芸術学

宮井 和美 

卒業論文要旨

「かわいい」
−欲望と許容のオブジェクト−


 「かわいい」という言葉は、今日あらゆる場所、あらゆる場面において使用されている。そして我々はそれが多種多様なものに及んでいるという事実を、日々目撃して知っている。この「かわいい」という幼児性を母体とした価値判断は、その語彙のみが氾濫しているわけではなく、実際に世間に流通する広告や商品のイメージ、または建築物にまで反映されている。こうした「かわいい」感覚が潜むものは、本来は幼児や少年・少女たちのみを対象としていたはずだが、いまや世代や性別を越えて、圧倒的な支持を得るものとなっている。生活行為までもが「かわいい」ピンク色や「かわいい」水色の世界に侵食されていっているようである。

 時代を読み解くキーワードとして「かわいい」が研究の対象となったのは80年代の後半のことである。この背景には「マテリアル・ガール 」としての彼女たちが謳歌していた最終消費文化、つまりモノの生産が飽和し、さらには消費の対象までもがモノから記号に移り変わった時代がある。高度成長の極限状態としてのバブルの中で、彼女たちの特異ともいえる消費行動は「かわいい」ものを標的とした。そして、「かわいい」という言葉の次に来るもっとも相応しい言葉は「それ、欲しい」であった。

 本論文では、近代以降の日本における「かわいい」意匠を考察していくことによって、この未だ曖昧な「かわいい」の意味するものが何なのかを浮かび上がらせることを目的とした。

 第 I 章第 I 節では、「かわいい」という言葉の意味を古語である「をかし」に求め、「かわいい」に2つの意味の系譜が含まれていることを指摘した。その1つは自分の感覚や感情にかなう事物を単純な心の動きによって物事を取捨選択していく、つまり流行などに左右される語としての「かわいい」であり、もう1つは小さく可憐なもの−動物の子どもや人間の子どもを手放しで誉めたたえる「かわいらしさ」への執着とも呼べるものである。「かわいい」という語が現代のような意味で用いられ始めたのは、昭和30年代と比較的最近のことである。それ以前は「愛しい」という感情を表す言葉であり、さらに語源を遡ると「かほはゆし」という「恥ずかしい」という意味の語になる。第・節では、「<不気味さ>と<可愛さ>は表裏の関係にあるもので、それは美醜の判断と異なる、別のレヴェルの感情移入である。」という東浩紀氏の指摘にヒントを得て筆者が作成した「美」「醜」のベクトルと「かわいい」「不気味」のベクトルからなる相関図を用いて、「かわいい」とそれぞれの概念をその属性から比較した。まず、対立概念である「不気味」との比較では、あるものを「かわいい」と感じるか「不気味」と感じるかは、個人的な経験の有無によって大きく左右され、美醜の判断よりもずっと客観性、一般性に欠けるということがわかった。また「美」との比較においては「美」の完全性に対し、「かわいい」は未完全性をあらわにし、一方「醜」とは、ともに擬態語を多く持っていることと色を想起させるという類似点をもつ。つまり、それらは可視の概念であり、「美」と「不気味」という肉体を感じさせない不可視の概念とは明らかに異なるといえるだろう。さらにこれら4つの概念がカテゴリーを越えたときに現れるものが何か、ということについても言及した。それは端的に言えば「崇高」と「許容」である。「かわいい」という概念は、その未完全さから親近感を呼び起こさせ、そして他の要素を取り込むという点において「許容」という本質をあらわにするといえる。第・節は、「かわいい」ものが持つ強靱さについて考察した。「かわいい」はそもそも優越的な立場にあるものが、相手を「弱く」「未熟」なために許してあげるという態度から発せられる言葉である。しかし、それは生命力の弱いものが持つ攻撃抑制作用によるものであり、一見優越者である発語者は、むしろ「かわいい」ものに誘発されて延命の手だてを与えているといえる。これは動物行動学において言及されている。「かわいい」ものはむしろ強靱な生命力を誇るとさえいえるのである。

 第 II 章では「かわいい」もの志向が育つ土壌と題し、明治期から現在に至るまでの「かわいい」イメージの変遷を辿った。このイメージの変化は、少女達の志向が「ロマンティック」から「キュート」へ移行したものだといえる。「ロマンティック」、「キュート」という語はどちらも「かわいい」の属性、または言い換えであるが、その意味の違いは、「理想」がそこに含まれているかいないか、という点にある。「理想の暮らし」がまだ遠く離れた存在であった時代には、「夢」は壮大なものであったが、理想が現実となっていった昭和40年代後半から、少女達の「夢」は自己の周辺へと視線を移していく。この移り変わりをその時代の大衆文化の意匠から考察することを試みた。第・節の「ロマンティックの時代」では、少女の挿し絵画家として大正の終わりから昭和30年代まで活躍し、絶大な支持を得た中原淳一の描く少女像とその残した影響と、彼以降の作家の少女像との違いを比較し、考察した。第・節の「ロマンティシズムとリアリズムの断層」ではリカちゃんハウスを取り上げ、それまで「少女の色」として主流だった赤色がピンク色の時代へと変化する、まさに過渡期の状況を読んでいった。第・節の「キュートの時代」ではサンリオに代表されるキャラクターグッズについて、またキャラクター文化といわれる現在の状況について言及すべく、キャラクターと密接な関わりがある日本独特の「オタク文化」を「キッチュ」というキーワードから考察した。
 第・章では、「かわいい」の特質を使った美術作品について論じた。まず第・節においては、19世紀後半から欧米のアート・シーンを席巻していたモダニズムの思想が侮蔑の対象としていた「かわいい」特質を持った作品が、そのモダニズムの反抗のツールとして機能していく様子を概観した。続く第・節以降は日本の美術作品が「かわいい系」呼ばれるような現在の状況を作り出すまでを辿る。第・節ではその「かわいい系」の発端となる「少女美術」について述べた。第・節は、それら「かわいい」要素を用いた作家達が自己批判性を伴って現れてきた1990年代以降の傾向が「シミュレーショニズム」と深く関係しあっていることを述べ、そのシミュレーショニズムの方法論にもっともよく適合した作家として西山美なコ、東恩納裕一という2人の作家の作品を考察した。第・節では、奈良美智を取り上げ、その表現がどのようにしてモダニズムや美術史という「大きな」言説から積極的に逸脱していくか、という点から考察していった。

 その時代において、特徴的な精神態度というものがある。本論文はその精神態度を研究対象とした。「かわいい」という態度がひとつの時代性を担ったことについて、本質から探り、論じた。それは90年代の日本の美術界の動向とも重なり、サブカルチャーという、いわゆる大衆芸術の歴史の一端をさぐることにもなった。「かわいい」という概念は、その未完全性から親近感を呼びやすい。だからこそこれほどまでに世間に「かわいい」意匠が溢れることとなったのだが、一方その未完全性という欠陥を意識することによって、現状への違和を表明することができる。しかし、その表現は「かわいい」という概念の持つ「許容」という感情から、暴力的なやり方を拒否する。全ての偏見への<NO>。すべての「べき」への<NO>。「かわいい」は声高に叫ばずに、さりげなく差し出すやり方で世界を塗り替えていくのである。

 


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