経済力が底上げされたことで、日本列島の環境収容力が上げ底になっていることは忘れられてきた。潤沢な石油資源を前提とした幸福な時代が続いたが、気がつけば、日本の田舎は無茶苦茶になり、行き過ぎた都市化は歴然としている。そして、いみじくも橘が金融論を学んで直感したように、今や大勢の人々がまいっている。だからこそウンコのことを考えて欲しいのだ。
石油減耗に関する論考には、しばしば戦前の日本の振る舞いが引き合いに出されるのだが、 そのような論考は戦争を知らない日本人にさえ苦々しい思いをさせる。 だが、それでも私たちは何らかの教訓を引き出しておく必要がある。
小熊英二著『<民主>と<愛国>』は、日本の「戦後思想」が戦争体験の思想化であったことを示した著作だが、その第1章は「モラルの焦土」と題され、戦時下の物資不足の中で露呈した人間の醜悪さについての記録が多数収められている。 軍や軍需工場、統制団体の関係者の多くが、横領、ピンハネ、横流しといった不正を働いていたこと、食糧配給ルートを握った役得者による横暴、食料と物資の不足による治安の悪化と盗難の増加、知識人の保身的振る舞い、尽忠報国を説いていた者が私利私欲にまみれていた実態など、まさに「モラルの焦土」と化していたことが紹介されている。食料の分配をめぐって疎開者と地元民の争いが発生しており、戦時下に農村に疎開していた学童が戦後、村を離れて帰っていく際に、「ケチケチ百姓、ドン百姓、鬼百姓」と叫びながら行進していった様子の目撃談が記されている。上層家庭の子女が通う青山女学院でも弁当の盗難が相次いだそうだ。また、戦中から終戦後にかけて、なけなしの家財や衣類を携えて農村へと買出しに出かけた都市住民たちが、自分たちの家財を二束三文で買い叩く農民に反感を持ったことが、「買出群は何れも官僚と農家を極端に怨み、餓死するときには大臣か農家の軒下で死ぬのだと口を揃えて言っている」との新聞報道と共に紹介されている。一方で、農民たちが「都会のやつらも、こんどというこんどは百姓のありがたみがわかったずら」と述べていたことを記した渡辺清の日記も紹介されている。
都市の住人がエロ・グロ・ナンセンスの空騒ぎに興じていたのは、日米開戦の10年ほど前のことだが、誰が食料に窮するような事態に至ることを予期していただろう。橘孝三郎が説いたように、「土に還ってそこから歩行の新なるものを起こ」していたならば、食糧不足もいくらか緩和されていたにちがいないが、そのような社会的選択はなされなかった。5・15事件によって農村の窮状がクローズ・アップされた年の第62臨時国会は救農国会とも称されたが、貧弱な救済予算に農民は淡い夢を抱いただけに終わり、その予算も2年後には軍事予算の膨張によって打ち切られ、それどころか農民は戦争に駆り出されるようになった。そんな経緯を踏まえれば、戦中戦後の都市中産層と農民が反目し合った状況というのは実に哀れだ。
石油減耗に関心のある人々は、Jim Kunstlerの言葉に耳を傾ける。 2007年10月29日付けで発表された「仮説」には、日本のことも言及されている。 「ほとんどの人々は日本が化石燃料の95%を輸入していることを慮ったりしないものだ。 日本は20世紀の中頃から世界の国々の中でもgood boyであり、工業国としての繁栄を長く謳歌してきた。 けれども、力のある国々の市場にうまく分けられるほどに世界には十分な石油がないということになったら、どうなるだろう? 日本はのたうち回って死んでしまうのだろうか?彼らはトヨタの工場を閉鎖して、おとなしくお茶会でも始めるのだろうか? 思うに、日本は自制心を失うだろうね・・・」
戦前も今も、この国では資源・エネルギーが絶たれるような事態になれば、食料不足に陥ることは不可避な状況にある。そのことを予見できなかった人々が辛酸を嘗め、被害者意識を募らせたが、行く末を予見して自ら行動した一人の男が戦後復興に大きな足跡を残したという美談は石油減耗時代を展望する上で参考になる話だろう。
橘孝三郎が農業を始めた頃、実業家の息子であった白州次郎はペイジ・グレンブルック1919型というアメ車を乗り回すような贅沢な暮らし向きであった。その後、白州はケンブリッジ大学に学び、帰国後、英字新聞社勤務を経て会社役員を歴任した。また、樺山正子との結婚を機として白州は後に総理大臣になる吉田茂の知遇を得た。
太平洋戦争が始まり、統制経済下での会社役員の存在意義に疑問を感じていた白州が、敗戦と食糧難を見越して、鶴川村(現・東京都町田市)で農業を始めたのは1942年のことだ。白州は、自らの情勢判断にもとづいて、42歳にして農業を始めた。
終戦後、白州は吉田茂に重用され、「占領を背負った男」としてGHQと対峙し、また、通商産業省(現・産業経済省の前身)の設立に尽力して貿易立国の礎を築いた。白州は、戦後日本が生き残るための手筈を整えて、風のように実業の世界へと戻っていった。この戦後復興の立役者は、80歳になるまでポルシェを乗り回し、三宅一生のファッション・モデルにも起用されるなど、実に格好よい晩年を過ごした。
さて、太平洋戦争の終盤から戦後数年続いた食糧不足が都市中産層の農民への反感を生んだことは上述したが、戦後復興の兆しが見え始めた1950年に白州の口からこんな言葉が発されていた。「百姓は金に困って来ましたよ。よほど深刻になって来たと思うな。何かしなきゃ・・・・・・。そうして、およそ同情がないのね。みんな恨み骨髄だからね。ざまア見やがれという気もちの人が非常に多い。いけないな。」(白州次郎『プリンシプルのない日本』)
参考までに、1950年頃の様子を伝える興味深いエピソードがある。1950年に当時大蔵大臣秘書官だった宮沢喜一はGHQ経済顧問として来日していたデトロイト銀行頭取ジョセフ・ドッジに興味深い新聞記事を報告(御厨貴/中村隆英・編『聞き書 宮沢喜一回顧録』)している。それは「泥棒が入ってお金を盗んだ」という内容の新聞記事だ。現代人の感覚では陳腐な窃盗事件にしか思えないかもしれないが、宮沢の報告を聞いたドッジは非常に喜んだそうだ。泥棒がモノではなくカネを盗んだことは、カネの力が幅を利かせ、浅ましい人々のおかげで権力構造が保たれるような世の中に戻ったことの証左だからだ。
白州は1956年の朝日ジャーナルのインタビューで「なぜ百姓仕事が好きなのか?」と尋ねられて、こう答えている。「少しキザないい方だが、百姓をやってると、人間というものが、いかにチッチャな、グウタラなもんかということがよくわかるから」と(青柳恵介『風の男 白州次郎』)。このフレーズのインプリケーションがわかるようになるためには、やはり例のウンコ問題の答えを見出さねばならない。
石油減耗時代を展望するならば、「将来に対する唯ぼんやりとした不安」という言葉が浮かんでしまう。芥川龍之介が自殺前に遺した言葉だ。顧みれば、芥川が自殺した2年後、ウォール街を襲った経済的大津波は日本をも飲み込み、さらに2年後、日本は奉天において1945年の夏まで続く戦争の火蓋を切った。あたかも時代の風見鶏であったかのように、芥川の死後、人間の醜悪さが紙の上ではなく現実のものとなって露呈する時代を日本は向かえたのだ。とりわけ対日石油禁輸措置を伴った日米開戦後、物資の不足から日本は「モラルの焦土」と化していった。
ところで芥川は、第1次世界大戦の終結によって軍需ブームが去って先の見えない不況へと突入し始めた1920年に、拝金主義の浅ましい人間に道を説くかのような短編小説『杜子春』を発表している。『杜子春』のエンディングには畑付きの家に象徴される「人間らしい、正直な暮らし」(『杜子春』に出てくる表現)が用意されていたのだが、後年の芥川には破綻が待ち受けていた。紙の上と現実の落差というものだろう。
芥川より1つ年下の橘孝三郎は上に記したように、「人間らしい、正直な暮らし」を実践したが、頓挫、結果的に軍国主義化を加速させてしまった。
芥川よりも10歳若い白州次郎は、「人間らしい、正直な暮らし」を実践し、戦後復興に足跡を残した。
白州の就農のタイミング(1942年)は実に見事で、彼の生き様は「衣食足りて礼節を知る」(『論語』)という言葉を喚起させる。もっとも、石油減耗時代には、復興ではなく緩和 mitigation が課題になる。
情勢判断にもとづき白州が農地を探して移住を決めた1941年、米国による対日石油禁輸措置が講じられた。1941年12月8日、日米開戦の火蓋が切られた。日米開戦直前の1940年における日本の一次エネルギー総供給量は63,398x1010 kcalで、その66%を石炭、15%を水力が占め、石油の占める割合は7%であった。終戦の前年である1944年の一次エネルギー総供給量は52,946 x1010 kcalであり、その内訳は67%を石炭、24%を水力が占め、石油は1%未満になっていた。
1940年の一次エネルギー総供給量に比べた1944年の水準は16%ほどの減少だが、当時の社会状況を伝える証言を紐解けば、人々が16%だけ節約を余儀なくされたという程度の話では済まない。「欲しがりません勝つまでは」の耐乏生活が強いられ、総力戦遂行のための統制経済下、生活には必要のない軍需品の増産と引き替えに消費財の生産が抑えられたからだ。しかも、家の中から金属製の家具什器が姿を消すほどに金属類の回収をしてまで軍需生産を遂行したらしい。そんな物資供給力の絶対的な不足の中で、白州が農業を始めた年である1942年末の日本銀行法によって、日本銀行は政府の支配下に組み込まれ、無制限の資金供給が始まった。それによって、生活物資の買溜めや、売り惜しみが激しくなり、ヤミ値は急騰、国民大衆は物資不足とインフレに苦しんだのだ。
当時の食糧自給率は80%を越えていたが、米の生産は1940年の913万tから1944年の878万tへと減少、これは300万人分の食料減に相当する。そして、不足分を補うための輸入が輸送能力の低下によって落ち込んだ。漁獲量もまた1940年の352.6万tから1944年の245.8万tに減少した。他方、兵員数は1940年の154万人から1944年の539万人に膨れ上がっていった。言うまでもなく、兵員は生活に必要なものを生産するような活動には従事していない。いよいよ終戦の年となる1945年には兵員数は826万人に増え、農民からの徴兵が一気に進んだことと農機具や肥料の不足から米の生産量は587万tへと著しく落ち込んだ。一次エネルギー総供給量は1945年には1940年の水準の半分以下になった。そして、人々は塗炭の苦しみをなめた。
1982年に刊行された中村正則著『昭和の歴史A昭和の恐慌』には、「日本の国家財政は、いま赤字に苦しんでおり、一九八二年度の国債残高は九三兆円に達し、いずれ「一〇〇兆円」のラインを突破するのは確実とみられている。・・・ふりかえってみると、一九三〇年代の高橋財政のときにも、似たような財政危機に直面した」との危機感が吐露されていたが、1930年代を比較対象とするほどの出来事は起こらぬまま今日に至っている。そして現在、債務残高は1000兆円(国債残高は500兆円)を超えている。
私が勤務する公立大学では今年、市の財政課の職員による財政事情に関するレクチャーが催された。 なんとなく地方公務員は責任を国に押し付けている印象が拭えないレクチャーだった。悪いのは地方ではない、国の舵取りが悪いんですよ、だから先生方は我慢してね、という感じでした。
「金利がどうこういうときにはよく引き合いに出される高名な経済学者であるアーヴィング・フィッシャーが『100% MONEY』(1935年)って本を書いてて、その本の副題は「Designed to keep checking banks 100% liquid; to prevent inflation and deflation; largely to cure or prevent depressions; and to wipe out much of the National Debt」 って言うんだけど、そういうのちゃんと研究してるの?」なんて意地悪な質問をしたら、担当者はどんな反応をしただろうか。
ウンコ問題を解するならば、国債問題はたいしたことではなく、むしろ石油減耗時代には経済と物理の整合性を的確に捉えることこそが課題なのだ。
このHPの熱心な読者である哲次(仮名)君、ウンコ問題は解けたかな?
ともあれ、あまり考えなくてもなんとかなった親の世代と考えても埒が明かない子の世代の溝を埋めるべく、そろそろ本題である「教育」の話題を取り上げましょう。
エネルギーという言葉は小学生でも知っている。けれども、エネルギーを具体的に数量化して表現することに慣れた人は少ない。そもそも人類史において、数を表す記号が用いられ始めたのは、5000年ほど前のことであり、現代人と解剖学的には変わらないホモ・サピエンスが地球上に登場したのが10万〜20万年前と言われることを考慮するならば、数の扱いというのは人類史的には新しい高度な能力なのだ。それゆえ、ウンコ問題やエネルギーについて考える前に、数の概念を復習しておくべきだろう。そして、さらなる理解のためにほんのちょっとだけ論理的思考訓練を積んでおくことにしよう。
なんでもスリランカのベッダ族はココナツを数えるとき、一つの果実につき一つの棒を割り当てて、棒の束を保管するらしい。ココナツがいくつあるかと尋ねられれば、「これだけ」と言って棒を指すわけだ。棒の代わりに石ころを使っても同様のことができるだろう。石や棒を表す丸や線分を記録することで数を表現する方法へと技術進歩したことは容易に想像できるだろう。
しかしながら、数を表現するのにいつも「これだけ」と言っていたのでは、情報伝達が円滑に進まない。そこで、対象物に対応させた棒や石ころの数に応じて異なる音声表現や記号を用いると異なる数量であることを容易に表現・伝達することが可能になる。今でもローマ数字や漢字の数表現には対象物の数に応じて棒を対応させた名残が遺されているが、このやり方では数が大きくなると扱いが厄介で、さらに演算が遣りにくい。古代においては数を扱うことはエリートの専権事項だったに違いないが、インドで発明された0の記号を巧みに使って、中世中期のイスラム社会で数学の普及が促された。その名残はalgorithmやalgebraという言葉に今も遺されている。こうして、私たちはアラビア数字という便利な記号を使って数を扱う能力を洗練させた。
そこで、小学校1年生レベルのことから復習してみよう。
に対して、「林檎が1個」、
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に対して、「林檎が2個」、
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に対して、「林檎が3個」、
という具合に書き記すことに、大人は抵抗を覚えないだろう。
ところで、「林檎」は「りんご」と読んで、「」に対応しているわけだが、「2」は「に」と読んで、あれれ、何に対応しているんだ!?ということになることに気づいているだろうか。もちろん、「3」は「さん」と読むのだが、やはり何に対応しているかを書き表すことができない。実に、もどかしい。
「」のように、対象が外にあり、視覚的に捉えることができる場合、その呼称や表現するための記号を対応させている事実に気づくことは容易だ。だが、数の概念のように、それを表現するための記号ばかりが外に氾濫していて、よくよく考えてみると、その記号で表現している対象は一体どこにあるのかわからない場合の方が多い。
エネルギー問題を伝達するには、人々がエネルギーにまつわる数量関係を認識できなければならない。だが、思いのほか、人々は数の概念について深く考えていない。
気づくべきことは、数字を使って表わしている対象は私たちの頭の中で認識されている「量quantity」の感覚に対応しているということであり、それをそのまま外部に取り出すわけにもいかないので記号をあてがっているということなのだ。私たちは量に関して共通の感覚を持ち得るので、予め量と数字を用いた表現との一対一の対応関係を構築しておけば、量について伝達し合うことが可能になる。だからこそ、小学校一年生の算数の時間には、「![]()
」に対して「2」、「
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![]()
」に対して「3」のように、数字を対応させる訓練を積んだのだ。スリランカのベッダ族ならば「
」に棒を対応させる作業を怠らないが、私たちはその作業を頭の中で数記号を割り当てるように訓練を積んだわけだ。
数記号は頭の中で認識され得る量の伝達可能な表現形式として定着している。ゼロを含む数記号(アラビア数字)の発明は6世紀以前のインドでのこととされるが、量を数記号で表わすという抽象化自体は古代シュメール人の発明であった。そして、人類は数字で表わされる抽象的な量と量との関係にも気づき、今や学校教育において数の扱いの普及を図っている。量は必ずしもアラビア数字でなければ表現できないわけではないが、アラビア数字が一番普及しているから共通理解を得る上で世界標準の数記号として有用性が高いということに留意すべきだろう。
脳内に催される量の感覚に対応する表現形式としてアラビア数字が用いられていることを意識化するには、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する2+2=5を論証するという話を考えてみればよい。権力によって「![]()
」に対して催す量の感覚に「2」、「
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」に対して「5」を対応させるような教育訓練を施すならば、2+2=5が普通に罷り通るだろう。実際、「8」を意味する接頭語のはずのoct-ではじまるOctoberは、10番目の月の英語表現として定着し、それはローマ帝政時代の名残を留めてもいるのだから。
だが、すでに世界中の人々がアラビア数字を用いて、「![]()
」に対して催す量の感覚に「2」、「
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」に対しては「4」を対応させることが浸透しており、2+2=5を無理強いしようとすることは、数十億もの人々に共有される量についての表現形式に真っ向から修正を求めなければならない。それが権力なのだと言えばそれまでだが、2+2=5(two plus two makes five)は不合理性を端的に表現するための慣用句のように用いられてもいる。
学校教育は、私たちが知覚し得る対象とその記号を用いた表現との対応関係を標準化するように機能しており、それによって情報伝達が円滑に行われている。そして、記号そのものよりも対応しているということこそが肝要であることは、母国語でない言語を用いて会話が成り立つことが実感できることによっても確かめられる。
「」を見れば、日本人は「りんご」と言い、アメリカ人は「アップゥー」と言うだろう。
興味深いことだが、2歳児でも、「」のようなものに対して、音としての「りんご」を対応させる。やがて、音としての「りんご」を文字列としての「りんご」に対応させるようになり、中学生にもなると、私たちが「りんご」と呼んでいるものをアメリカ人は「アップゥー」と言い、「apple」と表記していることを知る。
殊更意識しないことかもしれないが、「りんご」と「アップゥー」は聴覚に訴える音として異なり、また、「りんご」と「apple」は視覚に訴える幾何形状としても異なっている。物理的に言えば、「りんご」と「アップゥー」とでは空気の振動具合が異なるのだから鼓膜への刺激が異なり、また、「りんご」と「apple」とでは光の反射部分が異なるのだから網膜への刺激が異なるはずだ。このように物理的には異なるシグナルであるにもかかわらず、私たちの脳ミソの中では同じように「」のようなものを指しているとして処理されている。
そこで、「apple」を「りんご」として理解できてしまうプロセスを、便宜的に等式を使って考えてみることにしよう。
どうやら私たちは日々の生活の中で知らず知らずのうちに、「 という対応関係を構築していたようなのだ。おそらくアメリカ人も殊更意識することなく、」=「りんご」 ・・・@
「apple」=「 という対応関係を構築しているにちがいない。」 ・・・A
@式の「」をA式に代入すると、
「apple」=「りんご」 ・・・B の対応関係が導かれる。実際、英和辞典には英語の「apple」が日本語の「りんご」に対応していることが示されているが、辞書を作成するプロセスとは上に示したようなプロセスだったのだろう。
ところで、英和辞典で「dialectic」を引けば、それが日本語の「弁証法」に対応していることに気づくのだが、「弁証法」とはどんなことかがわからないことには話が進まない。英和辞典は英語と日本語の対応関係を与えるものだが、多くの人が「apple」については「わかった」気になれるのに対し、多くの人が「dialectic」については「わかった」気がしないのはなぜだろうか。
思うに、「わかった」という感覚を持つことができるのは、辞書の中には表現できない@式のような対応関係つまり表現する記号と表現される事物についての観念との対応関係がすでに私たちの脳内に出来上がっているからなのだろう。
私たちは英和辞典を引いて、「apple」=「りんご」 の対応関係に気づくが、幼い頃からの経験によって、「りんご」=「 なので、」
「apple」=「 の対応関係を即座に導くことができるのだろう。幸運にも、私たちは「」
」についての観念を持ち合わせているからこそ、「りんご」を「apple」と言い換えたとしても、わかった気がするわけだ。他方、「弁証法」を子どものころに自然と身に付けた平易な日本語を使ってうまく表現できない人は、その「dialectic」との対応関係に気づいたとしても、わかったような気はしないだろう。私たちは、意味を知ろうとして、辞書を引くが、わかった気になれるかどうかは、辞書に記されている言葉が私たちの脳に刻まれた観念を呼び覚ましてくれるかどうかにかかっているように思われる。
そこで、教訓となる言葉を紹介しておこう。「どんな勉強においても、表現される事物についての観念がなければ、表現する記号にはなんの意味もない。しかも人はいつも子供にそういう記号だけを教え、それが表現する事物をけっして理解させることができない」(ルソー『エミール』)ということであり、当たり前のことだが、「あらゆる存在は、外界にあるか、あるいは脳内にあるとする。あるいは、多くの場合に、その両者にある」(養老孟司『唯脳論』)ということだ。表現するための記号と脳内に催される観念や知覚との対応関係に着目すれば、「数学は一つの言語なり」(Mathematics is a language.)という格言(ノーベル化学賞を受賞したジョシア・ギブスの言葉Mathematical notation is simply a language.に由来)にも納得できるだろう。
何年か前にロジカル・シンキングが流行ったが、もっとも根本的な対応関係が意識化されないまま難しいことをやっても益は少ない。逆に、この辺りのことに気付けば、佐藤雅彦の教育テレビでの試みが楽しめるのです。
「apple」は「りんご」だ。「りんご」は「 」だ。
ゆえに、「apple」は「 」だ。
このような論理の展開のしかたを三段論法という。
あまり意識しないことだが、私たちは成長の過程で知らず知らずのうちに、対応関係を身につけ、中学生になって辞書を片手に英文に触れることや、方程式を解くプロセスで代入計算を繰り返すことを通して、三段論法的な考え方を鍛えているはずだ。
人は当たり前に遣り過ごしていることを敢えて意識的に考えようとしないものだが、思いのほか、三段論法的な考え方は役に立つ。
たとえば、体温を測るとき、私たちは体温計が指している温度を体温とみなすのだが、どうして体温が体外に表示されるのだろうか。実は、ここにも三段論法的な考え方が使われている。
あえて旧式のアルコール温度計を使って体温を測った場合を考えてみよう。アルコール温度計は、着色されたアルコールを目盛りが刻まれたガラス管の中に封入しただけの単純な構造だ。温度計を脇の下に挟んでおくと、肌の温度(体温)はガラス管の温度と等しくなり、さらに、ガラス管の温度はアルコールの温度と等しくなる。ゆえに、体温はアルコールの温度と等しいということが導ける。そして、アルコールは温度に依存して体積が変わるので、細い管の中に封入されたアルコールの体積変化は細い管の中での伸縮に反映される。その変化を指標とすれば数値化された体温が求められるわけだ。
なお、日本人に馴染み深い温度単位は℃で表されるが、これは、スウェーデンの科学者セルシウスが水の氷点における温度計の液端の位置を0℃、水の沸点における液端の位置を100℃に対応させて、その間を100等分して作ったものだ。
熱力学の第ゼロ法則:AとBが熱平衡にあり、BとCが熱平衡にあるとれば、AとCも熱平衡にある。それは温度を測定することができる、ということだが、三段論法にほかならない。なお、温度とはエネルギーの流れる方向を教えてくれる性質である。エネルギーがAからBに流れたら、Aの方がBよりも温度が高いという。もしAとBの間で、接触しているのにエネルギーの流れがなければ、両者は同じ温度をもっており、熱平衡の状態にあるという。で、エネルギーって何?
三段論法を身につければ、世界の見方も変わる。
アダム・スミスの『国富論』には、「分業というのは、広い範囲にわたる有用性には無頓着な、人間の本性上のある性向、すなわち、ある物を他の物と取引し、交易し、交換しようという性向の、ゆるやかで漸進的ではあるが、必然的な帰結なのである」と記されている。要するに、ヒトにはある物と他の物とを交換できるという性向が備わっていたからこそ、分業という生産形態が導かれた、ということをアダム・スミスは指摘したのだ。もしも私たちにあるものと他の物とを交換できる性向、すなわちモノの次元での不等価交換をやってのける能力が備わっていなかったならば、食糧調達以外の営みに従事することは心許ないことであろうし、ある物と貨幣という他の物とを交換する貨幣経済は発生し得なかっただろう。
分業という生産形態が可能になることで、高度に専門分化した営みに従事する人々が現われ、現代人は高度なテクノロジーの恩恵に与ることができるようにもなった。食糧自給率がきわめて低い都市が存続できるのも分業に負うのだ。それゆえ、『自殺論』で有名な社会学者エミール・デュルケームは、「分業は社会の知的並びに物質的発展の必要条件であり文明の根源である」(『社会分業論』)と述べている。
さて、アダム・スミスは「ある物と他の物とを交換できるというヒト特有の性向が分業を可能にしている」ということを見抜き、デュルケームは「分業が文明社会を導いた」と考えた。両者の見解を三段論法によって結びつければ、「ある物と他の物とを交換できるというヒト特有の性向が文明を導いた」と言えるだろう。
私たちが住む複雑怪奇な文明社会の淵源は、学名ホモ・サピエンスと名づけられた大型哺乳動物に備わった特別な性向すなわちモノの次元での不等価交換をやってのける能力に遡及できるのだ。このことを、明治の文豪夏目漱石は、「何故人間が開化の流れに沿うて今日に及んだかといえば生まれながらそういう傾向を有(も)っていると答えるより外に仕方がない」(『現代日本の開化』)と言い残したのだ。
興味深いことに、国際霊長類学会会長を務めた西田利貞は、モノの次元での不等価交換について、それがヒトという生物種の特徴的性向であることを指摘している。
「ヒトと他の霊長類の違いは、後者には物と物の交換がないことである。チンパンジーには、たとえば、毛づくろいと毛づくろいの交換にみるように、行動と行動の交換はあるし、またつぎに見るように、行動と物の交換はあるが、飼育下での逸話的な観察を除いて、物と物の交換は確認されていない。」(『人間性はどこからきたか』)
ここで、行動と物の交換とは、チンパンジーのメスがふだんよく食料を分配してくれるオスやよく毛づくろいをしてくれるオスと独占的・排他的性関係を結ぶということだ。あまり顧みられないことかもしれないが、あるモノと別のモノとを交換できてしまうというモノの次元での不等価交換はヒトに特徴的な性向なのだ。
モノの次元での不等価交換ができた霊長類のヒトは、文明社会を築くことができた。他方、文明社会を築いていない霊長類の動物種は、モノの次元での不等価交換ができない。
「ある物と他の物とを交換できるというヒト特有の性向が分業を可能にしている」というアダム・スミスの主張は正しく、「分業が文明社会を導いた」というデュルケームの主張も正しい。そして、両者の見解を三段論法によって結びつけた「ある物と他の物とを交換できるというヒト特有の性向が文明を導いた」という主張も正しい。その主張が正しいのであれば、その主張の対偶も正しい。つまり、「文明が導かれないのは、ある物と他の物とを交換できるという性向が備わっていない」ということになり、実際、チンパンジーやゴリラのようなヒトに近縁な動物は高度な文明社会を築いていない。
養老孟司や岩井克人、最近では内田樹のように、頭いいなぁと思われる人がいるが、彼らは物事の対偶を考えることに長けているのだ。それはブッダや夏目漱石についても言えることだし、模範的なのは老子である。「天下皆美の美たるを知るも、斯れ悪のみ。皆善の善 たるを知るも、斯れ不善のみ。故に有と無と相い生じ、難と易と相い成り、長 と短と相い形われ、高と下と相い傾き、音と声と相い和し、前と後と相い随う。」ってね。
現代文明は、化石燃料に支えられている。その対偶は、化石燃料に支えられないならば、現代文明は成り立ち得ない。
論理的な思考力を鍛えると、推論能力が涵養される。
Jay Hanson が創始したウェブ・サイトwww.dieoff.orgは人類の持続可能性に関心がある人々にはつとに知られたサイトなのだが、1997年12月1日、Jayはアメリカがイラクを侵攻することになるだろうとの予想を書き記していた。それより他にアメリカが自国の石油生産の減少分を補う単純な方法は見当たらない、というのが彼の予想の理由だった。
それから5年後の2003年3月、アメリカは実際にイラク侵攻を開始した。彼の予想は的中したのだ。
もちろん、メディアを通じて私たちに伝えられたイラク侵攻の大義名分は、石油の確保というものではなかった。そもそも政治の要諦は、言行不一致というものだ。表向きの開戦理由はともかく、エネルギーを軸に据えた思索は、為政者の振る舞いを洞察し、私たちの未来を展望する上で有効であることに変わりはない。
洋の東西を問わず、民衆の不満が耐えられないほど鬱積すれば、政権基盤は保たれず、権力に群がる取り巻きもお相伴にあずかることはできなくなる。一般の人々が不満を抱く一番の理由は生活の困窮だろう。したがって、苛斂誅求のひどい体制であったとしても、政権が転覆しない程度の生活水準を人々が享受できるように為政者は腐心せざるを得ないはずだ。問題は、一定の生活水準を維持するには、それ相応のエネルギーが経済システムに供給されなければならないということなのだ。これは逃れようのない物理的大前提なのだ。
とりわけ石油は現代文明の生き血とも言えるエネルギー資源だが、石油の足りない国が石油を調達するには、通常、石油と等価値と目される何かを交換に供さねばならない。その何かを産油国が喜んで受取ってくれない場合、石油の足りない国は耐乏生活に甘んじるか、それが嫌なら石油を調達するための何らかの方策を講じなければならなくなる。
世界で2番目の石油埋蔵量を誇るイラクの元・大統領サダム・フセインは石油とドルとを交換することに難色を示すようになっていたが (F.W. Engdahl, W.Clark)、貿易赤字を続けるアメリカでドル以外に石油と交換するためのモノを探すことは無理な話だった。環境問題に訴えて耐乏生活を推進するのも一つの手だが、耐乏生活の推進に熱心な政権が自国内で支持を集め続けることは難しい。みすみす権力を手放すことが予見される方策よりも権力構造を温存する可能性が残る方策が選ばれたのは意馬心猿というものだろう。
実際に起ったことは、メディアを通じてテロの恐怖が人々に植え付けられ、米国民と同盟国の対テロ戦争への支持が集められたということだ。そして、架空の大量破壊兵器の脅威が流布され、イラク侵攻が始まった。
ところで、テロの撲滅やイラクの民主化に取り組むこと自体は、米国民の生活水準の維持に直結するようなことではない。二転三転した戦争の大義を純粋に果たすだけでは、やはりアメリカの石油生産の落ち込みと共に米国民の生活水準は低下して、政権基盤が弱体化することは避けられない。それは為政者が望むことではあるまい。
人々は空疎な言葉に踊らされてしまうものだが、一般の人々の生活水準を維持しつつ権力構造を温存するために必要不可欠なものは、なにはともあれエネルギーなのだ。
Jayの予想と現実に起ったイラク侵攻から私たちが推察しなければならないことは、なんらかの手を打たなければ凋落の一途をたどることが危惧されるほどにアメリカのエネルギー見通しが暗いということだろう。なにしろ世界規模での石油減耗なのだから。
昔の坊さんは衆生済度といって、無明な人々を浄土へと往生させることに生き甲斐を感じていたらしい。今日の預言者たちは、カタストロフィを語って人々を凹ませている。
不吉なことを言う人を英語でdoomsayerと言うが、Jayはその代表的人物だ。しかしながら、彼の考えにはしっかりとした裏付けがあり、石油減耗時代には無視し続けることができなくなるだろう。
Jayの考え方を理解するには、3つの視点を要する。
1.あらゆる変化にはエネルギーの流れが伴うという物理的視点
2.経済取引を伴う変化にはマネーの流れが伴うという経済的視点
3.あくまでも私たちは生物であり、包括適応度の増大を目指すべくプログラムされているという生物学的視点
困ったことを言えば、専門分化が進みすぎたがために、熱力学の法則と貨幣数量説と利己的遺伝子の話を包括して考えることが できる人は極めて少ない。しかしながら、これらの根本原理を知ることこそ未来を展望する上での最善の方途かと思われる。
私がまだ大学院生だった頃、『高校教師』というテレビドラマが放送されていた。真田広之扮する生物学教師が桜井幸子扮する女子高生に欲情する、そんな話だったように記憶しているが、とにもかくにもドラマの端々で真田広之は「リチャード・ドーキンスによれば云々」と言っては悩むわけだ。古典的だが、フロイト流の自我論でいうエスと超自我の葛藤ですな。
太宰治は「性欲の、本質的な意味が何もわからず、ただ具体的なことだけを知っているのは恥ずかしい。犬みたいだ」(『正義と微笑』)と書き記していたが、現代の生物学は犬みたいな人にも光明を与える。現代の生物学では、「種の保存」という考え方は幻想であったことが明らかにされており、生物は自己の遺伝子コピーをできるだけ多く確実に遺すべく行動していると考えられている。「利己的遺伝子の願いは、ひたすら自分のコピーを増やすということである。実のところ個体の行動を決める最大のカギは、種の繁栄でもなく、個体の利益でもなく、遺伝子のこの利己性にあるのである」(竹内久美子『そんなバカな!』)というわけだ。
どう足掻いても私たちは生物である。動物行動学を囓ったことのある者は、戦時下の様子を伝える次の文章をどのように解するだろうか。
「物資の不足が著しくなった戦争後期には、大蔵大臣だった賀屋興宣が杉並区内の木炭を自宅に買い占めているとか、失火で焼けた荒木貞夫陸軍大将の家から大量の隠匿食料が出てきたといった情報が、口伝えで広まっていた。彼らは、耐乏生活や「滅私奉公」を、公式の場では訓示していた人びとだった。のちに吉田茂内閣の文相となった倫理学者の天野貞祐は、戦時期を回想して、「皮肉なことには、自分を持たないはずの全体主義者達が事実においては最も私利私欲を追求する人々として、一番自分を持つ人々であった」と述べている。」(『<民主>と<愛国>』)
ヒトもまた自然選択の所産だが、その考えを追求するならば、「どんな生物も、その遺伝的歴史によって形成された諸規範を超越する目的などというものを持ってはおらず、人間もその例外ではない」(E.O.ウィルソン『人間の本性について』)という見解に至るだろう。そして、「脳というものが存在するのは、それを構築せしめる遺伝子群の生存と繁殖にとって、脳自体が促進的効果を示すから」(ibid.)ということを認めざるを得なくなる。
「自分を持たないはずの全体主義者達が事実においては最も私利私欲を追求する人々であった」ことが観察されたわけだが、彼らは単に自らの遺伝子群の生存と繁殖を促進すべく振る舞ったと言えなくはない。それは人々の憤りの対象だったかもしれないが、生物学の発展によって、そのような振る舞いの根っ子が見透かされるようになったのだ。
そのようなわけでウィルソンは、「我々が自らの運命を自分の手で決めるということは、自らに備わった生物学的特性を頼りとした自動操縦をやめて、生物学的知識にもとづいた手動操縦に切り換えねばならないということなのである」(ibid.)と言った。
ウィルソンの『人間の本性について』は1979年のピューリッツァー賞受賞作だが、30年ほど経った今、人々が生物学的知識にもとづいた手動操縦に切り換えるほどに自省的になったかと言えば、そうではない。このことが、Jayをペシミストたらしめる一番の理由だろう。
Jayが2007年にSocial Contact誌に発表したエッセイは、THERMO/GENE COLLISIONというタイトルだが、石油減耗という条件の下で熱力学の法則が示唆すること(エネルギー制約)と利己的遺伝子の目論見(包括適応度の増大)が真っ向から衝突する事態を懸念した論考である。なにしろ石油減耗なのだから、否が応でも化石燃料に依存しない社会へと変革を遂げざるを得ず、2050年のパーマカルチャー社会を想像することは容易だが、そこにたどり着くまでが修羅場と化しそうなのだ。
基本的に私たちは遺伝子に操られており、生物学的本性上の必要を充足することを指向せずにはいられない。
それはそうとして、他の動植物にはできない奇妙な性向を私たちは具備している。あるモノと他のモノを交換できてしまうという特殊な能力である。それが文明発展の大本だということは、上に記したが、どうして人類はこのような能力を備えたのか、ということを考えるような奇特な人はあまりいないだろう。
ほとんど売れなかったが、私は以前、京都のとある出版社から文明論を書いてくれと頼まれて、この難題について考えた。
人類の歴史において農業が始まる前は、食料調達に苦労したにちがいない。私たちに最も近縁なチンパンジーが集団で狩りをするように、原始時代のヒトも集団で狩りをしたにちがいない。チンパンジーは乱婚という配偶形態であり、父親であることの確信が持てないせいかオスは子育てに参加しない。他方、ヒトの配偶形態は一夫一妻が主流であり、父性への拘りが強いことが推察される。
幼稚園もなければ、0歳児保育などあり得なかった原始時代、非常に長い扶養期間を要する大型哺乳動物であるヒトが、子育てに成功する一番の秘訣が何かと言えば、夫婦円満だったにちがいない。今でもヒトのオスは、遺伝子コピーを広めたい衝動と遺伝子コピーの確実な継承という葛藤に苛まれているが、行政サービスのなかった原始時代には明らかに遺伝子コピーの確実な継承を指向したものが適応戦略として有利だったにちがいない。
それはつまり、周囲の性的魅力に翻弄されずに子育てに励み、性的魅力の乏しくなった配偶者を性的対象として捉えるという能力である。これを抽象化するならば、「ある」ものを「ない」ものとし、「ない」ものを「ある」ものにする能力である。かくして、インバータのような働きが脳に構築されたと思われる。
論理回路はスイッチ(1→1、0→0という情報操作)とインバータ(1→0、0→1という情報操作)から作られるが、生得の動物的本能とも言える生存と繁殖を促すような対象に素直に応答するスイッチのような神経細胞と、長い扶養期間を要するがための夫婦の絆の形成に伴って脳に多分に培われたであろうインバータ的神経細胞との複雑なニューラル・ネットワークは論理回路のように機能し得るだろう。
馬鹿げた仮説に思われるかもしれないが、私の人生経験から言って、論理的に考える人は夫婦円満である。2007年に実施された全国の小中学生を対象とした学力調査において、離婚率の低い県が成績が高い傾向がみられた。
ともあれ、頭の中ではあらゆることが電気化学的な変化として処理されている。インバータ的な働きこそが、モノの次元では異なるあるモノと他のモノを、価値の次元において等価とみなすことを可能にし、あるモノと他のモノを交換できてしまうという特殊な能力として発現したのではないか。この作用はまた、エネルギーの次元で等価なモノを価値の次元において不等価とみなすことをも可能にしている。「おいそれと帰農できない理由」の進化論的考察である。
利己的遺伝子のような話を自覚的に受け入れることができる人々は、「私たちが「幻滅を感じた者」であるならば、それは生に関してではない。そうではなくて、私たちがあらゆる種類の「願望」の何であるかを見てとったからである。私たちは、「理想」とよばれているものを、嘲笑的な憤怒をこめてながめやる」(ニーチェ『権力への意思』)というアフォリズムも味わうことができるでしょう。
だが、たとえニーチェの力強い哲学に勇気づけられたとしても、私たちは他の動物種のように奔放に生きることはできない。「人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上にドレイなのだ。」(ルソー『社会契約論』)
私たちは進化の過程で、あるモノと別のモノとを交換できる性向を備え、取引を繰り返しているうちに高度な文明を築いていた。とりわけ化石燃料の利用が急速に進んで社会変化の勢いを増した。しかしながら、冷静に考えるならば、もはや取引せずには生きていけないような生き物になっている。
農業を基盤としたローカル・コミュニティの再生に失敗してテロに訴えた橘孝三郎が獄中で気づいたように、「調和されたる社会でなければ、調和されたる交換はあり得ない。従ってまた、調和されたる生産分配もあり得ない。次の時代は、何よりも先に貨幣の管理に成功せんことを要求しておる。…交換なき社会はない。社会だといふ事が交換だという事である。」
目下、グローバル化という市場の巨大化は、あたかも中性子を吸い過ぎてパイ中間子の取引市場を肥大化させてしまった原子核が崩壊するかのような未来を予見させる。従属栄養生物であることを悔いてみても仕方ない。ミドリムシに憧れたって仕方ない。さて、いよいよウンコ問題を考えるべき時が来た。
DCカードの会員情報誌GRAN2006年10月号では、「あの人の本棚が見てみたい」と題する特集が組まれ、「この秋、もう一度読みたい本」が紹介されていた。 その記事の中で、庶民派経済アナリストの森永卓郎はリチャード A. ヴェルナーの『虚構の終焉』(2003年)を挙げ、「ヴェルナーは、バブルの発生から崩壊、デフレ、ハゲタカファンドによる日本経済支配、これら全部が日銀がアメリカと共謀して日本経済を支配するために仕掛けられたシナリオだと、ずっと言い続けてきた。既存の経済学とはかけ離れているため、大半の学者に無視されてきましたが、今の日本の現状を鑑みると、ヴェルナーが主張してきたことはただの空想ではないというのがわかるでしょう」とコメントしていた。
実際のところ、『虚構の終焉』は読みにくいがおもしろい内容だ。だが、ヴェルナーの言いたいことは、戦前にフレデリック・ソディがすでに指摘していたことである。
ソディの著書“Wealth, Virtual Wealth, and Debt”(邦訳未刊)の14章「国際関係」には、「金融的陰謀はあるのか?」と小見出しが付けられた箇所がある。そこには、「陰謀かどうかはともかく、金融界の中枢にいる人々の手中に握られた権力は、もし監督されないならば、彼らが効果的に世界を征服することを可能にするということにはいささかの疑いもない」と記されている。
JayのTHERMO/GENE COLLISIONと題するエッセイには、"CENTRAL BANKERS CAN NOT PRINT ENERGY!"と皮肉った見出しがあるのだが、ほとんどの人々は根本的な問題に気づいていない。
フレデリック・ソディ(Frederick Soddy, 1877-1956年)はイギリスの化学者であり、放射性元素の研究でアルファ崩壊・ベータ崩壊などを見出し、1921年に原子核崩壊の研究、同位体の理論に関してノーベル化学賞を受賞している。isotope(同位元素)はソディの造語である。
ソディは、1904年にラザフォードとの共著論文("Radioactive Change", Philosophical Magazine Series 6) の中で、「原子の中に潜むエネルギーは、通常の化学変化で解き放たれるエネルギーよりもずっと膨大なものであると結論できる」と記していた。アインシュタインの相対性理論によって有名なE=mc2なる方程式が導かれたのは1905年のことだから、ソディは人類の中で最も早く原子力エネルギーの可能性に気づいた科学者だった。
だが、ソディは1919年にオックスフォードに移ってからというもの、まともに自然科学の研究をしていない。1919年とは第一次世界大戦(Great war)が終わった翌年だが、社会のあまりの荒廃に辟易したらしく、研究の対象を原子核から貨幣に転じたのだ。
原子力エネルギーの可能性に気づいていたソディはエネルギーの未来については楽観的に考えていたのだが、輝かしい科学の時代に、貧困と失業が同居していることに疑問を深めていったのだ。ソディの著書からは、100円均一ショップならぬ60ペニー・ショップが立ち並び、家族を持てない若者が溢れ、「勝ち組」「負け組」よりも露骨な表現でmiser(守銭奴)と misery(赤貧)に二極化した1920年代の英国社会を窺うことができる。その病根を一人のノーベル賞科学者が探求したところ、金融のしくみの問題点に行き着いたというわけだ。どんなにエネルギー見通しが楽観できたとしても、旧態依然の金融のしくみが改まらないことには、文明社会は滅びるとソディは考えた。
エネルギー見通しが楽観できてさえも人類は困憊する運命にあるというのに、石油減耗でエネルギー供給量の減少が確約されている今後は悲惨極まりないかもね。
リンダ・メリックス女史によるソディの伝記”The World Made New”(邦訳未刊)によれば、ソディの文章スタイルは、古典から熱力学さらには聖書にまで言及するような古いオックスフォード様式を留めており、英語を母国語とする者にさえ難解であったがために、ソディの貨幣論は戦前には受容されなかったという。むしろソディの貨幣論は、経済理論と環境問題の関係を考える上での重要性からホアン・マルチネス=アリエらのエコロジー経済学者によって、近年になって再評価されるようになった。
ソディの貨幣論がエコロジー経済学者によって再評価される理由は、経済をエネルギーの観点から基礎付けることの重要性を説き、経済における農業の役割を強調するために、エネルギーの「生命維持的利用」と「労働的利用」とを区別したからでもある。参考までに、橘孝三郎は、「生命的対象を取扱対象とさせるところのものは農業であり、物質を取扱対象とせるところのものは工業である。そして生産は常に農工による二次性を有する」(『農村学』)として、それを「生産二次性原理」と称していた。二人の問題意識の出発点は近いところにあったのだ。
だが、橘孝三郎は獄中で金融論を学び、「信用までが国家が管理統制する必要が、勿論ある」との考えを持ったものの、その後の橘の思索が天皇論へと偏向していったのに対して、オックスフォード大学の化学教授ながらも社会の退廃を危惧して金融論にのめり込んでいったソディは、monetary crank(crankは変人・奇人の意味)と呼ばれるほどの貨幣改革を唱えるようになった。もちろん、ソディは奇人でも変人でもなく、科学者の社会的責任を説いたノーベル賞科学者なのだ。
私が知る限りでは、アーヴィング・フィッシャーの『貨幣の購買力』第3章第1節の記述が信用創造のしくみを考える上で最もわかりよいものかと思う。その記述を参考にして、銀行預金の性質を考えると共にフレデリック・ソディの問題提起を示すことにしよう。
今、人々が金銭的価値として\10,000,000相当の何かを仮想の銀行に預け、預金通帳にその金額を記帳している、もしくは銀行券として保有している状態を考えよう。規模の小さな銀行だが、ここでの主眼は預金の性質を理解することにある。ここではまた資本金なしで銀行業務を考える。後でわかるように、資本金なしでも銀行は儲けることができる。そもそもカネは銀行で創られるものなのだ。
この仮想銀行がバランス・シートを発行するならば、銀行の資産は金庫の中にある\10,000,000相当の何かであり、銀行の負債は要求次第で預金者に支払わねばならない\10,000,000分の約束ということになる。
貸借対照表 (balance sheet, B/S) 借方 (Asset) 貸方 (Liabilities) 何か \10,000,000 預金または銀行券 \10,000,000
私たちは預金者の立場で考えるあまり、どうして金庫の中にある何かが銀行の資産なのかと疑問を持つかもしれない。だが、それに対応するだけの負債を銀行は背負ったことになっており、左右で平衡するようになっている。これこそ複式簿記の表記法における発明なのだ。
バランス・シートの右側は、もちろん、個々の預金者が所有していると信じている金額の合計でもある。金庫の中にある何かは何でもよく、マンゾーニの作品でも構わないのだが、ここでは歴史的経緯を尊重して金ということにしておこう。そして、Aさんが\1,000,000の預金、Bさんが\1,000,000預金、他の人々が\8,000,000の預金または銀行券を持っているとして、より詳しくバランス・シートを表記してみよう。
合計貸借対照表 (balance sheet, B/S) 借方 (Asset) 貸方 (Liabilities) 金 \10,000,000 Aさんの預金 1,000,000
Bさんの預金 1,000,000
その他の預金または銀行券 \8,000,000\10,000,000 \10,000,000
今、AさんがBさんに\100,000だけ払いたいとする。AさんはBさんから何かを買ったのだ。そこで、Aさんは銀行に行って\100,000を引き出して、それをBさん名義の預金口座に振り込んだとしよう。手数料が無料ならば結果的に、Aさんの持分は\1,000,000から\900,000に減り、Bさんの持分は\1,000,000から\1,100,000になる。そして、バランス・シートは、こうなる。
合計貸借対照表 (balance sheet, B/S) 借方 (Asset) 貸方 (Liabilities) 金 \10,000,000 Aさんの預金 \900,000
Bさんの預金 \1,100,000
その他の預金または銀行券 \8,000,000\10,000,000 \10,000,000
こうして預金通帳に記された数字が、人々の間を循環し、金を引き出せる能力ないし購買力が移動するわけだ。なお、現行のしくみでは金を引き出すことはできず、私たちは預金通帳の数値を減らして代わりに銀行券を保有することに慣れている。
次に、この仮想銀行は預けられた金のいくらかを利子を取って貸し出すことで儲けることができることに気づいたとしよう。預金者から一度にすべての預金の引き出し請求がない限り、預金者に迷惑がかかるものではないだろう。預金者としても、必要なときに必要なだけの購買力を行使できれば、それでよいのだ。そこで、銀行は金庫にある金のうち\3,000,000分をCさんへと貸し出したとしよう。貸し出しは、借用証書と金との交換である。銀行は金の代わりに借用証書を受け取る。そして、バランス・シートの中身は次のようになる。
合計貸借対照表 (balance sheet, B/S) 借方 (Asset) 貸方 (Liabilities) 金 \7,000,000
借用証書 \3,000,000Aさんの預金 \900,000
Bさんの預金 \1,100,000
その他の預金または銀行券 \8,000,000\10,000,000 \10,000,000
かくして、金庫に保管されている金は\7,000,000分となるが、資産の総額は\10,000,000のままである。この銀行の預金者は銀行の金庫にある金よりも多くの預金または銀行券を持つことになるが、銀行は金の借り手であるCさんから金を取り戻せることが約束された借用証書を持っている。
ここからがおもしろい話になるのだが、Cさんが先ほど借り受けた金\3,000,000分をそのまま銀行に預金したとしよう。銀行の資産は金\3,000,000だけ拡大し、同時に、その分だけ負債も大きくなるだろう。バランス・シートは次のようになる。
合計貸借対照表 (balance sheet, B/S) 借方 (Asset) 貸方 (Liabilities) 金\10,000,000
借用証書\3,000,000Aさんの預金 \900,000
Bさんの預金 \1,100,000
その他の預金または銀行券 \8,000,000
Cさんの預金 \3,000,000\13,000,000 \13,000,000
Cさんが金を借り、その金を預金するという行為の前後で、金\10,000,000相当は金庫に保有され、はじめの状態と同じだということに注意していただきたい。つまり、銀行は借用証書という新たな資産を手に入れ、Cさんは金\3,000,000相当を引き出す権利を手に入れたことになる。これを信用創造という。したがって、銀行は無から有を創ったとみなすことができるだろう。もちろん、Cさんには返済義務が生じるが、Cさんは購買力を手に入れた。通常、何かを貸せば、貸し手は貸したものを自ら使うことができなくなるはずだが、銀行による「貸出」の場合、奇妙なことが起こっていることに注意していただきたい。そして、こういうわけだから、原理的には信用創造は無限に可能なのだ。もちろん現実にはBIS規制が課されており、銀行の自己資本比率に応じて「貸出」は制限されている。だが、「貸出」の一部を強制的に銀行株の購入に回すならば、自己資本比率を保つことは可能だろう。ともあれ、この単純な信用創造のしくみゆえに、銀行は融資先の選定と融資額の規模をコントロールすることによって産業構造の変化を誘導できるはずだ。そして、分業化の進んだ今となっては、交換を媒介するマネーなしでは私たちは生きていけないのだから、私たちは銀行が優先する融資先へと求職する傾向を強めざるを得ないだろう。
さて、Cさんが事業をはじめ、従業員であるDさんに\300,000の給与を同じ銀行のDさん名義の預金口座に振り込んだとしよう。バランス・シートは次のようになる。
合計貸借対照表 (balance sheet, B/S) 借方 (Asset) 貸方 (Liabilities) 金\10,000,000
借用証書\3,000,000Aさんの預金 \900,000
Bさんの預金 \1,100,000
その他の預金または銀行券 \8,000,000
Cさんの預金 \2,700,000
従業員Dさんの預金 \300,000\13,000,000 \13,000,000
かくして従業員のDさんはマネーを引き出す権利もしくは購買力を手に入れた。Dさんは嬉しくて嬉しくたまらない。ほとんどの人々がDさんのような立場にあって、マネーの出所は合法的だがなんとなく怪しい遣り口で創られているということなど気に留めることはない。できるだけ多く給与がもらえ、できるだけ豊かな消費生活を送れることを無思慮に望んでいる人々が大半だろう。そして、目先の自己利益に囚われる人々には、全体が見えない。
考えなければならないことは、Cさんの借金の前後で商品の数量が同じならば、つまり、社会全体の生産能力に変化がないならば、購買力ばかりが増えることによって一般物価もしくは資産価格が上昇し得るということだ。貨幣量の増大に呼応して生産能力が向上しない場合、物価もしくは資産価格が上昇してしまうのだ。フレデリック・ソディは、この信用創造が及ぼす物価変動に対して苦言を呈した。生産する前に消費する能力を手に入れるのはいかがなものか、と。ジョン・ラスキンの言葉を引き合いにして、種を蒔く前に収穫するようなことは尋常ではない、と。逆に、銀行がCさんへの融資の回収を急げば、一旦値上がりした商品や資産価格の下落が始まり、デフレに転じる。高くなった物価水準を前提としたビジネスはたちまち資金繰りに窮することになる。
そして、非常に困った問題は、Cさんが銀行から購買力を借り受けた時点では、金利分のマネーが創られていないということなのだ。今ではこの世に存在するマネーのほとんどが、信用創造機関から誰かが借りることを起点として流通し始めるわけだが、その最初の段階をよく考えてみる必要がある。誰かが新規債務を背負うことで新たなマネーが社会に流通するが、その時点では返済期日に要求される利息分のマネーは創られていない。当然のことながら社会全体でも利息分のマネーは不足しており、いわば椅子取りゲームのような状況なのだ。
私たちは、そんな社会に組み込まれ、自分名義の債務の有無とは無関係に、急かされるように生きることを余儀なくされる。なにしろ「ない」ものを追い掛けさせられているのだから、橘孝三郎が獄中で金融論を研究して、「みんなまいってしまう」と言ったのももっともなことだったのだ。
幸か不幸か、石油資源が潤沢で生産活動が成長していた頃には、人々は自己陶酔に耽ることができ、「ない」ものを追い掛けさせられているとは思わずにいられた。モノの生産量が増え、それに呼応するように次々に誰かが借り入れを増やしてくれたからだ。だが、そんな時代が長く続いたために、経済成長が頭打ちになった今も、多くの人々が生活に疲弊する根本的な理由に気づけず、おびただしい悲劇を招いている。不幸にも、所得水準が高い人々は問題の所在に関心が薄く、所得水準の低い人々は問題の所在を考える余裕もない。急き立てられる余り、事態の悪化に対して理性的に対処することもできず、子育てが等閑になって、壊れた家庭が増えて、畢竟するに社会も瓦解しかねない。
「ない」ものを追い掛けさせるという永久運動を人々に強いる現在の金融のしくみは、永久機関を否定した熱力学の第二法則と調和がとれず、社会を自滅へと導きかねない。ソディに言わせれば、戦争の原因もここにあり、文明を滅ぼしかねない破壊力を持っている、とのことだ。つまるところ、マネーは裁量によって無限にも創造することができるが、一定の物理現象を基準として数値化されるエネルギーは有限である。エネルギーが有限の値に収まる以上、モノやサービスの物理的な規模もまた有限である。マネーは人為的に操作可能な数量だが、物理現象としての経済活動は改竄不可能なエネルギーの次元の数量を持っており、その乖離が人々に苦難をもたらしているとソディは説いていたのだ。ソディの貨幣論は、石油減耗時代を展望する上で再考すべき内容だろう。
石油減耗の啓蒙活動では世界的に有名なRichard Heinbergの"The Party's Over"の第5章には、「今日では、すべての国々が金融システムを有しており、実質的にすべてのマネーは貸付によって創造されています。つまり、世にあるほとんどすべてのマネーは借金を表しているわけです。銀行業務に不慣れな人々にとっては、このことは把握しにくい事実なのかもしれません。私がこのことを学生たちに伝えるとき、マネーは金庫にある実体ではなくて、勘定を保つために銀行家が無から創造した観念的な記入であることを学生たちが理解できるまでに、しばしば1時間くらいは様々なやり方でこのことを繰り返し話さなければならないのです」とあるのだが、わかっていただけたでしょうか?
興味深いことに、戦前も今も覇権国家の衰退時には金融システムそのものが槍玉に挙げられる。たとえば現在、米国下院議会の議員で次期大統領選に名乗り出ているRon Paul議員は露骨にFRB(連邦準備銀行)の遣り口を糾弾しているし、エドワード・グリフィンの『マネーを生みだす妖怪 連邦準備制度という壮大な詐欺システム』という邦訳著書を手にすることもできる。日本でもリチャードA.ヴェルナーの『円の支配者』によって、中央銀行の問題点が指摘された。傑作なのは、今やPaul Grignonによる"Money as Debt"という子供にもわかるようなアニメがネット上で配信され、金融のしくみゆえに合法的に人々が苦しんでいることが露わにされてもいる。なお、"Money as Debt"のHPにはソディの著書が参考資料として挙げられていた。
フレデリック・ソディもアーヴィング・フィッシャーも金融のしくみを改めれば、インフレやデフレを防ぐことができ、馬鹿げた国家債務を一掃できるとするプランを提示した。物価の安定は技術的に可能なのだ。ところが問題は、石油減耗時代に律義に物価安定を目指せば、名目経済の縮小ゆえに首が回らない状況になるということだろう。感情的な貨幣改革論者がエネルギー事情をどれくらい考慮しているのか私は知らない。
社会的規模でライフ・スタイルの不可避的変革が迫られたとき、大きな混乱が生じることは避けられない。その必然性を予見できない場合はなおさらである。石油減耗時代の社会を担うように運命付けられている世代にとっては当たり前のことになっている都市型社会さえも、それが当たり前になるまでの急激な都市化の過程では学園紛争という混乱を招いた。
養老孟司翁が、『「都市主義」の限界』と題するエッセイの中で、1960年代後半に起こった大学紛争は「都市と田舎の対立」だったと総括して、「紛争当時の学生はなにかに気づいていたのだが、その「なにか」が都市化だとは思っていなかった。相変わらず古い「体制」「反体制」という図式でものを考えていたからである」と振り返っていることは非常に興味深い。
一方、東大闘争の学生側の当事者であった島泰三氏は『安田講堂1968-1969』の中で、「当時の青年たちが皮膚感覚から心に刻んでいったものは、悪化する物理的な生活環境であり、無内容で権威主義的なだけの教育課程であった。前者は、未曾有の経済発展と呼ばれた戦後社会での環境破壊と生死にかかわる「公害」の問題であり、後者には「受験戦争」をおし進める戦後教育の過酷な圧力があった」と振り返り、大学紛争を「あれは日本文化にかけられた呪いが一瞬破れて、青空が見えた瞬間だった」と文学的に表現している。ここで、「呪い」といっているのは、「アメリカ帝国文化」の下で「規格化された規範」を遵守する日本人を育成するために「日本社会が開発したもっとも強力な洗脳システム」を指しており、「受験戦争というこの人間的な感性の削り落とし競争が、ただ無意味でただ過酷なだけの洗脳の過程であることに、日本の青年たちは、この瞬間に気がついた」と記している。
島氏の回顧録から推察されることは、学園紛争当時の青年の多くが公害や受験戦争という経済成長の負の側面には敏感であったものの、経済成長ゆえに自らが労働から解放された幸福な存在になっているということや自らが大学進学という都市化を無意識にも指向していたということには自覚的ではなかったということだ。
島氏の見解の対偶を汲めば、「現在では大学紛争のような青空が見える瞬間がないのは、呪いに気づかないからだ」ということになり、これでは、今の若者は愚鈍になったと言っているようなものだ。他方、養老翁は大学紛争が起こらなくなったのはなぜだろうかという対偶を考え抜いた上で、それは急激な都市化を背景としてこそ起こった事件だったと総括しているのだ。
紛争当時の若者は、田舎を引きずりつつも無意識に都市化を指向して、当時の大学の封建的構造の田舎くささと受験戦争や公害のような都市化に付随した問題に直面したわけだが、若者が問題視した状況が自身の内面の葛藤の構図と相似的であることには気づいていなかった。彼らは「体制」「反体制」の図式で弁証法を語ったかもしれないが、まさか「田舎」と「都市」の対立という図式の弁証法的問題の渦中に置かれているとは思わなかった。結局、彼らは田舎と都市の共存という止揚を図ったのではなく、安田講堂という田舎的なものの象徴を封鎖し、都市化の流れを選んでいた。
養老翁は、「全共闘がいつの間にか体制化し、サラリーマンに変わってしまった。そういう印象があるが、団塊の世代の主張はおそらくさして変質したわけではなかろう。いってみれば、当時若者だった人たちの誤解が解けただけだと思う。俺たちが要求していたのは、要するに都市化だったのだ、と。サラリーマンが都市的存在であることは、いうまでもない」(『「都市主義」の限界』)と言って喝破する。要するに、全共闘世代とは、大規模な集団体験として都市化の洗礼を受けた世代であり、彼らはわけもわからず急激な都市化の波に飲み込まれて、あたかも自己表現ができない子供のように大暴れする事態、いわゆる大学紛争を起こしたのだろう。そして、全共闘以降の世代は唯々諾々、都市化の流れに沿って、消費社会に飲み込まれ、みんな都市的存在になっている。
なにゆえ大学紛争について言及したかと言えば、今や人々は愚鈍なまでに都市化に慣れているが、今後は石油減耗によって不可避的に都市を維持することが困難になり、それはそれで大きな混乱を引き起こすであろうことが予見されるからである。池田内閣時代の「所得倍増計画」を理論づけた下村治の論文集『日本経済成長論』は1962年に出版されており、それは都市化の奥義が記された著作として読むことができるが、大学紛争当時の学生がそのようなものを研究して、都市化という時代の宿命を受け止めていたとは考え難い。同様に、今の若者たちが石油減耗論を熱心に学んで都市の凋落を覚悟しているようにも思えない。再び、自己表現ができない子供のように、人々は大暴れするのではなかろうか。
最終氷河期の終わり頃から、つまり今から1万3000年くらい前から、世界中で動物の家畜化と植物の栽培が始まった痕跡(農業革命)が残されているそうだ。おそらく、氷河期を乗り越える段階で農業という営みが生物学的本性上の要求を充足する上で有利に作用し、気候が穏やかになってから既に農業を始めていた種族が繁栄したということなのだろう。
このことに関して、ジャレッド・ダイアモンドは、「「どうして、私たちの祖先の狩猟採集民たちのほとんどが農業を採用することになったのだろう?」という質問は無意味です。彼らが農業を採用したのは、言うまでもなく、それがより少ない労働でより多くの食料を得る有効な方法だったからです」(『人間はどこまでチンパンジーか』)と記している。
この類推として、「石油減耗時代の社会を担うことが運命づけられた世代のお父さん、お爺さん、あるいは曾爺さんが、どうして都市化の流れに乗ったのだろう?」という質問も無意味です。彼らが都市化に乗じたのは、言うまでもなく、それがより少ない労働でより多くの食料を得る有効な方法であったからであり、おまけに余暇まで楽しむことができたからなのです。問題は、田舎っぺから都会人になるのは容易だが、従属栄養生物から独立栄養生物には変身できないということなのです。
いわゆる団塊世代の定年が始まったが、彼らが中学生の頃に「所得倍増計画」が始まり、彼らは1960年代の急成長の只中に青春時代を過ごし、薔薇色の未来を見続けた。それ以後の世代は物質的な生活水準としてはさらに恵まれており、本質的な問題を考えようとしなくなった。そう考えると、およそ現役世代はわけもわからずに豊かな都市生活を享受できるようになっていたというのが正直なところであり、生まれながらの僥倖ゆえに危機意識を司る脳の部位が十分に発達していない可能性も否めまい。あまり考えなくてもどうにかなった親の世代と考えても埒の明かない子の世代のギャップが生じるのも致し方ないことだろう。
金融メカニズムによって社会変化が誘導されたことを記した著書として、ノートルダム大学で経済学を講じていたクリストファー・ホリスの"The Two Nations: A financial study of English history"(邦訳は『英国金融罪悪史』)がある。「二つの国民」とは金持ちと貧乏人に分かれた英国民を指しており、そのようになった経緯が金融のしくみとの関連で記されている。その著書には「貨幣論の原理はギリシャ時代から完全に理解されていた」、「中世期においては、貨幣数量説は教育のある誰にでも周知のものであった」、「18世紀になって機械的な教育制度が人間の頭にわざわざ混乱を引き起させるまでは、これらの問題のイロハについて誤解などは少しもなかった」と記されおり、ソディの貢献はマネー・サプライの増減による物価変動とそれに伴う社会変化についての考え方を呼び覚ましてくれたことだとしている。
そこで、貨幣数量説に触れておこう。
財と財の交換(物々交換)、マネーとマネーの交換(両替)、財とマネーの交換(売買)と、取引にもいろいろあるけれど、最後に挙げたのをマネーの「流通」と考え、その総量を考えてみよう。
一国に5,000,000ドルあって、それは年間20回使われたとする。つまり、100,000,000ドルの売買が成立した。その際、1個1ドルのパンが20,000,000個、1トン当たり50ドルの石炭が1,000,000トン、1着10ドルの服が3,000,000着売買された。このとき、5,000,000×20=1×20,000,000+50×1,000,000+10×3,000,000
左辺は交換に用いられたマネーの総量であり、右辺は交換された財の総額であり、等しくなるのは当然のことだ。これをより一般化して表記してみよう。特定期間(通常1年)に財と交換されたマネーを集計すると、交換方程式と呼ばれる貨幣数量説の基本方程式が得られる。 便宜的に財の品目を数字で表すと、MV=p1Q1+p2Q2+p3Q3+・・・ ここで、Mは貨幣量、Vはそれが流通している速度(1年間に財と交換される平均回数)であり、それらの積MVは、価格piの何らかの財(i)がQi個だけ売買されたとして集計(Sは和を表す数学記号)した総額SpiQiに等しい、という意味になる。これはアーヴィング・フィッシャー曰く、「不朽の真理」である。
MV=SpiQi
とはいえ、価格piの財がQi売買されたからといって、財の種類はあまりにも多いので、上の交換方程式にもとづいてあれこれ考えるのは大変だ。幸い、フィッシャーは便利な形に式を変形した。MV=PT である。ここで、Pは価格水準であり、Tは取引量である。このような式を誘導するのに、フィッシャーはPやTをどのように表せばよいのか、非常に苦労したみたいだ。(『貨幣の購買力』) ともあれ、P=SpiQi/Spi,0Qi、T=Spi,0Qiがよろしいということで落ち着いた。 ここで、pi,0は基準年における財(i)の価格である。
価格水準Pは、ある年度に売買された財の数にその年の価格を乗じた総売買額をその年に売買された財の数が基準年の価格で売買されたとしたときの総売買額で除算した無次元の値であり、基準年に比べて全体的に物価がどれくらい変動したかの指標を与えることになる。
他方、取引量Tは、ある年度に売買された財の数に基準年の価格を乗じて得られる貨幣単位の数量になっている。
フィッシャーは交換方程式について、「この定理は理論経済学上の比例法則であって、温度一定の仮定のもとでの気圧と密度の比例関係という厳密な物理学上の法則と、正確かつ根本的ということにおいて何ら違いはない。もちろん、実際には二つの流通速度と取引量が一定であることがないというのは、温度が不変にとどまることがほとんどないということと同じである。しかし、たとえ、関連するほかの諸要素に何があっても、数量説が示す傾向は真であり、これはちょうど温度がどう変わろうと、密度説によって示される傾向が真であるというのと同じである。科学法則とは本当は何であるかを知り得ない者は、貨幣の定量的な法則の意味と重要性を知り得ないのである。科学法則とは、統計数値や歴史の定式化ではない。それは、特定の条件のもとで真であるものを定式化することなのである」(『貨幣の購買力』)と言及している。
上の文中に示唆されている物理学上の法則とは、高校の化学の時間に教わる気体分子の状態方程式のことである。1モル(22.4リットル)の気体についての状態方程式は、PV=RT で表わされる。ここで、Pは気体の圧力、Vは気体の体積、Rは気体定数、Tは絶対温度である。
上のような法則性に関する見解はフィッシャーがジョサイア・W・ギブスの研究室に通ったからこそでてきたものと思われる。化学者にとってギブスと言えば、ギブス自由エネルギー変化のギブスであり、熱力学の原理を化学変化の方向性を予見するツールとして応用した天才である。
有名な物理学者であるリチャード・ファインマンも次のように言っている。 「驚くべき暗号がある。多くの異なった物理的事情に対し方程式は正確に同じ形をしている。もちろん記号がちがっている――ある文字が他の文字と代わっている――。しかし式の数学的形式は全く同じである。従って、一つの問題を勉強すれば、直ちに別の問題の方程式の解について直接の正しい知識を持つことになる。」(『ファインマン物理学III・電磁気学』)
都市化は経済成長とその惰性に随伴した現象だが、日本の高度経済成長は戦前生まれの役人主導で計画的に達成された出来事だった。そして、「所得倍増計画」を立案した下村治は、まさに方程式から「傾向が真である」ことを看取する才に長けていた。
石油減耗ゆえにエネルギー供給量も減って経済活動は縮小するのだから、今さら経済成長論を顧みるのは無駄だと考えるのだとしたら、「傾向が真である」という法則性の意味や重要性を知り得ていないということになる。
交換方程式MV=PT は成長や停滞とは無関係な「不朽の真理」だからである。
下村治の経済成長論は、Vはそんなに変動するようなものじゃないとして、近代的な生産設備を導入すれば生産が増えて取引量Tが増えるでしょ、そのときマネーMが増えないと物価水準Pが落ちるでしょ、すると儲からない、せっかくの新鋭生産設備も遊休状態になってふいになるではないか。だから、経済を成長させるには積極的に信用創造もしなけりゃならんのよ、という理論だったのだ。それでもって、人々に購買力を分け与えれば、みんなハッピーやんけ、って感じだわな。
「創造された信用を中核とする金融膨張がなぜ健全な成長をもたらして、不健全なインフレ的な膨張をもたらさないか。このことを正しく理解するためには、経済成長の実質的な側面を決定するものが生産力の増強であり、さらにそれを決定するものが、年々の設備投資による設備能力の拡充だということを理解しなければならない」(『日本経済成長論』)というわけで、今ほど豊かではない時代、作ったものは売れると確信できるだけの需要が十分に期待できた。ならば、金融的膨張をしても、それに応じ得るだけのモノの生産の増加があれば、極力インフレを回避できるだろう。そして、上向きの予想収益は投資意欲を刺激し、経済規模の拡大は雇用を拡大する。戦前の金本位制度の下では金融の規模を拡大するには、金の公示価格を吊り上げるという衆目には怪しげに映る作業を要するが、管理通貨制度では簿記上の数字記入によって裁量的な金融の規模拡大が可能であり、その管理通貨制度の特質をフル活用して物価の低下を抑えるべきだと下村は力説したのだ。さらに、「資金需要が増えたときには、それに応じて金利が上がらなければならないといういい方は、経済は成長してはならないといういい方と同じであります」(ibid.)と反駁してまで所得の増加が実現される手解きをしたのだった。このことを説明する下村の論文の中には、「金融的膨張が信用を媒介しなければ不可能であることは、信用理論上いわば自明ともいうべきことである。しかし、それにもかかわらず、なぜここであらためてこのことを論ずる必要があるかといえば、この問題と経済成長の関連が、これまで軽視されてきたからである」(ibid.)と、非常に意味深な念押しの言葉が残されている。
なお、リチャード・ヴェルナーは、取引量Tが一定でもMを増やせば、Pが大きくなり、資産価格の下落(バブル崩壊後の資産デフレ)を抑えられると考え、それを怠っているとして日銀批判を展開した。ヴェルナーは日銀が公園を買うなどしてマネーを供給すればよいと考えたが、もちろんマンゾーニの作品のレプリカを買っても資金供給できる。フレデリック・ソディは、技術水準に応じたTの変化を考慮せずに闇雲にMが変えられると、Pが変動して社会を混乱させると考えた。
石油減耗時代には、Tが小さくなることが約束されている。管理通貨制度の下では上に記した信用創造メカニズムを通してMは裁量的に変動させることができるが、篤(実名?)君はどのようなシナリオを描くか。
1968年に日本のGNPは旧・西ドイツを追い越して世界第2位の経済大国になっていた。翌年には日本の大学紛争も機動隊導入によって沈静化し、都市化の流れが定着していった。都市化が方向付けられたことは、1970年頃を境として新生児の出生月の分布に偏りがなくなったことからも窺える。1960年代までは農繁期を避けるかのように1〜3月生まれの新生児数が突出していたが、1970年代以降、新生児の出生月の分布における偏りはすっかりなくなってしまったのだ。
その頃、太平洋の向こうの大国では自国の石油生産量がピークに達する事態に直面していた。すでに1956年にShell石油の地質学者マリオン・キング・ハバートは、米国内の油井から採掘される石油の年間生産量が1970年頃にピークを向かえた後、減少することを予測していたのだが、彼の予測は同僚にも聞き入れてもらえずにいた。ところが、1971年に米国は実際に石油ピークを迎え、ハバートの予測が正しかったことが判明した。このことは、米国が国内自給できるエネルギーだけで自国の経済成長を達成することが不可能になったことを意味している。この出来事との関連で語られることはほとんどないが、その年の日本の終戦記念日に当たる日にニクソン大統領は金とドルとの交換停止を宣言し、第二次大戦後の通貨の枠組みであったブレトン・ウッズ体制が終焉した。
1973年、第四次中東戦争に端を発する第1次オイル・ショックによって原油価格は4倍に跳ね上がった。日本で第1次オイル・ショックとして語られる出来事は、海外の文献ではアラブ産油国の石油禁輸措置を意味するArab Oil Embargoという用語で記述されている。今ではArab Oil Embargoは、当時の米国国務長官ヘンリー・キッシンジャーの画策によって人為的につくられた事件だったということが公然と語られるようになっている。
オイル・ショックの後、米国は石油の取引をドルに限定することを最大の産油国であったサウジ・アラビアに約束させた。かくして、金の裏付けを失ったドルは石油というエネルギーの後ろ盾を得たのだ。これにより、工業国は自国の経済成長のために石油の輸入を増やそうとすれば、先ずは米国への輸出を拡大しなければならないようになってしまった。米国は痛みの伴わない貿易赤字を拡大させながら豊かな生活を送ることができるようになったが、その後の世界に大きな歪みを生んだことも確かだ。
また、オイル・ショックによる原油価格の高騰は北海油田や原子力発電というコストを要するエネルギー開発にはプラスに作用したものの、途上国の多くは以前の生活水準を維持するための石油を確保する必要から、ドルの借り入れを余儀なくされ、現在にも尾を引く多重債務問題へと発展した。破綻したアルゼンチンをはじめ南米諸国の現在の経済的混迷を考えるならば、第1次オイル・ショック頃の日本で「くたばれGNP」と題する文壇上のキャンペーンが展開されていたことは高度経済成長を前提とした幸せな出来事だったと振り返ることができるだろう。
ところで、第1次オイル・ショック当時の日本では、石油がなくなるという極端な話に始まって、トイレット・ペーパーの買占め騒動が起こった。今日の石油減耗問題はとりわけ食糧需給問題との関連で語られるが、第1次オイル・ショック当時の主婦は食後の心配、私とは異なる視点のウンコ問題に取り組んでいたのだから、おかしなものだ。化学パルプを使った製紙技術は19世紀に発明されたものであり、それより前の人はどのように処理していたのか考えてみる必要があろう。トイレット・ペーパーに限らず、石油減耗時代には昔の人はどうしていたのかという発想が重要になるはずだ。
「石油危機は日本経済の成長軌道を決定的に押し曲げてしまったようである。日本経済はいまや、これまでのような成長経済の軌道の上には乗っていない。高度成長どころか、安定成長の軌道にも乗っていない。そもそも、成長軌道から押し出されて、ゼロ成長の軌道に移されてしまったのが、今日の日本経済だといわなければならないようである。
われわれは、冷静に、このことを受け入れなければならない。そして、このことの意味することを、勇気をもって、正視しなければならない。」
「石油危機発生後、不幸にしてわれわれは生産性向上を実現できないような苦しい状態に追い込められた。実際は生産性向上どころか、生産性低下に追い込まれてしまった。そのことを素直に認識する必要がある。それを素直に承認したうえで、今日の経済状態を評価しなければならない。」(『ゼロ成長 脱出の条件』)
君子豹変、「所得倍増計画」を立案した下村は、オイル・ショックを正視して、ゼロ成長論者に転身した。下村は戦後復興からオイル・ショックまでの日本の経済成長について、日本と先進工業国とのあいだに非常に大きな技術ギャップがあり、経済成長の大きさを説明する一番の理由は、技術ギャップをキャッチ・アップするところにあると考えていた。したがって、そのギャップが埋まれば、それまでのような急速な経済成長が続かないことは下村にとっては想定内のことであった。そして下村は、生産設備の稼動に不可欠な燃料であり原材料でもある石油の供給量に物理的制約が課された状況では生産性の向上も大きくは望めないと結論し、ゼロ成長論を唱えるようになったのだ。
下村は、「実質賃金の上昇を実現できない状態がもたらされようとしている、ということだと思う、このことがどうしても一般に納得されないようである。これは、しかし、高度成長に慣れすぎて、実質賃金が毎年毎年上がるのがあたりまえだという間違った先入観があるところに、問題はありはしないか」(ibid.)と言って、人々を窘めた。「君子は義に喩し、小人は利に喩す」(『論語』)である。
多くの労働者の誤解は、下村が言う「生産性」が究極的には何を意味しているのかを理解しようとしていないところから生まれてくるのではないかと思われる。そして、下村もまた、私が下村の文献に目を通した限りでは、それは石川県立図書館に蔵書としてある下村の文献ということだが、生産性をエネルギーという普遍的な概念を用いてまでは説明していないのだ。
下村が「所得倍増計画」を構想した際に拠りどころとした方程式に含まれる変数は、貨幣単位で表された国民総生産額と民間設備投資額であり、それに無次元の産出係数と設備投資の償却分を補正する純投資割合とがかかっただけの単純なものだった。要するに、経済成長率は民間設備投資額の国民総生産額に占める割合に単純に比例するというものだったのだ。下村は直感的にエネルギーの制約によって日本経済がゼロ成長を余儀なくされると考えたのだろうが、下村の直感とは裏腹に、下村が依拠した方程式は、設備投資を増やせば、つまりカネさえつぎ込めば、いつまでも名目上の経済は成長し続けることを約束していたのだ。
オイル・ショック後を展望する下村の言葉は正しかったが、高度成長を導いた下村理論と乖離したものだったのだ。なぜならば、下村が依拠した方程式には、石油供給量の変化を生産額の変化として反映するようなエネルギー単位で表される変数が含まれていなかったからだ。これは交換方程式MV=PTにおいて、Tがエネルギーの関数であることが明示されていないという話でもある。
養老孟司翁の言葉を引き合いに出すならば、「経済学者がエネルギーをどう考えるか知らないが、エネルギーを無視して経済は本質的にはわからないはずである。エネルギーを貨幣の代わりに使ってみたら、どういう経済学ができるかと、素人考えだが、ときどき思う」(2000年12月17日付・毎日新聞朝刊)、「要するに都市生活、つまり経済というのは、エネルギーがない限り成り立たない。これは大前提です。すると、一エネルギー単位が実は一基本貨幣単位だというのは、実態経済のモデルとして考えられるのではないか」(『バカの壁』)というわけだが、下村治はそのようなモデルを明示的に考えていたわけではなかったのだ。
1970年代のオイル・ショックの影響によって世界各国の経済が停滞した状況から抜け出せない中で、いち早く日本経済は不死鳥の如く立ち直り、再び経済大国への道を歩んでいった。そして、下村のゼロ成長論は杞憂であったかのように、忘れられていった。そもそも今の若い人で下村治という昭和史の重要人物の名前を知っている人は皆無に近いだろう。だが、下村の残した言葉には、現在の異常な社会状況を考える大いなるヒントが散りばめられている。
下村は自身の経済についての信条を、「わたくしは、われわれは経済力の限度においてしか経済生活を維持できないし、生産性向上の限度においてしか経済成長を実現できないということを基本的な条件として考える。そして健全な経済成長とは、国際均衡と国内均衡との同時的な実現を、成長過程の中で、持続的に、安定的に維持することを制約条件とすべきものだと考えている」(『ゼロ成長 脱出の条件』)と吐露していた。消費に先立って生産があり、その生産の規模を規定するのは究極的にはエネルギーであるという自然な考え方に則したものだ。そして、「国際均衡と国内均衡」という節度を自らに課していた。
ところが、二度のオイル・ショックを乗り越えて以降、日本経済の舵取りから「国際均衡と国内均衡」という節度は失われていった。日本の貿易黒字とは、裏を返せば、米国の貿易赤字だが、その貿易不均衡問題に端を発する諸問題は、今や爆発寸前にまで膨れ上がっている。日本の田舎は無茶苦茶になり、知らず知らずのうちに、私たちは公的債務の重荷を背負わされてもいる。石油減耗時代の社会を担うことを運命付けられた世代は、物心ついた頃には、すでにこの異常な状況に投げ込まれており、それがおかしいことかどうかも判断できないでいる。下村の見立てでは、どうやら1981年のレーガノミックス以来、この異常な事態は今日まで放置されてきたようなのだ。
下村は、1980年代の米国経済について、「どうして内需が活発なのに輸入が伸びすぎるのか。それは、国内に内需を満たすだけの生産力がないからだ。消費ばかりが伸びて、消費が伸びたとたんに輸入が増えるような経済になっているからだ。ここに根本的な問題がある」(『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』)、「どうしてアメリカは現在の重大な危機に直面しているのか。なぜ、消費が増えれば増えるだけ、輸入が増加するのか。それは、国内の産業が壊滅状態になって、すでに産業が空洞化し、国内では必要な製品がつくれない、あるいは、外国製品と対等に競争できる製品が存在しないからだ」(ibid.)と指摘し、「この問題を解決するには、レーガノミックスでやってきたこととは反対に、大増税をやって内需を減らして経済を縮小することによって輸入を削減するほかない。つまり、レーガノミックスをはじめた八一年の水準に逆戻りするほかない。」(ibid.)と言った。
下村は、米国に買い物の資金を提供してまで製品販売を続ける貪欲な日本の製造業に対しても、「問題は、自動車や電機機械などの輸出産業はなかなか輸出削減に応じないことだ。売れるのになぜカットするのか、安くてよい品物だから売れるんだ、売れるように開発に努力してきたのに、その努力を無にするのか、というわけである。全体のために自分を制御する気持が出て来ない。・・・このままでは、事態は深刻になるばかりだが」(ibid.)と、手厳しい意見を忘れていない。そして、「両国とも悪くするための競争をしていることは確かである」(ibid.)と呆れた様子でもあった。
1980年代も後半になると、真面目にモノづくりをすることが馬鹿馬鹿しくなったからだろうか、なりふり構わぬマネーゲームが加熱し始めたわけだが、そのことについても下村は苦言を呈していた。
「アメリカの経済学は、マネーゲームの思想に振り回されている。このため、どういう悪弊が出ているかというと、国民経済という視点がスッポリと抜け落ちていることである。
国民経済とは何であるか、人々が経済によって生きて行くためにはどういう条件が必要であるか、という問題が分からなくなっている。目に見えないのである。
では、本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。・・・その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。」(ibid.)
そして、下村はマネーゲームの末に至る不幸を見通していたのだろう。「一度、国民が浪費的になってしまうと、もう元には戻らないであろう。メチャクチャな国民になってしまう。それをアメリカがやれというなら、それは大変な内政干渉だ。日本の社会を破壊せよというのと同じだからだ」(ibid.)と言い残していたのだが、21世紀には社会の腐敗堕落は決定的なものになっている。
下村治の警告から20年ほどの歳月が流れて、米国型社会への移行に警告を発する関岡英之は「いまの日本はどこか異常である。自分たちの国をどうするか、自分の頭で自立的に考えようとする意欲を衰えさせる病がどこかで深く潜行している」(『拒否できない日本』)と記しているが、そんな病が蔓延していることは否定できないだろう。
もっとも下村は、「国際均衡と国内均衡」を欠いた異常な状況がいつまでも続くとは思っていなかった。
「強大な国の国民が外国からの借金で生活しているのがおかしいわけで、それを直すのが当たり前なのにイヤだと言ってダダをこねている。ところが、いずれはもうダダをこねられない時期がくる。それが破滅の時期なのである。否応なく姿勢を正さざるをえなくなる。その時の混乱が破滅である。」(『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』)
「世界中がアメリカの砂上の楼閣に支えられて、見せ掛けの繁栄を築いているのだから、この砂上の楼閣が崩れれば、見せ掛けの繁栄も崩壊するのは当然であろう。つまり、今までの状態はどうかというと、アメリカが無理をして急膨張したために世界中が引き上げられ、調子がよくなっていたにすぎない。世界中がアメリカへの輸出を増やし、輸出主導による経済成長を享受しているにすぎない。
そのためにアメリカは巨額な国際収支赤字になっているのだ。
それなのに、不況にならないでアメリカの赤字を解消するというのは虫がよすぎる。アメリカが双子の赤字をなくすということは、世界の好況をささえてきたこれまでの無理をやめるということなのだから、世界経済が逆戻りすることは当然のことだ。不況に直面することは不可避である。
では、そうなった場合、日本の経済はどうなるだろうか。
いうまでもなく厳しい不況が起こるだろう。生産物の五割も六割もアメリカに輸出しているような企業は、これがいっぺんになくなるということだから、たとえ大企業であっても持ちこたえることは困難であろう。」(ibid.)
下村の予言が今、現実のものになろうとしている。
ファウストは「世界を奥の奥で統べているもの」を知りたがった。
ゲーテは戯曲『ファウスト』に、この世の面白いものとして官能的情事や信用創造の話を盛り込んだ。なるほどホルモン作用もマネーも天啓の如く人々の行動に大きな影響を及ぼしてきた。『資本論』を著したカール・マルクスが、成熟した資本主義社会では「性的衝動を労働者の主たる享楽たらしめる」(『賃労働と資本』)と言っていたくらいだ。
ゲーテの時代から200年を経て、この世界の理解はより深まっている。もしもゲーテが21世紀に生きていたならば、「世界を奥の奥で統べているもの」としてエネルギーに触れないわけにはいかないだろう。というのは、今ではあらゆる変化の大きさはエネルギーによって規定されていることがわかっているからだ。
ゲーテの時代、すでに蒸気機関が稼動しており、英国では産業革命が社会構造に大きな変化を与えていたが、エネルギーという概念はまだ確立されていなかった。ゲーテの没年は1832年で、サディ・カルノーが理想的な蒸気機関の効率に関する記念碑的研究を発表したのは1824年、ジェームス・プレスコット・ジュールが熱とエネルギーの同等性を示したのは1845年、ルドルフ・クラジウスがカルノーやジュールの研究成果を熱力学の法則として発表したのは1860年頃のことなのだ。ついでながら、ジョシア・ギブスがエネルギー変化から化学反応の自発的変化を予測可能にしたのは1875年のことであり、アルバート・アインシュタインが質量とエネルギーの等価性を表す有名な方程式E=mc2を導いて原子力エネルギーの大きさを理論的に示したのは1907年のことだ。そして、20世紀の半ば過ぎ、イリヤ・プリゴジンの散逸構造の理論に至って、「エネルギーと物質の流れが、機能的、構造的秩序を作り出し、それを維持するために使われる」(『散逸構造』)という世界観が確立した。
ここで、「機能的、構造的秩序」とは、具体的には、エネルギーと物質の出入りを伴って維持されている生命や都市のようなものを指している。だから、「米などの流れが、私を形作り、私を維持している」とか、「石油などの流れが、都市化を促し、都市を維持している」と読み替えれば理解し易いだろう。鎌倉時代に鴨長明が「京のならひ、なにわざにつけても、みな田舎をこそたのめるに」(『方丈記』)と書き残していたことと世界観としては大差ないようにも思えるが、エネルギーという概念を見出して諸々の現象を数量的な関係として表せるようにしたということが人類の進歩なのだ。
エネルギーという言葉は外来語であり、そのカタカナ表記には英語のenergyよりもむしろドイツ語のenergieが音訳された名残を留めているように思われる。エネルギーの語源はアリストテレスの哲学書『形而上学』で語られるギリシア語の(エネルゲイア)に遡及でき、哲学用語として「現実態」と訳されるらしいが、直訳すれば「活動している状態」のことを指すそうだ。
今日、エネルギーという言葉は、多くの場合、「生き生きしている」とか「力が漲っている」といった感覚的な印象を表現するための修辞として用いられているが、定量的に扱うことができる物理概念でもある。エネルギーという言葉が元々古代ギリシアの思弁的産物に由来することを思えば、エネルギーという言葉の修辞表現に問題があるわけではない。だが、物理概念としてのエネルギーは、力の漲り具合を感覚的に表わすのではなく、あらゆる変化の規模やその可能性を数値化して表現することを可能にしている。
「誰それからエネルギーを貰った」などという場合、物理学者ならば殴られたのだろうかと思うかもしれないし、化学者ならば夕食を奢ってもらったと思うかもしれない。しかし、多くの場合、「エネルギーを貰った」と言えば、元気になったという気分転換のことを指しており、物理的には気分転換のためにエネルギーを貰うどころかエネルギーを散逸しているのだ。
厄介なことは、エネルギーの単位で表された数量は私たちの日常生活において頻繁に用いられるようなものではないので、エネルギーの扱いに慣れた者でもなければ、その数字を言われてもなんのことだかわからない、ということだろう。1キロ・グラムとか1メートルとか1時間のような数量のようには1ジュールという数量がどれくらいかを感覚的に捉えることができないのだ。
高校物理では、ニュートン力学の流れで運動エネルギーや位置エネルギーを教わるために、物理概念としてのエネルギーが17世紀末に用いられていたかの印象を持ってしまうかもしれないが、エネルギーという言葉が科学に持ち込まれたのは1807年、トマス・ヤングによってである。
ヤングは、運動する物体が何かと衝突するときに、物体の速度が2倍になると及ぼす力が4倍になるということに気づいたのだ。そして、1820年頃には、運動している物体がもっているエネルギーは次のように定式化された。運動エネルギー=1/2×質量×速度2 私たちは手に握りしめていた物体を落としてしまうことがあるが、その物体は落下という運動を始める。運動している物体は運動エネルギーをもっているが、そのエネルギーはどこから生じたのか?
なんと、物体はある場所に存在することで既にエネルギーを持っていたのだ。それを位置エネルギーというが、英語ではpotential energyといって、直訳すれば「潜在しているエネルギー」ということになる。ここでは敢えてポテンシャル・エネルギーという言葉を使うことにする。というのは、原子力エネルギーや化学エネルギーと呼んでいるエネルギーは物質中に潜んでいるまさにポテンシャル・エネルギーであり、ポテンシャル・エネルギーを運動エネルギーに変換して利用しているという観点が重要だからだ。
さて、物体が手中にあったときのポテンシャル・エネルギーと床面に転がった後のポテンシャル・エネルギーは異なるはずだ。 このポテンシャル・エネルギーの差分に応じた変化が生じる。物体は落下し、物体が床に転がり落ちた際にコツンという音を立てる。それは空気分子を震わせて、あなたの鼓膜をも振るわせた証左だ。物体の位置が変化し、気にもならない程度だが、分子の運動が活発になったいうわけだ。つまり、ポテンシャル・エネルギーの減少分だけ分子の運動エネルギーが増大する。
物体の落下に伴うポテンシャル・エネルギーの差分に応じて分子の運動を活発にできるわけだが、それを定量的に調べたのが、イギリスの醸造工場の息子であったジェームス・プレスコット・ジュールである。エネルギーの国際単位はJ(ジュール)だが、この単位はジェームス・プレスコット・ジュールの名にちなんで付けられたものだ。
私たちは物体が重力によって落下することを知っているが、その物体の落下を巧みに利用すれば、回転運動を作り出せることに気づくだろう。その回転運動を利用すれば、水槽に入れた水をかき混ぜ、ポテンシャル・エネルギーを水分子の運動エネルギーに変換することができる。ジュールは、そんな実験を思いついたのだ。
ジュールは、4ポンド(1816g)の重りを36フィート(11m)降下させ、その動きを利用して水槽の中の水をかき混ぜた。この操作を16回繰り返すと、測定可能なほどの水温上昇が観測されたのだ。この実験の結果からジュールは、1ポンド(454g)の水を0.55℃だけ温めるのに必要な熱量は、890ポンド(404kg)の重りを1フィート持ち上げるのに必要な力学的仕事量に等しいと結論し、この量が英熱単位Btu(British thermal unit)として現在知られている。
この実験を実施したとき、ジュールは1.8kgの重りを11mの高さまで何度も運ばねばならなかった。というのは、1.8kgの物体が自然と11mの高さへと昇っていくことはないからだ。
さて、力は重さと加速度の積によって定義され、1.8kgの物体には重力加速度9.8ms-2を乗じただけの重力が働いている。つまり、1.8×9.8=17.6N(ニュートン)の重力が働いている。力の単位はNだが、馴染み深い単位を顕わにして表現すれば、kg m s-2(キログラム・メートル・毎秒・毎秒と読む)であり、重さ×長さ÷時間÷時間の次元を持っている。重さ、長さ、時間を別々に扱うならば、小学生でも理解可能だ。ところが、力という概念を数値化したときの単位は、重さと加速度を掛け合わせるために、日常感覚から隔たった次元の数量になる。
物理的に定義される仕事とは力に逆らって物体を移動させることであり、力×距離で表されるだけの仕事量を要する。ジュールが17.6Nの下向きの力に逆らって地表から11mの高さまで運んだということは、17.6×11=194Nmの仕事がなされたということである。仕事の単位はNm(ニュートン・メートルと読む)だが、1Nmは1J(ジュール)に等しい。つまり、仕事の単位はエネルギーの単位と同じなのだ。そして、エネルギーとはまさに仕事をする能力のことなのだ。ジュールは重力に逆らって11メートルだけ階段を上る仕事のほかに、この重りを運ぶ仕事をしたわけだが、ジュールは重りと自らの体を11メートル持ち上げる仕事をするだけのポテンシャル・エネルギーを有していたということでもある。ジュールは朝ごはんをちゃんと食べていたのだ。そして、地上11mのところに運ばれた1.8kgの重りは、単に高い所に位置するというだけの理由で、地上を基準として194Jのポテンシャル・エネルギーを有するようになっている。ジュールは仕事をした分エネルギーを失い、腹が減っていた。
水の温度を上げるたいならば、なにも重いものを高いところにまで運ぶ必要はなく、電気ポットを使えばよい。ジュールは、そんな実験も行った。抵抗に電気を流すと熱くなるが、通電した電気量と水温上昇の関係を定量的に調べた。その結果、1kWhの電力消費によって水分子に3600000Jの運動エネルギーを付与できることに気づいたのだ。
水の温度を上げたいならば、火を使えば、よいではないか。 東京ガスが提供する都市ガスはメタン、エタン、プロパン、ブタンと呼ばれる炭化水素だが、メタンが89.6%含まれている。たとえば、メタン(CH4)1分子が完全燃焼すると、水(H2O)2分子と二酸化炭素(CO2)1分子に変化する。化学式を使って表現すると、CH4+2O2→2H2O+CO2と書かれる。燃焼の際に放出された熱は、鍋の中の水を暖めることに使うことができる。その熱は元々ガスに含まれていたと推測できるだろう。都市ガスの成分分子に含まれていた化学エネルギーは、熱と呼ばれる分子の運動エネルギーに変換される。燃焼によって生じた水分子と二酸化炭素分子は鍋に激しくぶつかり、鍋を構成する金属原子が揺り動かされ、その動きが伝わって鍋の中の水分子が動かされるのだ。それを私たちは温度上昇という数値化された情報として取り出すことができる。
1000J のエネルギーは1Lの水を0.239℃上昇させることに相当する。言い換えるならば、地上1mの高さにある102kgの物体の落下を利用すれば、ロスさえなければ、1Lの水を0.239℃上昇させ得る。一方、25mL(0.018g)のメタンの燃焼熱もまた、ロスがなければ、1000J分すなわち1Lの水を0.239℃上昇させ得る。
そんなことを調べると、十分に乾燥した薪180gは2880000J、コークス1kgは30101000J、天然ガス1m3は41022000J、原油1Lは38201000Jに相当するなんてことがわかってきた。
高いところにある物体のポテンシャル・エネルギーを用いても物質中に潜んでいるポテンシャル・エネルギーを用いても、はたまた電気を使っても、水の温度上昇という同一の変化をもたらす。一見したところでは異なる物理・化学現象の規模は、エネルギーという共通の単位で数量化して比較することが可能になった。
そのようなわけで、ウィリアム・トムソン(後のケルヴィン卿←絶対温度の単位の由来)は、1846年には「物理学は力の科学」と記していたが、1851年には「エネルギーが最も重要な本質だ」と公言するようになった。
ともあれ、1リットルの水を0.239℃上昇させるために、102kgの物体を持ち上げるよりもわずかばかりのメタンに火をつける方が簡単だ。
エネルギーを数値化する作業に慣れるまでは、実に退屈な作業だが、あらゆる変化の規模を何々Jという具合に考えることができるようになると、諸問題の根っ子が見えてくるはずです。
2007年11月20日現在、フランスの交通機関のストライキが続き、公務員組合や教員組合がストに加わるらしいという話やブロードウェーの俳優さんたちがやはりストライキを続けているという話も、根っ子はエネルギー問題なのだ。上に記した通り、信用創造は無限にも可能だが、物理的な変化はそういうわけにはいかない。だから、エネルギー・リテラシーこそが求められるわけです。
「消費者物価が上がっただけ実質賃金が目減りしたんだ、この目減りした実質賃金は賃金の上昇によって補償すべきである、という考え方は合理的な根拠をもっていない、経済的な条件を背景としていない、ということである。感情的にはいかにも公正のようにみえるけれども、しかしそれによって賃金は補償できない。それを補償しようとすれば、賃金と物価の無限のスパイラル的な上昇を引き起こさざるをえない、というのが経済の冷厳な事実である。
われわれの実質的な賃金の水準を決定するものは、生産性向上の可能性をもった財の生産部門における生産性向上だけであるからだ。
われわれの消費生活は財貨だけでなくはなくて、サービスも含んでいる。財とサービスとを結合することによってわれわれは生活を営んでいるが、サービス部門においては、財の部門におけるような生産性向上はない。したがってこれを理念化していうと、サービス部門では生産性向上ゼロである、というように考えていいわけである。」(下村治『ゼロ成長 脱出の条件』)
財の生産部門における生産性向上は化石燃料の投入に負うてきた。下村はエネルギーの単位を用いなかったが、彼の言っていることを理解するには、エネルギーを理解する必要があろう。
有史以前から人類は鉄(隕鉄)を利用していたが、紀元前1000年頃には鉄鉱石を還元して鉄を取り出すことができるようになり、鉄製の武器や農具は文明の利器となった。
鉄鉱石から鉄を取り出すには、以前は鉄鉱石(2Fe2O3)を木炭(C)と共に加熱していた。工業的には石灰石を入れて、鉄鉱石中の岩石成分を取り除くが、基本的には2Fe2O3 + 3C → 4Fe + 3CO2 として記すことができる化学反応を進行させればよい。この反応によって、320kgのFe2O3から224kgの鉄(Fe)を取り出すには、最低、炭(C)36kgが必要であり、少なくとも132kgの二酸化炭素(CO2)が排出される。
さて、17世紀のイギリスでは森林の伐採が進んで、木炭の価格が高騰していった。1709年にアブラハム・ダービーは製鉄のために木炭に代えてコークス(石炭を熱して揮発成分を飛ばした残り)を用いることに成功した。かくしてイギリスは森林の伐採よりも石炭の採掘に熱心になった。
製鉄にコークスが用いられるようになると、石炭の需要が急増し、炭鉱から水を汲み出さなければならないようになってしまった。1712年トーマス・ニューコメンは、水を沸騰させた蒸気の力でピストンを上昇させ、それを冷却してピストンを下降させるという運動を利用して水を汲み出す蒸気機関を実用化した。効率は悪かったが・・・
スコット・ランドの技師ジェームス・ワットは文盲だったらしいが、ジョセフ・ブラック(二酸化炭素や潜熱を発見した科学者)の研究室に出入りしていたので、ニューコメンの蒸気機関のように同じ蒸気室で加熱・冷却・再加熱を繰り返すことは無駄が多いと考えた。そこでワットは、常に熱い室(ボイラー)と常に冷たい室(復水器)とシリンダーからなる蒸気機関を考え、燃費の大幅な改善に成功した。ワットはまたピストンの前後運動を回転運動に変換する装置を開発(1781年)、蒸気機関が様々な機械の原動力を供するようになった。古代から風や水の流れを動力源にしていたが、それらは特定の場所でしか利用できなかった。蒸気機関は燃料がある限りいつでもどこでも動力を供することを可能にした。
1800年にワットの特許が切れると、蒸気機関は工場や交通機関など広く利用されるようになり、産業革命の文字通り原動力になった。1811年〜1817年には機械の打ち毀し(ラダイト運動)が起こるまでに機械生産は手工業を圧倒するようになった。
仕事率の単位W(ワット)は、ワットの功績を讃えてつけられたものだ。ワットの末裔は現在、イギリス議会の議員を務めているはずだ。
というわけで、恒温動物の標準代謝量Esは体重をW(kg)として、
一生のうた(三番) 作詞 本川達雄
けものなら
みんな変わらず 一生に
一キログラムの 体重あたり
一五億ジュール 消費する (『ゾウの時間 ネズミの時間』)Es=4.1×W0.751 (ワット) となることが知られている。体重60kgの成人男子の場合、標準代謝量(動かずに無の境地にあるときでさえも必要な単位時間当たりのエネルギー量)は89ワットと算出される。一方、日本人一人当たりの栄養摂取量を2500kcal/dayとすれば、2500000×4.18÷(24×60×60)= 121 ワット が求まる。要するに、私たちは60ワットの白熱電球2個分程度の機関であり、121−89=32ワット分を生存以外の目的に使っている。
無心になって何かをするとしても、私たちは32ワット、つまりは1秒当たり32J分の仕事(たとえば、3kgの物体を1m持ち上げて手を離すような動きを毎秒繰り返す)しかできないのだ。
炭の燃焼熱は、炭1g当り7.8kcal(32600J)なのだよ。30%程度の効率の蒸気機関を使って炭1gを300秒ほどかけて燃やせば、3kgの物体を1m持ち上げて手を離すような動きを毎秒繰り返すことができてしまうのだ。炭1gを5分かけてってことは、1時間なら炭12g、12時間まら炭144gも用意できれば、単純作業の場合、人足一人雇うよりも安上がりになるわけだ。かくして、19世紀になると、Man vs. Machineの時代が到来したのだ。
産業革命に沸く英国をドーバー海峡の向こうから双眼鏡を使って眺めていたニコラス・レオナード・サディ・カルノーは、「効率の高い蒸気動力を手に入れたものは、産業と軍事力の面で世界を支配できるだけでなく、18世紀末にフランスでおきた革命とは比較にならないような、大規模な社会革命の指導者にだってなれるだろう」との野心を抱いた。カルノーは蒸気機関の製造に立ち会ったことなどなかったのだが、彼は蒸気機関の効率について熟考した。
頭の良い人は、類推(アナロジー)を働かせるものだが、カルノーもまた類推によって熱機関の効率を考えた。 カルノーは、熱機関を水車と類似しているものとして考察したのだ。水が流れると、水は水車を回して有用な仕事をする。このとき、水がなくなることはなく、水は単に高い所から低い所へとただ流れているだけだ。低い所に水が溜まるにつれて、水は有用な仕事を生み出さなくなってくる。そこで、水車と同様に、熱素が高い温度から低い温度へと熱機関を通って移動している間にだけ熱素は仕事をする、とカルノーは考えた。
カルノーの時代にはまだ熱は熱素と呼ばれる流体だと考えられていたのだ。ちょうど川の水が下流へと流れるように、熱素は、高温の物体から低温の物体へと、温度の低い方へと流れるものだと考えられていた。いわゆる熱素説だが、後にベンジャミン・トンプソンが大砲の砲身に穴をあける際に熱くなり、無から大量の熱素が発生すると指摘したことによって、熱素説は破棄された。ちなみにトンプソンは庶民の日常的な食事にジャガイモを持ち込み、また、ドリップ式コーヒー・メーカーを発明した人でもある。
で、だね、結局、熱機関の最大効率 e は次式(カルノー効率と呼ばれる)のように表されるということに、カルノーは気づいたのだ。ここで、Thは加熱蒸気の温度(高温)、Tcは廃棄される蒸気の温度(低温)である。要するに、熱機関は高い温度と低い温度の温度差が最大効率(投入した燃料のポテンシャル・エネルギーのうちどれくらいを有用な仕事にできるか)を規定するわけだ。このカルノーが導いた原理は内燃機関にもあてはまる。
たとえば、典型的な発電所のタービンは約550℃の加熱水蒸気を使って回転させ、約100℃の蒸気を捨てている。したがって、どんなに頑張っても、(550-100)÷(550+273)=0.55つまり55%以上の効率は出せない。そして、その他のロスもあって実際の発電効率は30〜40%になるわけだ。
かくしてカルノーの野心は謙虚な世界観を樹立するに至った。カルノーの考えを現代の用語で置き換えるならば、高温の熱エネルギーは熱機関を駆動して仕事に変換することができるが、同じ量のエネルギーでも低温だと有用な仕事に変換できない、ということだ。同じ量のエネルギーはそこに存在するが、何かが違う。その何かとは、私たちがエントロピーと呼ぶようになる当のものだ。カルノー効率は無から何かを得ることはできないという深遠な原理なのだが、中央銀行家は耳を貸そうとしない。
石油減耗論に関心のある方ならば、2004年にカルテクの物理学教授であるDavid Goodsteinがピーク・オイルに言及したことが、ちょっとしたニュースになったことを記憶しているだろう。なにしろカルテクの物理教授が石油減耗の影響を語ったのだから、CampbelやHeinbergの声が増幅されたわけだ。 Goodstein教授の著書に"Out of Gas"というのがあって、私は全訳を試み、出版社に持ち込んだのだが、出版にこぎつけることができなかったという思い出がある。今や石油減耗に関するジャーナリスティックなものは日本語でもいくつか出ているが、"Out of Gas"は趣の異なる内容なのだ。それは物理の副読本のようなものであり、エネルギー理解の助けになる良書なのだが・・・
ともあれ、世界征服の野心を抱いたカルノーはコレラに罹り、36歳の若さで他界したそうだが、エミール・クラペイロンがカルノーの考えを世に広めてくれたのだ。そして、ドイツ人の数理物理学の教授ルドルフ・クラウジウスは、熱が高温から低温に流れるというカルノーの考えとジュールによるエネルギー保存則とを結びつけ、今日私たちが知る熱力学の主要な二つの法則を導いた。熱はエネルギーであり、仕事にもなる。エネルギーは常に保存されるが、エネルギーが高温であるとき、あるいは燃料が燃やされる前、そのエネルギーの少なくとも一部は仕事に変換され得る。だが、周囲の温度に等しくなって排出された同量のエネルギーは利用できないものになる。エネルギーの量は変わらないが、エネルギーの質は変ってしまうというものだ。
「存在が意識を規定する」と言ったのはカール・マルクスだが、もったいない学会第7回サロン・講演会(2007 Nov.26)に参加して思ったのは、食糧自給率が意識を規定するということでしょうか。 というのは、今回の勉強会の演者は都道府県別食糧自給率が優に100%を越える北海道にある北海道大学農学部の先生だけに、 食いっぱぐれるような心配はしていない。それどころか、米国による対日農業政策(余剰農産物の輸出)の破綻を歓迎しているかのように話された。 日本農業の衰退と日本の製造業の躍進が表裏一体の関係にあったとは考えていないらしく、ましてや金融メカニズムとの関係など知る由もないのだろう。
救われたのは、懇親会で京都大学のO君がこのHPを観ているらしく声を掛けてくれたことです。日本の未来です。お若い方、古来より「君子は器ならずや」(『論語』)と言いましてね、単なる専門家で終わっちゃいけません。「知の統合」と称して専門家を寄せ集めしたって仕方ないわけで、それを自分の頭の中で実践しなきゃ意味ないですよ。私、会場の長瀬産業に行くまでの電車の中、「資源炎上」と大見出しの付いた週刊東洋経済を読んでいたのだけど、ノーベル賞を受賞している野依良治が「種の保存」なんて言葉を21世紀の世に使っていることに閉口。
再びエネルギーの話に戻りましょう。
さて、ニーチェが言うには、「私は、化学的「法則」について語らないよう警戒する。これは道徳的後味をもっているからである。むしろ問題は、権力関係の絶対的確立である。すなわち、弱いものがまさにおのれの自立性を貫徹しえないかぎり、 強いものが弱いものを支配するのであり、ここには、いかなる憐れみも、いかなる甘やかしもない、ましてや「法則」に対する尊敬などない」(『権力への意志』)というわけだが、どうして化学法則に道徳的後味があるのか?
ニーチェが警戒する化学法則はおそらく、いわゆる質量保存の法則を指しているのではないかと思われる。1775年のこと、アントワーヌ・ローレント・ラボアジェは、アルコール発酵において、原料である糖の質量と生成物であるアルコールと炭酸ガスの質量が同じであることに気づいたのだ。 かくして、「人工的な操作においても、天然の操作においても、何物も創造されない。一般に操作の前と後とにおいて、等量の物質が存在し、要素(元素)の質と量は同一であり、ただ組合わせの変化があるのみである、と一般に言うことができる」("Traite")という物質理解が進んだ。
アルコール発酵の化学反応式は、C6H12O6 → 2C2H5OH + 2CO2 と書くことができ、グルコース(C6H12O6)1分子からエチルアルコール(C2H5OH)2分子ができる。
この反応は、いわゆるバイオエタノールの考察をする上でも重要である。というのは、180gの炭水化物から92gのエチルアルコールが生産され得るということを示しているからだ。エタノールの比重(d 20)が0.789ってことはだね、乾燥重量にして180kgの穀物からはエタノールが116Lほど取れるという話なのだ。
近代農業における穀物の収量は1ha当り5トン程度、仮に茎の部分を使ったエタノール生産が可能だとしても、1ha当り10トン程度が原料の上限だろう。穀物の含水率を10%として1haあたり9トン(計算が楽だから)ということにしよう。すると、1haの農地(100m×100mの大きさだよ)からは、9000÷180×116=5800Lのエタノールが得られるかもと皮算用できる。 ちなみに私は現在、毎年1万km弱車を走らせ、毎年1200リットル程度ガソリンを燃やしている。そんな人が日本だけでも何十万人っているわけだから、確かに道徳的後味があるわけだ。
熱力学の第零法則は「温度を測定することができる」というものだが、熱力学の第三法則は「0K(ケルビン)に達するのは不可能である」というものだ。
K(ケルビン)単位で表される絶対温度にはマイナスの温度はないのだ。もしもマイナスの絶対温度があるならば、カルノー効率において、Th>0, Tc<0とするならば、e>1となってしまい、燃料のポテンシャル・エネルギーより大きな仕事を生み出せること(永久機関)になってしまう。そんなことはあり得ないのだ。
なお、マイナスについてだが、ドイツの数学者ヴィドマンが1489年に『あらゆる商取引のさいの敏捷で上手な商取引』と題する商用算術書を著わし、その中で商取引の超過と不足を意味する記号としてプラス(+)とマイナス(−)を発明、一般の加法、減法の記号となったらしい。1545年にはあらためてイタリアの数学者カルダーノが、負数が普通の数と同様の数学の規則に従うことを示した。
ところで、カルダーノは1535年にタルターリアが発見した三次方程式の解法を甘言を弄して聞き出して、それを自分の手柄のように発表して名声を得た。この科学史的事件が後に学会という営みを促す契機となった。ともあれ、よほど自覚的な人でもなければ、科学者とて利己的遺伝子に操られているのであり、生物学的本性上の要求を充足する上で有利に作用する名声を求めずにはいられない性から逃れられないという教訓でもある。
ちなみにフレデリック・ソディは、「マイナス2匹の豚」と言う場合、数学的意味はあっても物理的意味はないとして、マイナス概念の扱いに注意を促している。繰り返すが、絶対温度は負にならない。
今月の月曜日は学部の授業が終わるや次の時間に大学院生を対象とした授業が入っており、忙しいの・・・
この大学院生向けの授業では、一次エネルギー供給量の推移とデザインの変化に焦点をあてます。そもそもデザイナーが職業として確立したのは産業革命以降のことなのだよ。有名な工業デザイナーである柳宗理さんが私の大学で講義していたときのレクチャー・ノートを参考にして、柳さんは戦後の焼け野原で未来社会を展望していたんだよ、君たちゃ石油減耗時代に即したデザインを開拓したまえ、ということを意図した授業を予定。 資料として使うのは、非売品の柳宗理のレクチャー・ノートと若林宏明『安価な石油に依存する文明の終焉』(流通経済大学出版会 2007年)の抜粋、そして、リチャード・ハインバーグの(post-)Hydrocarbon Aestheticsというエッセイ。受講者にはハインバーグのエッセイの全訳(分担)を試みてもらいます。ありがたいことに、ハインバーグは19世紀末のArts & Crafts運動に石油減耗時代のライフスタイルの青写真を想い描いているんだな。
物理化学を囓ったことのある方ならば、オックスフォード大学はリンカーン・カレッジのピーター・アトキンスの名前を知っているだろう。彼は大学でよく使われる教科書の他に、非常に示唆に富む副読本もいくつか書いている。『エントロピーと秩序 熱力学第二法則への招待』(日経サイエンス社)はエントロピーを考える上で推奨したい図書だ。その著書の中でアトキンスは、「熱力学という名は・・・実にへまな言葉である」と述べている。というのは、熱はエネルギーの一つのformにすぎないことがわかっており、熱力学の法則と総称しているものは今ではあらゆるエネルギー変換にまで拡張して使われているからだ。 だから、熱力学の第一法則は「エネルギーの総量は保存される」という内容だ。こちらにあったエネルギーがあちらにいっても総量は変わらないというわけだ。熱力学の第二法則は「エネルギーの分布は不可逆に変化する」というもので、「宇宙のエントロピーは増大する」なんて表現されたりもする。第一法則によってエネルギーの総量は保存されるが、第二法則ゆえにエネルギーの質が低下することを免れないわけだ。
『新ロウソクの科学 ― 化学変化はどのようにおこるのか ―』(東京化学同人)と邦題のつけられたアトキンスの著書がある。この著書の第4章「カオスへの貢献」は非常に興味深い話を扱っている。アトキンスは次のように記している。
「たくさんの反応がありますが、いったいどうして反応が起こるのでしょうか。ロウソクはなぜ燃えるのでしょうか。炭酸塩が沈殿するのはなぜでしょうか・・・反応が生成物をつくる傾向は、自然界の最も注目すべき法則である"熱力学の第二法則"に支配されています。」
熱力学の法則が「熱力学」と冠されているために、それがなにやら蒸気機関のようなものにまつわる法則性に限定されるかのような印象を与えてしまいがちだが、熱力学の法則は化学変化というミクロな変化をも支配しているのである。
ルドルフ・クラウジウスやウィリアム・トムソン(ケルビン卿)によって熱力学第二法則が確立されたが、その化学反応への応用はジョシアW.ギブスによって認識された。思い出していただきたい、理論経済学者であるアーヴィング・フィッシャーが師と仰いだギブスである。
かつてカルノーは水車のアナロジーとして熱の流れによって駆動する仕事を考えたが、ギブスは熱の流れによって引き起こされる化学変化を考えた。河の流れが水車を介して仕事を生み出すように、熱の流れは蒸気機関を介して仕事(自発的に起こり得ない力に抗する変化)を生み出す。そしてまた熱の流れは化学変化という自発的には起こりえない変化を引き起こすというわけだ。
「(熱力学の)第二法則は"自発変化"に関連しています。自発変化というのは、外部から駆り立てられなくとも進行するような自然の傾向をもっている変化のことです・・・ 水素と酸素には水をつくる自然の傾向があります(この変化は自発的です)。しかし、この二つの物質の混合体は、変化の堰が火花によって開かれるまではいつまでもそのままでいることができます。熱力学は変化の傾向だけしか語りません。その変化が達成される速さについては熱力学は沈黙しています。
ある種の変化は自発的ではありません。水は水素と酸素に分解する傾向をもっていませんし、二酸化炭素が自発的に壊れて酸素と煤の層とになることはありません。しかし、場合によっては、自然に進まない方向に反応を駆り立てることによって、自発的ではない変化を起こさせることができます・・・自然に反するような方向に物質を変化させる一つの方向は電気分解です」(ibid.)
ところで、大学改革に関連した内容の石浦章一著「東大教授の通信簿」(2005年)には、「(東大の)カリキュラムを変更し、・・・ 細かいことですが、熱力学も必修に戻します」とあり、目下、熱力学が教えてくれる世界観を欠落した世代が社会の中核を占めているような気がしてならない。
P.Somasundaran(編) Encyclopedia of Surface and Colloid Science(2006年)の1609ページに私のドクター・ワークの一部が紹介されているのだが、馬鹿正直に言えば、10年前には何も見ないで小難しい方程式を導出できたが、今やすっかり忘れてしまっている。覚えているのは、方程式が示唆する考え方だけなのだ。同様に、統計熱力学によって導かれるエントロピーを表す方程式も複雑なもので説明に困ってしまうのだが、幸い、アトキンスは熱力学の第二法則が示唆することを三点に要約してくれている。自発変化は物質の離散に対応する。 自発変化はエネルギーの離散に対応する。 自発変化は運動の相関関係が減ずる方向に対応する。
物質の離散はティー・パックからお茶の成分が拡散するような変化や紙(セルロース)が燃焼して二酸化炭素と水分子が漂っていくような状況を想像すればよろしい。エネルギーの離散というのも紙を燃やせば紙の中に局在していたはずのポテンシャル・エネルギーが二酸化炭素や水分子の運動エネルギーとなって辺りに広がっていくということ。運動の相関関係が減じるのは、ヤカンでお湯を沸かすと注ぎ口近くでは蒸気の方向が揃って出てくるが徐々にモワモワと方向が揃わなくなってくるようなイメージ(注:沸騰自体は自発変化ではなく、蒸気の進み方の自発変化を述べている)
そして、上に示した自発変化はちょうどエントロピーの増大に対応するような変化なのだ。エントロピーは、物質が離散するにつれて増大する。 エントロピーは、エネルギーが離散するにつれて増大する。 エントロピーは、運動の相関関係が減じるにつれて増大する。
炭が燃えるという現象は、C(固体)+ O2(気体) → CO2(気体) と書けるが、炭という塊がバラバラの気体分子(二酸化炭素)になるのだから物質の離散であり、しかも熱が出る。つまり、炭の塊に局在していたポテンシャル・エネルギーが二酸化炭素の運動エネルギーとして離散するような変化であり、エントロピーと呼ばれる乱雑さの程度を表す指標もまた増大している。
逆に、二酸化炭素が自発的に炭と酸素になるような変化、バラバラな気体が一箇所に集まるような、要するにエントロピーが減少するような変化は自発的には生じない。
化学の重要な側面は、自発的でない化学反応でも、それを進行させることができる、ということである。ただし、自発的でない化学反応の進行に伴うエントロピーの減少分を凌駕するようなエントロピーの増大を伴う自発的な化学反応によって駆動される、という条件を免れない。つまり、正味では宇宙のエントロピーは増大する。このことに関連して、日経エコロミーに養老孟司翁が話された記事「エコの壁(下)」が理解の助けになるかと思う。(授業で使わせてもらったのだが、学生の理解度が高かった)
水があってはじめて生命体は安定な状態に維持されるが、生命を維持するための化学反応は水が存在すると活性化されない。「生命と弁証法は一見何の関係もないが、生命は水との根源的矛盾をタンパク質という疎水場をつくることで止揚して生まれたということができる。」(『化学』50巻9号1995年)こう語る福住先生(私の学位審査の副査)は、「ともすると酵素の見事な働きは、生命の不思議と結びついて、何か超自然的な力をイメージしがちである。しかし、生命現象が化学反応であることは疑いようのない事実(化学者の信念?)」(ibid.)と記している。
ヒトは生命体だが、バルキーな物質でもある。都市化という物質の集中化は物質の離散(エントロピーの増大)に反するような現象であり、どこかでエントロピーの増大を伴わなければ進行し得ない。都市化を可能ならしめているエントロピーの増大は主として化石燃料の燃焼(ハイドロカーボンが二酸化炭素と水分子にばらけながらエネルギーを離散させるエントロピー増大プロセス)や核分裂(原子核がばらけながらエネルギーを離散させるエントロピー増大プロセス)である。もちろん私たちが食糧を呼気や排泄物に変えるようなエントロピー増大プロセスも不可欠だ。問題は、石油減耗時代には都市化というエントロピー減少プロセスを駆動する上で不可欠なエントロピー増大プロセスを維持できなくなるということなのだ。
ともあれ、熱力学の第二法則は逃れようのない原則であり、エントロピーは増大しなければならない。すると、どのようなプロセスが生じるかと言えば、都市から地方への再分散というエントロピー増大プロセスと都会人自らが分子レベルに離散するというエントロピー増大プロセスということになるだろう。私としては前者をお薦めしたいのだが、経済の軛ないしは利己的遺伝子による主情はそれを困難なものにしており、Jay Hansonが恐れるカタストロフィも杞憂ではないと言わざるを得ない。
教師生活一年目の冬のボーナスの日、小林くんが私の研究室にやって来て、「センセー、ボーナス出たでしょ〜」と言ってニヤニヤしていた。その夜、私は学生数人を従えてパァ〜と飲んだことを忘れることができない。その小林君の将来の夢はネスカフェ・ゴールド・ブレンドのCMに出ることだそうな。「違いを楽しめる男」(旧「違いのわかる男」)として。はたして小林君がカルノー効率を眺めて、温度差がなければ、熱機関に仕事をさせることができないということを知っているのかどうかは定かでないが、「違い」を楽しむ男でいて欲しい。 ![]()
「違い」というのを「差異」と言い換えても、さして支障はないだろう。
ソシュールの記号論を評して、「「ムスメ」と「オバハン」は違うし、「オバハン」は「ババア」と違う。だから「オバハン」は「ムスメ」との差異、「ババア」との差異の中で、はじめてオバハンとしての意味を持つの。このように言語のつまりは記号の体系の中には差異しか存在しません」(筒井康隆『文学部唯野教授』)というわけで、なんらかの差異を明確にするために対応付けられた記号でもって私たちはコミュニケーションを成り立たせている。鸚鵡返しを繰り返されると段々と腹が立ってくるわけで、差異ゆえに円滑なコミュニケーションが成り立つ。
岩井克人氏は、産業資本主義以降の情報資本主義的傾向が幅を利かすようになったことで露わになったのは、資本主義というのが差異を媒介として利潤を生む形式性にすぎないということだという。というのは、情報資本主義は「企業間の情報の差異性を媒介したり、さらには差異性そのものでしかない情報を商品化することによって利潤を生みだしていく資本主義の形態であるからです。そこでは、まさに資本主義の原理が意識化されている。差異性から利潤を生み出すという資本主義の基本原理が誰の目にも明らかなかたちで日々実践されている」(『二十一世紀の資本主義論』)というのだ。
要するに、経済の根本は「安く仕入れて高く売る」"Buy cheap, sell dear"という古からの商人の格言の実践なのだ。そして、温度差がなければ熱機関が機能しないように、仕入れ価格と販売価格に差がなければ経済は機能しない。 物理的変化はプロセスを経るごとにエネルギーの質が低下することによって特徴付けられるが、経済的変化はプロセスを経るごとに価格が上昇することによって特徴付けられる。そして、経済と物理の関係性ないし整合性を考えることが、石油減耗時代の課題である。
科学者は特別な関心を抱いた部分に注目します。その特別な関心を抱いている部分(どのように線引きしても構わない)を系systemといい、系の周辺を周囲surroundingsということにしています。要するに、宇宙を系と周囲に分けて、注目する部分について考えるわけです。
適当な境界を設けて、系と周囲とを分けて考えるわけですが、系と周囲の間の境界を通って物質が移動できるとき、その系は開いた系とか開放系と呼び、そうでなければ閉じた系とか閉鎖系と呼んでいます。
その昔、相良直美の「世界は二人のために」というヒット曲があったんだけど、ここでは世界があなたのためにあるとして、世界を「私」という系と周囲とに分けて考えることにしてみましょう。
すると浮かび上がってくることは、身も蓋もない話だが、世界は、「私」という生命(開放系の散逸構造)が生存し、周囲では何らかの変化(原子分子の位置の移動)が起こっているくらいのことだと考えることができるでしょう。恬淡とした世界観だけど、エコロジー経済学の先駆者はそのような見方をしています。
フレデリック・ソディはエネルギーの「生命維持的利用」と「労働的利用」とを区別して考えることを勧めたが、それは世界を「私」という系と周囲に分けて考えなさい、ということにほかならない。エネルギーと自然淘汰との関連について、「もし公平な審判者が存在しうるとすれば、彼は間違いなく、現在人類という種が自然の機構の中で独自の卓越した地位を占めていることを認めるだろう。というのは文明人は、背丈の似通ったいかなる敵をも実際に負かすような特質を獲得しているからである。これはきわめて特殊な形の生存競争の中で人類の身についたものである。他の種との闘争が背景に退くにつれて、人類内部の抗争が前面に押し出されてきた」("Elements of Physical Biology" マルチネス=アリエ『エコロジー経済学』所収)との見解(生物学的には同種内淘汰という)を示したアルフレッド・ロトカもまたエネルギーの体内的利用と体外的利用を区別した。
上記のごとく系と周囲にわけることは、世界を物理的な観点から考察する上で有効だろう。だが、現実世界は複数の「私」と「所有」と呼ばれる観念の介在によって、より複雑で厄介なものになる。とりあえずは互恵主義的に生命と財産を守るのが国家の役割だと信じてやってきたが、権利や義務といった観念が近代の産物つまりは化石燃料の賜物だとしたら、石油減耗時代の備えとして法が機能し得る物理的条件なるものを考えておく必要があるのかもしれない。
コロイド粒子の動きを調べると、ブラウン運動と呼ばれるランダム・ウォークが観測される。縦軸に基準点からの変位、横軸に時間を記録するならば、あたかも株価の推移を表すチャートのようなグラフができる。実際、ソルボンヌ大学の有名物理教授アンリ・ポアンカレの学生だったルイ・バチャリエはブラウン運動という物理現象を博士論文のテーマとして与えられたのだが、バチャリエは「投機の理論」と題する論文(1900年)を仕上げた。
ブラウン運動の研究によって、化学者が1モルと呼ぶ物質量あたりに何個の分子が含まれるか、いわゆるアボガドロ数を定量的に調べることを可能にしたのはアインシュタインである。アインシュタインはコロイド粒子にあちらこちらから分子がぶつかって微小粒子がランダムに動く様を想像したにちがいないが、バチャリエは株価が多くの市場参加者の売買いによって変動することをコロイド粒子の動きから連想したのだ。このバチャリエの研究は50年後、MITのポール・サミュエルソンに発掘されて、いわゆる金融工学へと発展した。(『LTCM伝説』)
アナロジーですなぁ。
石油減耗時代を展望する上で参考になると思われるアナロジーは冷凍機にまつわるエネルギー論ではないか、と私は目星をつけている。自然の傾向から取り出した仕事を使って、系からそれよりも熱い周囲へと熱を輸送する冷凍機である。つまり、化石燃料を使って都市化のような自然の傾向に逆らうような現象を可能にしているのは、あたかもクーラーで室温を外気温より低くするような所業では、と。
冷凍機によって、より熱い周囲へと不自然な熱の流れqを作り出すのに必要な仕事wを考えたとき、その比q/wは性能係数と呼ばれ、それをcとすると、で表せる。ここで、Thは外気温に相当し、Tcは室温に相当する。もちろん、Th>Tcである。外気温より室温が低いという不自然な状態を維持するには、クーラーを使って仕事をし続けなければならない、、つまり発電所で化石燃料を燃やし続けなければならない。その低温を維持するための仕事率Pは、 ![]()
と表され、不自然な温度差を維持するのに必要な仕事率は温度差の二乗に比例して増加する。このことはクーラーの設定温度が同じでも外気温が熱いほど消費電力が大きくなることを表してもいる。 ![]()
石油減耗時代とは、この不自然な温度差を維持するための仕事率を一定に保ち得ない状況と言うことができるだろう。