藤川 知恵

修士論文要旨

中世絵巻に見られる楽器について
−琵琶と筝の象徴性解明にむけて−

 本論では中世絵画に描かれた楽器についての考察を試みた。具体的には原色図版として貴重な『日本の絵巻』シリーズ(中央公論社、続・続々を含む)全部で70の絵巻を資料として、その中に登場する楽器の意味について考察したのである。絵巻の中には琵琶や箏、琴(きん)、和琴などの弾き
もの、大太鼓や小鼓、鉦鼓、ささらなどの打ちもの、笙、篳篥、横笛などの吹きものなど絵巻には多種多様な楽器が登場するが、それぞれの楽器は
絵巻の中で頻繁に用いられる場所との関わりや、楽器と用いる人物の社会的身分や性差との関わりを持って描かれているのではないかという推測から出発し、様々な観点から考えた。

 第一章の中世の音楽では『日本音楽大辞典』などを参照して、日本の音楽の特性や中世社会における音楽について述べた。『日本音楽大辞典』に
よれば、日本の音楽は音楽として単独に存在するよりも、文芸、舞踊、演劇など他の芸能と緊密な連関をもって存在している場合が多いとされてい
る。一方絵巻の中では、特に文学絵巻には音楽場面が単独で描かれている例が多くある。それらは、当時の音楽のあり方を考えれば極めて珍しいものだったと思われ、絵画のフィクション性を考慮する必要のあることが判明する。

 また、仏教とともに中国から輸入された大陸渡来の音楽は、宇宙の法則と結びついているという考えを政治にもたらし、「国家の安泰を支える正しい音楽」が都市政策上重視された。例えば平安京の各方角に置かれた寺院の梵鐘はそのような考えから音律が定められていたことが最近指摘され
ている。

 第二章では絵巻の主題によって、(1)宗教絵巻(経
説の内容、高僧の人生、縁起・霊験を主題)、(2)文学絵巻(物語、説話、御伽草子、歌合)、(3)記録・世相絵巻(当時の世相を描き出している)の
3つに大きく分類し、それぞれにどのような音楽場面や楽器の種類が登場するのかを数表化した上で、各絵巻の音楽場面について考察した。

 宗教絵巻全体の特徴としては、オーケストラのような態勢で演奏される場合が多く、ソロ演奏の場面は例が少ない。また仏教の伝来とともに音楽が伝わったという背景から、当時では用いられなくなった楽器が絵巻に描かれているなどの特徴がある。また、宗教世界では音楽は実用に供するも
のとしての側面が強く顕われていた。さらに各場面に注目して、高僧が悟りを開いた瞬間や、死が訪れる時に浮遊する楽器や楽器を持った菩薩が描
かれていることから、音楽は僧にとって悟りや極楽への往生といった最高の目標と同様に、得難く尊いものと見なされていたのではないかと考えた。
また渡航という生命の危険にさらされている場合に、音楽を奏する楽人が描かれていることも、中世社会における音楽の役割を考える上で興味深く
思われる。

 第二分類である文学絵巻においては、宗教絵巻とは異なり単に状況を説明するために楽器を描いているのではなく、物語の流れに音楽が重要な役
割を担っている例が目立った。また中国から琴棋書画の画題が伝わっていたのか、琵琶や箏などの弦楽器の周囲には囲碁、襖絵・屏風絵、巻物や硯、筆など書の道具が同時に描かれているといった特徴もあった。また、宗教絵巻とは対照的に、ソロないし内輪の人々で楽しむための音楽を行っている場面が描かれているが、このような音楽のあり方は、日本の音楽が他の芸能と深く結びついて発展してきたという事実を考えると腑に落ちない。この点から『紫式部日記絵詞』に代表される、貴族や宮廷女房が物思いに耽りながら琵琶や箏を弾く場面は、貴族社会の実態を描くというよりも物語の展開上作者が作り上げたものではないだろうかと考えられ、絵画における虚構性の問題が浮上するとともに、当時貴族社会流行した管弦の遊びの実態についての調査が必要と思われた。

 第三分類である記録・世相絵巻では、宗教・文学絵巻には描かれていない庶民の音楽が描かれており、庶民世界の楽器としてささらが描かれてい
る。僧侶や貴族がささらを用いる場面は全くなく、ささらは、中世社会において演奏者の社会的身分と楽器には関係があることを顕著に示す楽器であ
る。

 第三章では演奏者と楽器の組み合わせに着目して男性と女性、公家・僧侶・武士でどのような楽器を組み合わせて描いているかを明らかにした。
絵巻では、琵琶や箏などの弦楽器は帝を始めとする貴族や女房など宮廷人に限定して用いられている一方で、横笛や笙などは貴族、僧侶、庶民身分の上下を問わず広く用いられている。また女性と楽器の組み合わせは、琵琶、箏、和琴の弦楽器にほぼ限られている。また女性が横笛や笙を奏する場面が全くなく、中世における女性のイメージを考える上で興味深い。

 第四章では演奏に用いられている楽器ではなく、琵琶や箏が屋敷の襖などに、まるで家具調度のように立て掛けられている場面が数多く描かれていることに注目して、「置かれた楽器」としてそれらが画面上どのような意味を持って描かれたのかを考察した。まず、琵琶や箏を所有する場所ごと
に(1)貴族の邸宅、(2)地方武士または豪族の屋敷、(3)寺社の3つに分類した。その上で画面および詞書を見てみると、それぞれ顕著な特徴がある。(1)貴族の邸宅では、楽器は二階厨子の最上段に置かれている例が多く、その楽器には細かな装飾まで丁寧に描かれている。さらに中段には巻物がおかれ、部屋には囲碁や屏風などが同時に描かれている。部屋の設えとして琴・棋・書・画をそろえるのがなにがしかの意味をもっていたようである。(2)武士や地方豪族の屋敷では、(1)ほどに琵琶や箏の細部を描いてはおらず、簡略化されている。また琵琶や箏のそばには鎧甲や弓矢などの武具が描かれており、楽器は家具調度同様に描かれている。そこでは琵琶や箏は、都の文化・教養に対する強い憧れ、類まれな富貴を得ていることの証として描かれているのではないかと考えた。(3)の寺社では、特に詞書きに楽器や音楽と結びつく記述はないため、なぜその場面に楽器が描かれているのかわからないが、寺院の荘厳さの強調あるいは物語を盛り上げる役割を果たしているように読みとれる。

 第五章では、弦楽器の憧れや教養、富貴の象徴などの正のイメージではなく、むしろ邪魔で信心を損ねるものとして描かれている弦楽器の例を取
り上げ、弦楽器の持つ別の側面について注目した。打楽器、吹奏楽器など他にもさまざまな楽器があるにも関わらず、正と負の相反する象徴的意味を持った楽器は琵琶と箏の弦楽器にしか見られない。琵琶、箏、といった弦楽器は他のどの楽器にもない象徴性を付与されている。例えば『餓鬼草子』では、宴を張り、楽を奏して楽しみに浸る人々に、不信心の人の精気を食う精気餓鬼が描かれているが、音楽を奏でることは当時の倫理規範からややはずれた行為と見なされていたことがわかる。同様の例として、『華厳宗祖師絵伝』に稀代の高僧として登場する元暁があげられる。元暁は僧侶として経典の深い理解に達し尊敬を集めながら、巷間の人々や禽獣などと戯れたり、箏を奏するなど型にはまらない人物として描かれている。ここで
はマイナスイメージの行為をしながらも、それを上回るスケールの大きな高僧として登場しているのである。他に、『北野天神縁起絵巻』の天女五衰の場面では、弦が切れ、胴体の壊れた琵琶と箏で美しい天女の衰えを象徴的に現している。これらの他3つの例を含めて、どれも宗教絵巻である。弦楽器に正負相反するイメージが与えられている理由として、弦楽器の宮廷における評価と、宗教世界における評価では全く異なっていたことが挙げられる。


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