芸術学

 

片山 志野

卒業論文要旨


現代作陶における穴窯の意義と作家の構想
- 一作家の穴窯運営の記録-

 かつては日本人の陶芸鑑賞にも強い影響を与え、陶芸家自身にも魅力を感じさせてきた自然風土と密着したやきもの制作。その象徴であった“土と火の神秘”とでも形容される言葉がある。

 現代の作陶現場では、便利な測定器や制御装置が使われ、良土を生まない土地に住んでも全国各地の土が(一応は)手に入る状況である。加えて焼成の主力が自然条件に左右されない電気、ガスなどの燃料に移行した。この変化は1950年代から1960年代初めにかけて始まり、その後1970年代には日本の陶芸界の大勢となったのである。“神秘”が容易に生み出されるようになり、もはや神秘性はなくなってしまったのか?しかし、その象徴的な言葉は息を潜めることはなく、“土と火の神秘”に魅せられる人々は後を絶たない。しかし、その曖昧模糊とした便利な言葉に目を奪われ窯焼き、特に古式にのっとった窯焼きが計りがたいもののようにみられている事態にはどうにも釈然としないものがある。愛好家の多くが窯焼きを観念的に捉えがちな傾向があるように感じる。反対に、研究者は陶磁研究においては、観念的・叙情的なものは排除しがちではないか。

 現在ではやきものブームとでもいうべき気運によってか、多くの人々が陶芸に興味を持ち、制作や鑑賞がさかんに行われる世の中である。またあるいは研究においても、研究者は言うに及ばず、多くの愛好家たちによっても熱心になされている。陶芸界が活気づき喜ばしい動きであると受け止めているが、それと同時に指摘したいこともある。

 研究が熱心に行われているというが、“焼き物”が成り立つ上で最も不可欠な焼成そのものに関しては、(様々な制約はあるにせよ)意外なほど消極的な研究態度ではないか。窯焼きを作品研究の目的から検証するものは、少ないながらも見掛けぬことはないが、窯や窯焼きを主体とした視点からの論考および、文献は考古学的なものばかりで、美術研究の面からみたものはほぼ無いといえよう。その点を踏まえ、本論文が目指すものは、読者に“穴窯の魅力をアピールする”ことである。

 私は陶芸作家への道を歩もうとしている。当事者を志す者であり、また本論文においては論者でもある。この双方向からの視点で同時に穴窯というものの存在を考察し、その魅力はどこにあるのかを探ることを試みた。窯焼きの実際を知り、穴窯の魅力をよりリアルに伝えることを最終目的としている。そして筆者の思うところを明確にし、未来に繋げられるよう努めたものである。

 本論文第1章は、まず陶芸の窯を知ることを目的としている。古来より陶工は、「一に土、二に焼き、三に細工」もしくは「一焼き、二土、三細工」と作陶の在り方を示唆している。重視される順位に多少の差はあれど、やきものの主原料は土であり、主加工は焼きであるといえる。

 近年の陶芸界の動向においては、焼きは主加工という概念は揺らいでいるともいえるが、窯というのは品物を加熱する装置である。そして、窯焼きというのは土のカタチを固定化する作業のことである。土のカタチを固定化、則ち素地を焼成するのに窯が必要であるわけは、窯を使わなければ充分な熱量が得られないからである。熱量を得るために火を囲む必要がある。それが窯であり、窯の歴史の始まりである。

 やきものの窯は人類が考え出した最も古い道具のひとつであり、その最初のものは少なくとも紀元前8,000年に遡るほど古いといわれている。800℃の土器焼きから始まり1,300℃の磁器への窯焼きの歴史は、より堅いやきものへの人間の想いの現れであり、低温から高温への窯焼きの苦闘であった。より高温焼成への技術の進展は、薪から石炭、油、ガス、電気へと高い熱量とクリーンなエネルギーへと変化しているが、それを効率よく燃焼するための窯構造の改良工夫の歴史がある。

 窯の出現から、現在の多種多様な窯が登場するまでのみちのりは長く、本論文では窯の歴史を細かに紐解くことが目的ではないため、これは簡単にとどめた。また、日本国内における窯の変遷は、穴窯を中心としてそのゆくえを追った。

 またここでは、窯の種類と特徴を述べていき、その窯の構造と燃焼の原理を解説した。穴窯については特に項を設け、おおよそ基本的な形態のものを取り上げて考察した。

 穴窯とは、野焼きでは大気中に逃げてしまう熱を蓋をして覆い、押さえるために考え出された原初の窯である。普通の穴窯は熱が大気中を上昇するという性質を利用して、山などの斜面の地中を掘り抜いたものや、天井だけを構築したものなどがある。大方は単室である。桃山期に大窯と通称されのちに鉄砲窯などとも呼ばれたが、江戸時代の初期から唐津系の登窯が普及して、大量生産の現場では効率の悪い穴窯式は次第に衰え、僻地に僅かに残っているという状況にまでなった。しかし戦後、かつてのような窯場単位の共同体的作業から個人単位の作業へと移行し、技術革新と近年のやきものブームにより、愛好家も穴窯にチャレンジする者が現れ、その数は確実に増えているのである。愛好家が本格的な窯焼きに挑戦しようという際には、穴窯は登窯よりも築窯、運営などの点において手頃に感じるからだろう。

 第2章では、現代の穴窯事情を考察した。また、近代的な窯と穴窯を比較検証し穴窯の特性を浮かび上がらせた。穴窯はそもそもが原始的な窯であるため、当初のままの形態では非常に効率が悪い。登窯と比較すると効率には大きな差があるのが分かる。そこで、作家達はそれぞれ工夫を凝らして、穴窯の特性を生かしつつ欠点を補うよう、改良を重ね、穴窯を“進化”させてきた。容量が少なく作品数が入らないという欠点も、使う人にとっては小回りが利くという長所になる。作品に合わせて窯を作り、窯焼きをする事が出来る。それが穴窯である。個々が狙うものを目指し、改良を加えられた穴窯は決して捉えがたい難しい窯ではなく、欠点も多々有れど、良き相棒となる存在である。

 第3章では穴窯を主とした窯焼き、ひいては個人作家の活動の実際をリアルに伝える手段として、聞き書きという方法をとった。現在、広島県三原市で穴窯2基と灯油窯を用い、作陶活動を行っている片山雅昭氏に穴窯の運営をメインとし、お話を伺った。作家自身の言葉によって、氏のめざすものを知り得るようになっている。これまでに氏が築いた穴窯7基それぞれの設計と築窯、そして窯焚きなどの詳細をデータとして起こした。また、穴窯を運営することが個人作家の作陶活動にどのような影響を与えているのかなどの実状をとらえ、氏の想いと狙いを記した。

 終章では、現代作陶における穴窯の存在を考察する。機具の発達と環境の改善された今日の陶芸事情においては、素材や制作上の制約が作品のスタイルを決定する最終的な要因とならなくなって久しい。穴窯での窯焼きも、昔と今とではずいぶんと違ってきている。他の窯と比べれば相変わらず扱いづらい窯ではあるが、昔のそれの比ではない。古陶をそのままに写しても同じであろうはずがない。そのような状況の中では、個々の作り手の心の内側にある感情や判断などに基づく創作への思考が、陶芸作品に具体化され、それが作者のメッセージとしていかに有効な視覚的情報として発信でき得るのか。このことが何よりも重要なこととなってきている。また作品を鑑賞、理解する立場の者は素材や技法の理解のうえ、作者がメッセージとして作品に何を表現しようとし、どのように具体的に追求しているのか。それらを作品のなかに探すという、作家の創作の狙いに注目することが新しい要点となってきているのである。それは実用陶器や伝統陶芸、または前衛といったように、作風が違えど何ら差があるものではない。

 なぜ今、この時代に穴窯なのか。穴窯を用いて作品を制作するのか。その答えはそういったところに見出せよう。

 


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