石原 千春

 卒業論文要旨

マーク・ロスコの絵画における色彩について


 今世紀中葉に活躍したアメリカの画家マーク・ロスコは、抽象表現主義の中でもとりわけカラー・フィールド・ペインティングを先駆し、またその代表的な画家として知られている。このカラー・フィールド・ペインティングは、色彩による「場(フィールド)」の絵画であり、形態の優越性や関係的構成の抑揚感を抑制し、色彩そのものを絵画の構成要素として重視したものであり、絵画における色彩の可能性に新しい境地を切り開いた。絵画における色彩表現の研究の一環として、カラー・フィールド・ペインティングの画家ロスコの、独自の様式の確立した1940年代末期から晩年にかけての絵画を中心に、ロスコの絵画における色彩による系統的分類を試み、年代的な流れをたどるとともに、色の及ぼす視覚的効果と色材の扱いについて考察し、ロスコの作品における色彩と表現を研究するのが本論の目的である。

 第一章では、ロスコの略歴と絵画様式の変遷を概観し、本論が特に研究対象とする「ロスコ様式」と呼ばれる絵画に至る過程とその発展をたどる。

 第二章で、ロスコの絵画の配色分類を試み、その試行錯誤の結果導かれたロスコの絵画の体系的分類を提示する。その分類をもとに、年代的な作品の色彩変遷を追った。
 当初、色彩調和論の中の配色分類の応用も試みたが、複合的なレイヤーストラクチャーによるロスコの絵画の色彩を一定の基準で明確に分類することは困難であった。そこで本研究では、あえて二つの視点として、対象とする全図版166点における色彩の大きな年代的な流れと、個々の作品における制作のプロセスに着目した。後者に関しては第三章で詳述することとし、前者の分類に関しては次のような項目をもうけた。
1 配色分類
 画面上部の色面が明度の高い色であるもの
 (Light Top=以下LT)
 LTのうち明度の高い色面が白色であるもの
 (White Top=以下WT)
 画面上部の色面が明度の低い色であるもの
 (Dark Top=以下DT)
 DTのうち画面下部が赤系統の色であるもの
 (Red Bottom=以下RB)
 画面中央部に明度の高い色の帯のあるもの
 (Light Middle=以下LM)
 LMのうち色の帯が白色であるもの
 (White Midd1e=以下WM)
 明度の低い色が基調となっているもの
 (Dark Painting=以下DP)
 画面全体が明度の低い色で占められているもの
 (All Dark=以下AD)
 画面全体が明度の高い色で占められているもの
 (All Light=以下AL)
2 基調色による分類
 全体的に暗色の絵画
 暗色を基調色とする絵画
 赤の上に暗色の色面が基調色となっている絵画
 赤の色面が基調となっている絵画
 オレンジと赤で構成される絵画
 オレンジ、黄色、赤による絵画
 緑色を基調とする絵画
 青を基調とする絵画
 この分類整理の結果、年代ごとに使用された色の偏重は顕著であり、表現様式の変遷や時代背景などとの関わりにおいても、色は示唆に冨むものであることがわかった。
 また、1940年代後半のマルチフォーム様式による絵画は、概して多彩であり、高彩度の暖色が基調となっている。
 1950年代に入って、特徴的な矩形の色面の積み重なる様式が確立されると、形態の単純化の反面で色彩はさらに多様化している。そこではオレンジ、赤、黄といった暖色の中でも特に彩度の高い色の組み合わせが多い。
 1950年代後半には、暗色を基調とした作品が多くなる。そして、構図がより単純化され、二つの色面の対比が多くなる。
 1960年代には、1958年からの連作壁画の影響、そして回顧展の展示計画をプロデュースしたことから、暗い照明下での色彩空間を形成する絵画への関心が高まり、色相、明度、彩度の差の小さい鈍い色調の絵画が増えている。
 最晩年にあたる1960年代末期には、色彩は無彩色へと還元され、黒、グレー、ブラウンによる二色対比の作品が主流となる。この流れを通観してみると、多彩な色彩が徐々に無彩色へと向かっていくことがわかる。
 第三章では、ロスコの描画技法や材料に着目して考察した。1940年代末から、キャンヴァスヘの伝統的な地塗りをやめ、生のキャンヴァスヘの最初の行程として、顔料をグルー膠で溶いたものをキャンヴァスに“染め付ける”ようになる。この彼の独自の“染め付け(dying)”“着色(Staining)”と言われる技法の確立は、絵画全体のトーンの効果や、合成樹脂や油絵具による上層のための裏箔の効果を担っている。このレイヤーによる発色の効果は独特の色の深みと輝きを生んでいる。そのグレーズの層は絵具を極端に稀釈していることにより脆弱なものとなっているが、絵具の物性を犠牲にして、その色彩の表現は成り立ち得ていることを指摘した。
 第四章では、ロスコが空間の壁面を自らの絵画で埋めた「瞑想空間」、「人間に親密な」絵画を目指したことを取り上げた。その親密さに対して、ロスコは絵画の大きさについてのみ語っているが、ロスコの絵画において全体的に暖色基調のものが多く、晩年のダーク・ペインティングに至っても、暖色系の暗色がほとんどであることは、寒色よりも暖色のほうが空間に対して膨張していく性質を有するからではないだろうかと考えた。いずれにせよ、「場=空間」を占める色彩表現を目指したことは、カラー・フィールド・ペインティングの画家に共通して言えることであろう。
 本研究においては、マーク・ロスコのバイオグラフイーを色彩でたどることを試み、配色の単純化の過程や壁画シリーズの位置づけなど、ロスコの絵画における色彩体系をあらためて明らかにしたのであるが、新たな問題も浮き彫りになった。それは、ロスコに限らず、画家の表現の意図のためにしばしばその限界を超える色材の扱いの問題である。絵画における色彩保存の問題は非常に難しく、保存のための処置が色彩の見えを変える可能性も大きい。
 すぐれた芸術作品を保持していく上で、絵画における色彩の保存の問題は重要かつ困難きわまりないものであると言えよう。
 しかし、マーク・ロスコの絵画は確かに、色彩の多様性によって特徴づけられ、それが作品の恒常性を犠牲にしたものであるとしても、やはり偉大な芸術を構築していることにかわりはない。そこに芸術作品の色彩表現の、限りある色材による限りない可能性があるようにも思える。マーク・ロスコの絵画における色彩をとりあげて絵画と色材、そして色彩表現の相補性を論じたが、より多角的に芸術全体における色彩を研究した上で、その位置づけを試みる必要があるといえよう。

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