杉本 あゆ子

修士論文要旨


神を埋める

〜ローマのサン・クレメンテ聖堂アプシス・モザイクについての一考察

 ローマのコロッセオの近くに建つサン・クレメンテ聖堂は、四代目教皇聖クレメンスにちなむ教会である。聖クレメンスに直接のゆかりがあるという訳ではなく、元々ローマ貴族の私邸内教会であった場所に教会が建てられたもので、現在の建物の地下には古い地層の遺構が発掘されている。
 現在のバシリカはサン・クレメンテ聖堂を名義教会としていた枢機卿アナスタシウス(在位1099/1102 -1125/26)によって建設されたもので、アプシスの四分の一球状壁面及び凱旋門型アーチには教会の建設と同時期に制作された12世紀初頭のモザイクが残っている。9世紀以来モザイク壁画が作られなかったローマにおいて、技法の復活が成し遂げられた最初の作例である。モザイクは何度か修復されているが、全体としては当初の状態を良く保っていると考えられる。アプシスのモザイクは磔刑像を中心としたものであるが、全体に細かい様々なモティーフが組み合わされた構成は他に例を見ない。細かい図像のそれぞれは初期キリスト教美術から引用したものが多く、モザイク復活にあたってローマの既存の聖堂内装飾を研究したことがうかがえる。本論文は、サン・クレメンテ聖堂モザイクの図像を中心にその象徴や系譜について考察し、モザイク全体の主題を探ろうとするものである。

 アプシス下部の帯状の部分には以下のような銘文が書かれている。

Ecclesiam Christi viti similabimus isti
十 De ligno Crucis Iacobi dens Ignatiq(ue)
in suprascripti requiescunt corpore C(h)risti 十
Quam lex arentem set crus facit esse virentem

(訳)キリストの教会は葡萄の木に似ている/十真の十字架の断片、聖ヤコブの歯、聖イグナティウスの歯が/この銘文の上に描かれているキリストの体内にある十/法が葡萄の木を枯渇させ十字架が緑を取り戻させる

 インスクリプションは二つの文章から成っていて、二つの十字架に挟まれた部分が聖遺物に関する挿入句になっている。この挿入句については後述する。挿入句を抜かして読むと、キリスト教会を葡萄樹に喩える文章になり、ここでは、キリストの犠牲を表わしている "crus〈十字架〉"と、"lex〈法〉" という言葉が対立関係に置かれている。文の内容を暗示的にしているこの "lex" という言葉の意味については、これまで〈モーゼの十戒〉(旧約の律法)、〈教皇教令〉、〈世俗権力〉といった解釈がなされ、アプシス・モザイク全体の主題の解釈や制作年代に関する議論につながってきた。

 サン・クレメンテ聖堂が建設されたのは、グレゴリウス改革の一つの側面である、教皇とドイツ皇帝との間の聖職叙任権闘争が終結を迎えんとしていた時代のローマであった。サン・クレメンテ聖堂建設の主導者であった枢機卿アナスタシウスの人物像についてはほとんど分かっていないが、グレゴリウス主義者であったという可能性も否定できない。モザイクには彼の理想とする教会像が表現されているのではないだろうか。

 アプシスに描かれる細かい様々な図像の多くは、初期キリスト教美術から引用されたものである。十字架が生きた木として表現される〈生命の木〉がアプシス全体に描かれているが、この植物は、インスクリプションによれば葡萄樹であり、教会を象徴している。十字架の根元の植物の株からは天国の四本の河を表わす四つの水流が流れ出し、その左右では鹿が水を飲んでいる。水を飲む鹿は詩編41に詠われるように神を求める魂、真理を求めて生命の泉に至る信者の象徴であり、また洗礼志願者の象徴でもある。アプシスの全体に広がる葡萄樹の枝の渦巻と渦巻との間には、最下段の牧歌的光景の中の〈雌鶏と雛に餌をやる農婦〉や〈羊飼い〉、下から二段目の〈鳥に水をやる修道士〉や〈鳥に餌をやる人物〉、そして下から三段目の〈鳥に餌をやるアモリーノ〉や〈巣の中の雛に餌をやる親鳥〉といった〈保護する者とされる者〉すなわち〈教会と信者〉を象徴している図像が繰り返し表現されている。

 アーチは、ローマの他の聖堂アプシス装飾とも共通する、黙示録テーマと殉教聖人たちといった図像で構成される。またアプシスとは様式や表現が異なっているが、〈羊の行列〉がアーチとアプシスにまたがって描かれ、両者を融合させる役目を果たしている。
 先に引用したアプシス下部のインスクリプションの挿入句によれば、磔刑像のキリストの体には聖遺物が入っているという。つまり、モザイクは制作された時点で聖遺物容器としても着想されていたということになる。このように教会の建築自体に聖遺物を埋め込むということは決して異例なことではなかった。サン・クレメンテ聖堂の場合、アプシスに埋められたという聖遺物の中で最も重要なものは、真の十字架であろう。真の十字架崇拝は4世紀以降、コンスタンティヌス帝の母ヘレナによる十字架発見の伝説とともに広まり、同時に真の十字架の断片が聖地エルサレムから各地に持ち込まれるようになった。サン・クレメンテ聖堂アプシスに描かれる磔刑像は両脇に聖母マリアと聖ヨハネを伴っており、真の十字架の断片を納める容器の図像との共通性が認められる。

 ローマ式典礼において真の十字架を主題とする日の中で最も古く重要なのは、聖週間の聖金曜日である。聖金曜日独特の一連の儀式では『ヨハネによる福音書』のキリストの受難の場面(第18章及び第19章)が朗読されるが、アプシスの中央に磔刑像とその内部に埋められた真の十字架を抱くサン・クレメンテ聖堂では、聖金曜日には磔刑像が典礼と対応して、嘆きの感情と儀式の荘厳さとを高める効果を生み出したであろうと思われる。

 また、聖金曜日の翌日の復活徹夜祭の典礼とモザイクの図像との間にもいくつかの対応関係が見いだされる。旧約聖書からの十二箇所の朗読のうちの六番目の朗読には、アーチ右側基部に描かれる預言者エレミヤの持つ巻き物のテキスト(『バルク書』第3章36節)が含まれている。また、八番目の朗読の後に詠唱として詠われる『イザヤ書』第5章1-2節の〈ぶどう畑の歌〉ではイスラエルの民が葡萄畑に喩えられ、〈葡萄樹=教会〉というアプシスの図像のシンボリズムと共通している。そして朗読の後に行われた洗礼式では、洗礼盤への行列の際に「鹿が谷川を慕いあえぐがごとく」(詩編41, 2-4節)が詠われ、洗礼のための水の祝福の中では司祭が天国の四本の河に言及する。このようにいくつかの点において、聖金曜日と復活徹夜祭のいわば闇と光とでも喩えうるような対照的な儀式の内容に、アプシス・モザイクの図像やテキストが呼応しているのである。

 以上の考察から、サン・クレメンテ聖堂のモザイクの図像は、特に聖金曜日と復活徹夜祭の典礼と関連して構成されたのではないかと考えられる。また、〈教会と信者〉を表わす図像が繰り返されていることや、四人のラテン教父が修道服姿で描かれていることから、修道院出身者を中心に進められたグレゴリウス改革の理念と〈新しい教会〉のヴィジョンがモザイクに表わされているものと思われる。


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