陶磁
資料名 呉洲赤絵金襴手丸紋向付 5客(ごすあかえきんらんでまるもんむこうづけ
作品解説
高台に付く底部はわずかに外傾して広がり、腰部で強く湾曲して立ち上がり口辺部へとつながる。見込み中央二本の圏線の真ん中に「壽」の文字が書かれている。外面は四方に緑の枠を持つ丸文を儲け、赤地の上に金泥を塗った中央部には龍雲模様がきしり(金彩部分をヘラ先で引っ掻いて線模様を出すこと)で描かれている。中国陶磁の写しを得意とした保全は、特に金襴手には独自の技法を用い、明代嘉靖年間の金襴手が金箔を使用しているのに対して保全は金泥を用いている。高台には「永樂」の印。
作者情報
永楽保全【1795〜1854年(寛政7〜安政元)】
1795年(寛政7)京都の織屋澤井宗海の子として生まれる。代々茶用の土風炉制作を家業とした西村家十代、善五郎了全の養子となった。西村家は了全の代から他の茶陶を作るようになり、保全は24歳で十一代善五郎を襲名し家督を継ぐ。1827年(文政10)表千家十世吸江斎の紀州徳川治宝への出仕に伴い、仁阿弥道八(1783〜1855)や父了全らと共に「偕楽園御庭焼き」に参加して成果をあげて以後、紀州家御用陶工として活躍した。この折、紀州候から「河濱支流」と中国で明清朝期を通して最も陶芸の充実した時代であった明代の永楽年間に因んだ「永樂」の号を拝領し、それらの印を造った。また、和全の代から(明治元年)永楽を姓とするようになる。1854年(安政元)没。青木木米(1767〜1833)、仁阿弥道八らと共に京都三大名工の一人とされている。

作者名

永楽 保全(えいらく ほうぜん)

制作年
江戸後期
法量
口径13.0底径3.2高6.1