水野家資料・江戸 | |||||||||||||||
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御三所物絵本 (みところものえほん) |
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資料名 | |||||||||||||||
作品解説 | |||||||||||||||
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折り本仕立ての三所物(みところもの)の図案集。三所物とは、刀剣外装金具うち、小柄、笄、目貫の三種を言い、小刀の柄であった小柄と、烏帽子からはみ出した髪を整える理髪用具の一種であった笄と、刀身を柄に留める目釘から発達した目貫との装飾性が増し、三所物を担っている。三所物は、同一の文様で揃えるのを常としたとされており、水野家が御用を命じられたものの多くの用途は、献上品及び諸公への進物だったといわれる。本図案集は、三所物の模様の見本として使用されたと考えられる。
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作者情報 | |||||||||||||||
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水野源六家 水野家は加賀藩白銀職頭取を勤めた家柄。初代水野好栄は摂津国大阪の出で、京都に移り後藤長乗に師事する。慶長年間、好栄は二代利長に招かれ、長男源次と次男源六を伴い加賀へ移り一家を成した。好栄の通称「源次」は長男が継ぎ、次男「源六」は別に家を興した。源六系の初代源六好房は、後藤宗家の悦乗が加賀を去る際、白銀職頭取の職務代行を命じられる。以降、二代照善、三代多光、四代光政、五代光益、六代光則、七代光和と代々名工を排出し、四代以降はすべて養子が続いた。八代源六光春の時に明治を迎え、1877年(明治10)金沢に銅器会社が創設されると、光春は頭取として参画するなど、維新後もこの家柄は金沢の金工に大きな影響を及ぼしている。 |
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作者名 |
水野源六家 |
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制作年
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江戸時代 | ||||||||||||||
法量
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1冊 縦25.5 横7.1 | ||||||||||||||