池内 春乃

 卒業論文要旨

「春秋蒔絵硯箱」について
 -五十嵐派蒔絵における編年-


 石川県は伝統工芸が盛んな地域である。輪島塗や加賀友禅、九谷焼などさまざまな工芸が発達している。これらの地域工芸産業の発展の基礎となったのが、加賀藩前田家三代藩主前田利常によって行われた美術工芸を中心とする文化事業の推進政策である。
 この文化事業の推進政策の一環として、前田利常は書物の収集を行ったり、小堀遠州や仙叟宗室などから茶の湯を学んだり、蒔絵の五十嵐道甫や金工の後藤家などの名工を招聘したりした。この政策は五代藩主前田綱紀も引き続き行い、「百工比照」は特に有名である。
 本論では五十嵐派が制作したと推測される未発表の「春秋蒔絵硯箱」を目にする機会を得たので、詳しく紹介する。既に五十嵐派蒔絵と判定されている作品と比較検討しながら「春秋蒔絵硯箱」を制作した流派とその制作年代の推定を試みた。
 第一章では五十嵐道甫を中心とする五十嵐派蒔絵の研究史の概要を記述した。研究史の中で特に注目したのは五十嵐派の家系とその流派の作品の認定である。第一節では、岡田氏は「五十嵐派蒔絵について」において、五十嵐道甫と加賀藩前田家との繋がりから重要文化財の「秋月野景図硯箱」(個人所蔵)を初代五十嵐道甫の基準作としている。第二節では石川県を中心に所蔵されている意匠や技法が同傾向の硯箱や歌書箱があり、その作品群の特徴を取り上げた。初代、二代五十嵐道甫が加賀藩前田家に招聘された事実と、同傾向の硯箱や歌書箱が前田家を中心として石川県に多く所蔵されていること、また五十嵐派が活躍した時代と石川県に多く所蔵されている作品の幾つかの制作された時代が一致することから、これらの同傾向の硯箱や歌書箱は五十嵐派蒔絵と認定された。その上、岡田氏が認定した五十嵐派の作品である「秋月野景図硯箱」などともこれらの作品が意匠や技法で同傾向を示している。
 第二章ではさまざまな文献にあらわれている二代五十嵐道甫を中心に考察した。第一節では、これまでの研究史で示されている京都と加賀における二代道甫の活躍について記述している。第二節では、加賀藩では五十嵐道甫ら名工招聘とは別に、前田家の御細工所があった。当初御細工所は武具の制作や補修をしていたが、文化事業を推進しはじめた時期からは藩主の日用品の制作や補修も行うようになっていった。五十嵐派も御細工所も調度品という同じ物を制作していたのにかかわらず、御細工所の文献には五十嵐派の名前は記述されていない。そこで御細工所と五十嵐道甫などの名工との関係について考察した。第三節では、二代五十嵐道甫の足取りを追うために、浅野屋次郎兵衛浄全筆の茶会記「ろう月庵日記」の写本を取り上げた。「ろう月庵日記」は著者の師である裏千家四世仙叟宗室(1622〜97)にまつわる茶会等の記録である。その中で二代五十嵐道甫は、京都で仙曳宗室に茶会に招かれ、また金沢においては仙叟宗室を茶会に招いている。そのため二代五十嵐道甫が茶道においても京都と加賀を行き来していた事実が明らかになった。また第四節では第一章と第二章で記述してきた二代五十嵐道甫に関する事項を中心にした年譜を作成した。
 さらに第三章では硯箱の形態について取り上げた。五十嵐派蒔絵の硯箱の形態には三種類ある。第一に「春秋蒔絵硯箱」のように下水板の両脇に懸子を納める形態。第二に下水板の両脇に筆架を架ける形態。第三に「秋月野景図硯箱」のように下水板を左に置き、下水板と同じ大きさの懸子を右に置く形態。五十嵐派蒔絵だけでなく、江戸時代の硯箱全体についてもこの形態の分類が当てはまる。硯箱の形態を全般的に見直すことによって、硯箱における性別による形態の違い等を考察してみた。
 第四章では未発表の作品である「春秋蒔絵硯箱」の秀れた意匠や技法を詳しく観察した。「春秋蒔絵硯箱」はほぼ方形で面取のある被蓋造の硯箱である。見込には入隅形の硯石と竹垣に秋草の意匠の錫製水滴が下水板に嵌め込まれ、その左右に同じ幅の懸子が収められている。
 蓋表から側面にかけての意匠は波と岸辺に咲く八重山吹である。水辺を挟んだ岸辺に高蒔絵の岩を置き、山吹と八重葎の一群が岸辺全体を覆っている。岩には細かい金と銀の切金を置く。山吹の花弁は、金金貝、螺鈿、金高蒔絵の三通りを使い分け、葉脈は付描と描割を併用している。規則正しく装飾的な波が、右から左に波打っている。
 蓋裏は竹垣に沿って秋草が乱れ咲く意匠で、見込や底も同傾向の意匠である。野菊・桔梗・萩・女郎花・藤袴・薄といった秋の代表的な植物が竹垣の周りに配置され、薄の枝の上には露が置かれている。技法は野菊は金金貝、桔梗は螺銅、女郎花と薄の穂には切金、薄に置かれた露には銀鋲を打ち、他は竹垣も含めて高蒔絵である。
 技法において特に注目する点は、金高蒔絵の竹垣の上に、さらに切金や高蒔絵の秋草の花や茎などを置くことである。「秋月野景図硯箱」と比較しても、豪華で手の込んだ技法になっている。また「春秋蒔絵硯箱」の形態における特色としては箱の底にも意匠が描かれていることである。これは五十嵐派蒔絵として認められている作品群には見られないことであり、基準作である「秋月野景図硯箱」の懸子の下にも平目粉が置かれているだけで意匠はみられない。さまざまな所に意匠を凝らし、豪華で手の込んだ緻密な技法は、円熟期に達したものと考えられる。この点で、「春秋蒔絵硯箱」は「秋月野景図硯箱」より時代が下ると認められる。
 これまでの研究では、岡田氏が一応の目安として利常時代に作られたものを初代の作とし、綱紀時代に作られたものを二代道甫の作としている以外では、初代道甫と二代道甫の作風の違いについて具体的に述べたものはない。
 作品から考察してみるならば、「春秋蒔絵硯箱」の蓋表に描かれた八重葎は五十嵐派蒔絵においては珍しい意匠である。この意匠は、元禄八年(1695)頃に制作された「秋草図伽羅箱」(個人所蔵)と「百工比照」に含まれる五十嵐道甫作とされる「黒塗布目引出絵替絵具箪笥」に見られる。どちらも初代道甫が亡くなった後に制作された。このため「春秋蒔絵硯箱」が「秋月野景図硯箱」より時代が下ること、また八重葎という意匠は二代道甫の制作した時代以後から見られることから、八重葎は二代道甫が独自に取り入れた意匠と推測される。
 五十嵐派蒔絵は、加賀蒔絵の基礎を築いたものである。しかし漆芸においては作品に作者銘を書くということは極めて稀であった。そのため作品認定が難しいものとなっている。制作年代の判定について極札など証拠となるものはあっても、作品において作者の判定の基準となるものはほとんどないのが現状である。従って以上の諸観点の考察から「春秋蒔絵硯箱」の制作した流派と制作年代について次のように判断した。「春秋蒔絵硯箱」は典型的な五十嵐派蒔絵で、十七世紀末期頃の作品である。

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