藁戸 さゆみ
卒業論文要旨 「被害の展示学」―「素人が描いた<原爆の絵>」を中心として―

 <原爆の絵>とは、その名の通り「原爆」を表わした「絵画」である。ただし、「原爆」といってもその意味は、核兵器としての「武器」から、核実験など、原子爆弾という存在により巻き起こる一連の「出来事」まで、様々な事柄を内包している。その中でも、本論文でいう「原爆」とは、1945年、広島、そして長崎に起こった、アメリカによる原子爆弾投下という出来事を指している。

 この、広島、長崎に起こった「原爆」は、戦後、核兵器廃絶運動などと並行しながら、多くの言説やイメージを生み出していった。中でも、特に重要視されるのが、「原爆」を実際に体験した者、つまり「被爆者」によるものであった。その1つに「被爆者が描いた原爆の絵」が存在する。これは、被爆者が自らの体験、あるいは目撃した、原子爆弾投下直後の広島、長崎の様子を描いた絵である。

 この被爆者による<原爆の絵>は、画家による<原爆の絵>と、次の点で異なる側面を持つ。それは描き手の違いである。被爆者による<原爆の絵>の描き手は「画家」ではなく、絵を描くこと自体、さらにそれを他者に見せるために公の場に出すこと自体、初めての経験である者がその多くを占めている。そのため、本論文では、描き手を、絵を描くことに関する技術的な側面、描く動機、描かれる内容などにおける差から「画家」に対して「素人」と位置づけた。

 第1章は、素人が描いた<原爆の絵>の制作、収集、そして展示に関して述べている。素人による<原爆の絵>は全て募集によって集められたものであり、第1節では、募集活動のはじまりと、現在まで行なわれた複数の団体による募集活動の全様を見ていった。そうすることによって、募集活動のきっかけとなった<原爆の絵>の描かれた動機と、募集を企画した団体が<原爆の絵>に求める意図との間に見られる差を明らかにしていった。また、各募集団体における<原爆の絵>の位置づけを、団体の性質と、募集団体によって作成された募集内容から、特に募集団体(者)が「被爆者」であるか否かによって生じる差を意識しながら見ていった。

 第2節では、素人が描いた<原爆の絵>の「展示」について、学芸員による展示と、市民による展示に分類し、その違いを述べていった。例えば、学芸員による展示は、美術館を舞台としてなされており、一方、市民による展示は、広場や商店街、スーパーの入口など、美術館の「非日常」的な場所に対して比較的「日常」的な場所で行なわれているものが多い。このように、素人が描いた<原爆の絵>の展示の多様性、流動性について言及した。

 第1章の素人が描いた<原爆の絵>に対し、第2章では、画家が描いた<原爆の絵>について述べていった。第1節では、描かれた<原爆の絵>を、描かれた時代の社会背景と重ね合わせながら見ることによって、画家が「原爆」を描く時期や、「原爆」の意味する範囲の変化などが、いかに時代の情勢との密接な連動性の下に展開しているのかについて考察した。

 また第2節では、自発的に描かれた<原爆の絵>ではなく、美術館の委託によって描かれた<原爆の絵>を追っていった。その結果、多くの画家には、ある共通した原爆観、そして<原爆の絵>に用いられる特定の「原爆」図像があることが明らかになった。

 第3章は、第1、2章で述べた<原爆の絵>に関して「被害」「言葉」といった側面から見ていった。第1節では、<原爆の絵>にみる「被害」性の問題について、素人そして画家別に述べた。素人が描いた<原爆の絵>では、他者によって「被害」性が付加されていく過程を調べるために、出版物における加工を中心に見ていった。次に、素人が描いた<原爆の絵>に描かれる場面と、「原爆」を記録した写真に撮影された場面との類似点を指摘し、その影響関係を考察した。また、素人が描いた<原爆の絵>の描き手の心情に着目し、他者の<原爆の絵>に対する見方との違いを見ていった。一方、画家が描いた<原爆の絵>に関しては、原爆体験者と非原爆体験者とに分け、画家が自らの作品について述べた言葉から、画家の原爆観、及び<原爆の絵>に込められた意図を探っていった。

 第2節では、<原爆の絵>における「絵」と「言葉」の関わり方について述べていった。まず、素人が描いた<原爆の絵>の中に書き込まれた言葉について、その内容を分類し、書き込まれた言葉の特徴、及び言葉の書き方の特徴について述べた。また、<原爆の絵>の多様なあり方の一例として、被爆者が自身の原爆体験を語る際に用いる<原爆の絵>、そして「語り部画」と称された、「原爆」を語り合うきっかけとして位置付けられた<原爆の絵>を紹介した。

 第3節では、「原爆」イメージについての一考察として、著者が中学生に対して行なった「原爆」イメージ作画調査の結果を報告した。具体的には、調査内容、及び調査から判断できる、描かれた「原爆」イメージの傾向について述べていった。

 本論文では、<原爆の絵>を研究していく上で、実際に<原爆の絵>を展示することも研究の一部として位置づけている。その取り掛かりとして、第4章は、現在行なわれている「原爆展」の現状について、主に展示に寄せる信頼性、正当性の高さによる展示空間の聖域化、いわゆる「展示」の持つ「権力」について指摘し、このことを踏まえた上で<原爆の絵>の可能な展示形態について考えていった。

 また、展示における「被害」の提示方法について、「語り」の構造との類似点から探っていった。「語り」で語られる、また<原爆の絵>に描かれる原爆体験には、他者による取捨選択があること、特に、他者によって「被害」の場面が好んで選択されることに言及し、「語り」そして<原爆の絵>における、他者の及ぼす力について述べた。

 現在まで、原子爆弾投下直後の地上の様子を示す物的資料、証拠の少なさから、被爆者が有する「原爆」の記憶は、あらゆるところで必要とされてきた。その結果、被爆者による証言が、文字、音声、映像などにまとめられ、大量に流布されている。その中で、<原爆の絵>、特に素人が描いた<原爆の絵>は、被爆者による証言の代替えの品としての側面を強く持っている。この点で、素人が描いた<原爆の絵>は「芸術作品」ではなく、「資料」「記録」としての意味を付加されているといえる。さらに、展示を中心とした提示方法を見ていくと、原爆について語る「きっかけ」として、つまり、目的のための「手段」として用いられていることも明らかになってくる。このように、単に「絵画」という側面だけではなく、様々な用途を持った<原爆の絵>は、展示という提示方法を獲得する中で、新たな視点を備えた見方が可能になってくると思われる。本論文は、<原爆の絵>の証言力、またその受け手である他者の想像力によって、さらなる「原爆」における論考の可能性の一考察を試みている。


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