酒井 陽子

修士論文要旨

パスティシュと芸術

 パスティシュ(pastiche)は、芸術用語としては一般的に「模倣、模作、偽作」などと訳されている概念であり、他者の様式を借用しているという特徴から、パロディや偽作などと混同がなされてきた。しかし、近年、現代の様々な現象を言い表す際に有効性の高い概念として(特にポストモダニズム芸術に関して)注目され、徐々に研究が行われている。

 主に現代美術に限った範疇で、このパスティシュ概念について取り組みが行われてはいるものの、まだ美術の分野における詳細な研究は進められていないのが現状である。しかし、文学のフィールドではジェラール・ジュネットや、アニック・ブイヤゲ、ジャン・ミリーらによって、緻密な分析が示されている。そこで、今回の論文では、それら文学領域における研究を参照しながら、美術領域でのパスティシュの位置付けに関する考察を試みた。そのため、本論を大きく二分している。前半部分では、パスティシュという概念に関する理論的理解を図るため、この語に関するかつての研究の提示した。そして、後半部分では、具体的に美術作品を取り上げ、美術史におけるパスティシュについて検討した。

第1章 パスティシュ概念の検討

 パスティシュは、17世紀のフランス美術のディスクールにおいて使われ始めた。1757年出版の、Antoine−Joseph Pernetyによるフランスの美術辞書における、パスティシュに関する説明文の中に、「他の有名画家(Maitre)風に制作された絵画」と記されている。この「有名画家風に」描くと言う規定は、重要な意味を含んでいる。このことは、すでによく知られた技法を、鑑賞者に示し、それを連想させようという意図の存在を示すものでもある。すなわち、パスティシュするpasticher(真似る)側の作家は、借用している事実をあからさまに公表しているのである。パスティシュと純粋な模倣を区別するものは、この部分以外には存在せず、それゆえに少なくとも18世紀におけるパスティシュ概念の特徴的要素ということが可能である。後の時代においても、その特性はパスティシュにとって不可欠である。それとも関連し、キーワードとなってくるのは、「様式(style)」という語である。他者の模倣を明確に公表しているということは、現実的には、他者のものとはっきりわかる文体様式を借りていることに他ならないからである。

 このように捉えられてきたパスティシュ概念を、現代の文学研究者は特に重要視して研究を進めている。ジュネットは、緻密に構築された理論によって分類作業を行った。類似する概念(パロディ、戯作、風刺など)との比較から、パスティシュを文体「模倣」関係による「遊戯的」体制と位置付ける。さらに、パスティシュ内部に、虚構のパスティシュ、自己パスティシュ、変奏するパスティシュを見出している。ブイヤゲもまた、模倣を根本に据えてパスティシュ、パロディ、コラージュなどを体系化して示している。ブイヤゲが論中で参照しているミリーは、パスティシュの第一条件として、「一致(conformite)」を挙げ、先行モデルとの「一致」の有り方に従って、4段階に構成された分類を提示する。

 ポストモダニズム評論におけるパスティシュは、「中立的(neutral)」という要素によって特徴付けられ、現代社会の様相と結び付けられている。言い換えると、今日複数の研究者がパスティシュの特性として認める「中立性」によって、あらゆる文化的コンテクストの混在を可能にしている今日の状況とパスティシュが関係付けられるのである。とりわけ、ポストモダニズムにおける定義では、(古くから強調されてきた「様式の」模倣という特性から)、意味内容を欠いた技術的な語として位置付けられる。内容の如何に関わらない様式の模倣としてのパスティシュは、かつてない程既存イメージの混在する現代の芸術に関して説明する際、意義を持つことになったのである。

第2章 美術史におけるパスティシュの検討

 では、具体的に美術史におけるパスティシュは、どのように位置付けることが可能となるのであろうか。まず、古代ローマにおけるギリシア模倣の例を示した。ローマでは、洗練されたギリシア文化に対する憧憬から、ギリシアの美術品を収集することがブームとなったが、人気があって手に入りにくいものに関しては、複製品が製作されていた。その中には、その当時の肖像彫像とギリシア彫像の身体部分を繋ぎあわせる「融合」による作品があった。これは、美術的というより商業的な目的で、既存の複数の様式を用いて制作が行われたものである。オリジナリティーに欠け、「様式の模倣」が強調される点で、パスティシュと一致する。

 古代以降、古代ローマ、ギリシアは規範として模倣の対象とされるようになる。我々もまた、古代彫刻をかざり、デッサンすることは、現代に至るその現われと言えよう。ルネサンスは、最初の古典復興である。当時の芸術家は、古代の完成された表現様式を学び、遺構を調査するなどして、自らの作品に生かそうとした。ドナテッロの【受胎告知】では、古代の建築モチーフを背後に、古代彫刻を彷彿とさせる聖母マリアと天使が表されている。その厳かな瞬間は古典様式によって再現されている。そのように落ち着きある調和性を示していた古典主義的様式は、様式だけが過剰に展開するマニエリスムへ受け継がれる。グレコの【オルガス伯の埋葬】は、上下に分断された構成(上部は天上界、下部は現世)で描かれ、異質な世界が大胆に結びつけられている。このような試みは、内容に比して様式が強調されることの多い、マニエリスム特有の表現法であろう。古典からの逸脱の一形態とみることも可能である。カプリッチョと呼ばれる奇想画の中には、さらに明確に異質な様式の混合の例が存在する。それは、トマス・マーロウによる都市景観図で、そこでは、ヴェネツィアの運河の情景とロンドンの大聖堂が一つの景観として合成されている。一般的絵画の規範を覆す、異要素の混在を可能にしているのは、絵画として表現された各要素の断片化であり、全体統一的な表現内容からの逸脱である。それは、規範とみなされている表現様式に対する異端である。異質な要素の導入という意味では、西欧におけるオリエンタリズムや東洋趣味、そして画中に鏡や画中画を描くことなどを挙げることが可能である。これらはいずれもコンテクストの意識化の作業となる。

 ポストモダニズムの芸術には、近代におけるような造形的発展形式を認めることはできず、既存のイメージを利用して構成が行われる。上述の様式の混在と同様、各コンテクストは断片化しており、出尽くした様式の折衷としてしか存在し得ない状況の証にもみえる。そこではあらゆる価値は均質化する。また、同じく上述例と共通しているのは、規範的存在に対して、異端的な位置にあるということである。歴史的には、ほとんどが古典主義に対するものとしてであったが、現代においては、近代に対する異端でもある。古典主義には無かった抽象的表現をも可能にしたように、あらゆる造形法が試された異端的時代である近代にすら異端であるには、展開のない、深みを欠いたコンテクストの断片でしかありえないのである。過去のものも含め、大衆性とも関連性がある。圧倒的に一般大衆が中心的立場を獲得した現代だからこそ、パスティシュが有効な意味を保持しているのかもしれない。


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