秋山 雅美

 卒業論文要旨

マンガについての考察
-コマ割り表現の現代的展開-


 現在マンガは、出版物(書籍・雑誌)の四割近くを占めるといわれている。1994年の『週刊少年ジャンプ』の635万部に代表されるような一時の勢いは衰えたといえ、未だ出版界において大きな位置を占めていることは否定できない。また、マンガのアニメ化、ゲームキャラクターとしての商品化、さらには、グッズ関連のマーチャンダイジングヘの波及など、関連産業も含めると経済市場としてもかなりの規模になる。
 しかし、このように文化的にも経済的にも、大きな影響力を持つと考えられるマンガに対して、正面からとらえた評論はまだまだ少なく、あったとしても、個別作家論や、作品における物語の内容やテーマについての考察を中心としたものがほとんどであり、表現そのものに焦点をあてて論じたものは、わずかであった。また、その内容如何に関わらず、マンガについての評論というだけで、「軽評論」のレッテルを貼られるような風潮が見られた。このような風潮は、現在も完全に改善されたとは言えないが、マンガ家の回顧展の開催や、公機関によるマンガ専門の図書館の開設など、いくつかマンガを見直そうとする動きも目につくようになった。(もっとも上記のマンガ図書館などは、マンガ文化の見直しというよりは、集客率を見込んでの開設らしいのであるが。)
 このようなマンガ評論を巡る状況の中で、表現としてのマンガに焦点をあて、大系的に論述してみようというのが、本論文の趣旨である。
 日本における近代的なマンガの歴史は、1862(文久2)年、横浜居留地でイギリス人C・ワーグマンによって、『ジャパン・パンチ』が創刊されたことに始まるが、マンガが、現在目にするような表現様式を確立させるのは、大まかにいって、戦後、手塚治虫が現れてからである。手塚治虫は、現代マンガの礎を築いた人であった。また、現在では、戦前のマンガを前史として区別することが普通である。その際には、戦前のものを「漫画」と漢字で表記し、戦後のものを「マンガ」とカタカナで表記するのが一般的である。
 現代マンガの主流を占めるのは、ストーリーマンガと呼ばれる分野である。どういうものかというと、戦前の漫画が、一コママンガや、四コママンガを主流としていたのに対し、コマ数が多い、連続した形式として表現される物語性をもったマンガ、ということができるかもしれない。
 現在では、マンガの出版規模が巨大化するに伴い、同じストーリーマンガとして分類されるものでも、その内容や表現手法は、ますます多様化の様相を呈している。
 その中で、マンガ全体を通して見たときにまず言えることが、マンガは絵と言葉の要素が相互補完し合う、非常に複雑な構造を持った表現様式であるということである。また、マンガに特徴的な表現の一つとして、「コマ割り表現」の存在が挙げられる。コマ割り表現とは、簡単に言うと、主として矩形で囲まれた内部(空間)とその境界線(ワク線)から成る「コマ」と呼ばれる単位が、連なって生まれるある種の効果のことである。マンガの表現はこの、「コマ」を基本単位として成立していると言っても過言ではない。
 70年代以降、マンガ表現において、このコマやコマ割り表現がますます重要視されつつある。マンガを定義する際にも、
 「物語性を持った連続コマのかなり長いマンガ」
                  石子順造
 「コマを単位とする物語進行のある絵」
                   呉智英
というように、コマを中心とする見方が主流である。また夏目房之助は、マンガの表現技法の発展について、「一コマ物も含めて、近代以降の漫画の特徴は、画然たるコマによる仕切りの意識と、そのコマと絵と言葉の関係意識の変化にある」と推測している。
 表現としてみたマンガの構成要素は、次の三つに要約できると思われる。
  1 絵
  2 言葉
  3 コマ
このうち3のコマという要素が、上の夏目房之助の言葉からも、これからマンガを論じる際にキーワードとなってくると考えられる。現在の多様化するマンガ表現の中で、コマという形式のみが、マンガをマンガとして成立させているという見方もできる。
 戦前の漫画を見てみると、まだこのコマという意識に乏しく、コマ割りも現在のように自由な形式のものではなく、定型化していた。また、表現として見ても、いかにして言葉を漫画表現の中に取り込むかということが先決課題であり、現在のように絵と言葉のズレを意識化して表現に昇華するといった手法からは程遠い。戦後、マンガは、コマ割り表現を軸に発展してきたということもできる。
 絵と言葉の複合表現であるマンガでは、絵的な要素は言葉的な要素でもあり、言葉的な要素はまた絵的な要素をも満たす。このことを端的に表現していると考えられるのが、コマ割り表現である。コマ割りは、叙述機能であるとともに、装飾機能でもあるという二面性を持つ。ある意味で、絵と言葉の中間に立つ存在、隙間を埋める存在であるということができる。戦前の漫画は、まだこの意識に乏しく、コマは、画面を区切るだけの存在であった。
 戦後に入ると、このコマの持つ二面性や、絵と言葉のズレといった要素を意識化した、重層的な構造を持つ表現が生まれてくる。また、そこに初めて日本マンガの独自性が生まれるのである。
 海外から見ると日本のマンガはかなり特殊な位置にあるようだ。海外では、いまだ、マンガというと、日本における戦前の漫画のようなものが主流で、ストーリーマンガとは明確に区別されているらしい。
 このような、世界でも他に類を見ない表現を確立した、日本マンガの表現構造を、本論文では、その根幹を成していると思われる「コマ割り表現」というものに注目して論述していく方法を取った。なお卒論の構成としては、その形式を三章立てとし、第I章では、タイトルを「漫画についての概説」として、漫画全般について、またコマ割り表現について予備的な説明を行った。次に第II章では、漫画史の流れを雑誌の変遷と、表現の両側面から記述した。最後に第III章では、主に、絵と言葉の相対的表現として見たマンガについて、実際に例を挙げながら、表現面から論述した。
 現在の多様化したマンガ表現について、同一平面上で大系的にマンガをとらえようという試みは、困難を極めると言える。あくまでもマンガ全体に重点を置くために、個別の内容やテーマ、作家論にはあえて触れないことにした。マンガ全体の表現構造についての研究は、現在ようやく始まったばかりである。社会現象ともいえる、日本独自の文化であるマンガについての研究が、今後より一層望まれる。

     芸術学     


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