金工 | |||||||||||
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資料名 | 金銀象嵌博山香炉 (きんぎんぞうがんはくさんこうろ) | ||||||||||
作品解説 | |||||||||||
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博山は、古代中国の神仙思想において不老長寿の仙人が棲む理想郷と伝えられる山である。古くからこの博山になぞらえた香炉が多数作られ、本作も典型的な博山炉の形状となっている。銅の鋳造で、博山に見立てられた円錐形の蓋は幾重にも重なる山並みを思わせる。図案は玉井敬泉による。本作の胴部や承盤に象嵌されている高山植物はつが桜、黒百合、南京小桜であるが、このうち南京小桜は別名白山小桜ともいい、白山に生息する。黒百合は赤銅、つが桜は銀、南京小桜は素銅と思われる。これらの植物に見られる平象嵌は加賀象嵌の伝統的技法で、アリ立て(彫った窪みの上部より底部を広くする)をすることによって象嵌部分が外れないのがその特徴である。底部裏に「弘安」の銘がある。また、本作は1924年(大正13)皇太子石川県行啓台覧の作品。
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作者情報 | |||||||||||
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米沢弘安【1887〜1972年(明治20〜昭和47)】 1887年(明治20)金沢市生まれ。本名、弘安(ひろやす)。生家の米沢家は代々白銀細工、刀装金具などの制作を家業とし、白銀屋と称していた。父清左右衛門(1851〜1923)は、1877年(明治10)設立の銅器会社で職工監、職工棟取を勤めた加賀象嵌職人で、弘安は12歳ですでに父より金工技術の手ほどきを受け、1922年(大正11)石川県工芸奨励会会員作品展で三等受賞。その後、鉄打出しの名工山田宗美(1873〜1916)に私淑し、更に創意を加えて鉄打出しに象嵌を施す作品を制作するようになる。また、弘安が卒業した金沢高等小学校の同窓生に日本画家玉井敬泉(本名猪作)(1889〜1960)がおり、深い親交を続けた。このため弘安は作品の図案・意匠の多くを敬泉に依頼している。戦時中は石川県芸術品取扱規程により認定芸術家に選定され、割り当てられた製作許可金額内での製作が認められた。戦後は現代美術展、日本伝統工芸展などを中心に活躍、1969年(昭和44)加賀象嵌で石川県指定無形文化財に認定される。1972年(昭和47)には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に認定される。同年没。 |
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作者名 |
米沢 弘安(よねざわ こうあん) | ||||||||||
制作年
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1924年(大正13) | ||||||||||
法量
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径21.5高19.9 | ||||||||||