陶磁
資料名 瀬戸天目写(せとてんもくうつし)
作品解説
仁清の作品は茶器が多く、茶碗や茶入、水指、茶壺、香合などを残している。初期の京焼諸窯で瀬戸や唐物写などが生産されたのと同様、仁清もまた初期には唐物写、古瀬戸や高麗茶碗の写しなどを制作していた。本作のような天目写を数十碗単位で制作しており、多数残されている。高台には墨書で「三玄」とあり、これはこの天目茶碗がかつて大徳院の三玄院にあったといわれるものの一つであることを示す。器形はべた底の小さな高台を持ち、口縁部で内側への窪みを持ってから外へ広がる典型的な天目形である。また肉厚はほぼ均一に薄く、仁清の轆轤技術の妙を知ることができる。墨書の右下に「仁清」の銘印が捺されている。
作者情報
野々村仁清【生没年不詳】
通称を清右衛門といい、丹波国(現、兵庫)桑田郡野々村の出身で丹波焼の陶工であったとされる。京都仁和寺門前に御室窯を開窯した正確な時期については不詳であるが、京に上がってからの仁清は当時京焼(山城(京都)盆地一帯で焼かれた焼き物を京焼という)の中心であった粟田口や茶入作りの中心であった瀬戸で修行したとも言われている。仁和寺との関わりは深く、「仁清」も仁和寺の仁と清右衛門の清を合わせたもので、仁和寺宮よりもらったものと伝えられる。開窯初期の段階では、唐物や高麗などの写しも多数制作し、その後、仁清の支援者で王朝風の華やかな茶道を展開した金森宗和(1584〜1656)の好みに合わせて桃山時代の侘び茶の世界とは異なる色彩豊かな色絵陶器を完成させることとなる。また、仁清は色絵ばかりでなく轆轤技術にも優れており、茶壺などは非常に薄手で、轆轤技術が巧みでなければ成形できないものである。

作者名

野々村 仁清(ののむら にんせい)

制作年
江戸時代
法量
口径12.2底径4.7高6.4