小椋 奈保子

 卒業論文要旨

北斎の『絵本忠経』に見る版本挿絵の世界

  目次
はじめに
第一章『絵本忠経』の性格
 第一節 表記一和と漢
 第二節 画面の形
 第三節 構成一本文と挿絵
第二章 北斎の挿絵
 第一節 画題と表現(一)はじまり
 第二節 画題と表現(二)展開
 第三節 画題と表現(三)結び
 第四節 「冊子」という画面形式の特徴と利用
 第五節 『絵本忠経』における北斎の表現法
第三章 『絵本忠経』の成立
 第一節 時代-二つの見方
 第二節 小林新兵衛・高井蘭山・北斎
 第三節「冊子」という画面形式
おわりに


 葛飾北斎、この浮世絵師として世界に知られる人物は、宝暦十年(一七六○)に江戸に生まれた。十三歳で貸本屋の小僧、十四歳で木版の刷り師の見習いとなり、十八歳の時に役者絵の大浮世絵師勝川春章のもとに弟子入りして以来、彼は様々な画人・画派について研究を重ね、それは西洋の絵画、中国絵画の手法にまで及び、そして嘉永二年(一八四九)にこの世を去るまで自分の芸術を完成させるために絵を描き続けた。この北斎の描くことへの情熱とその道程、そして彼の作品は現在まで多くの研究者を引き付けてきたが、忘れてはならないのは、彼が生涯に渡って取り組んだ版本の作品群である。北斎が手がけた絵入り版本の種類は多岐に渡り、膨大な数に上る。
 絵入り版本は、構成と伝達する主題の違いによって大きく二つに分かれる。一つは文章を主体とし、それに沿って挿絵を入れた「挿絵本」、もう一つは絵を主体とし、絵画として独立・鑑賞させる意識で編纂された「絵本・絵手本」である。当然ながらこの二者は画然としていないが、こうした版本という画面形式に描かれた絵画表現に注目した研究は、その作品の多さに対して、また版本の歴史に関する研究や書誌学的な研究の数に対して、意外な程に少なく、しかも挿絵本のみに限られ、絵本・絵手本類についてはまとまった研究が待たれる現況である。
 本論文においては、まず、北斎が挿絵を描いた『絵本忠経』という作品における画面形式の特徴と、それを活かしながら、選ばれた画題を北斎がいかにして表現しているかについて考察した。
『絵本忠経』は天保五年(一八三四)に出版され『忠経』という漢籍に、注釈と挿絵を人れた「絵入り教習本」とも言うべきもので、絵本と挿絵本の中間的な性格を持つこの本を取り上げたことで、版本、つまり冊子という画面形式を活かした北斎表現の、新たな一面を見ることができる。
 こうした絵入り教習本類の出版は、北斎の晩年から没後に及び、それらが中国古典や当時の教科書、教訓書を本文としていることから、近年になるまで「支那趣味加重」で「忠孝仁義的思想に傾倒し」、形式的で「哀頽掩ふべくもない」とする説が見られた。しかし果たしてそうであろうか。この『絵本忠経』の冊子という画面形式と、その特徴を活かした北斎の表現について丹念に考察し、さらにその成立について、中国趣味を求め、絵入り教習本という版本のジャンルを発生させた時代、また特に文章を記した高井蘭山と挿絵を描いた北斎の関係、そして冊子という画面形式とそこに描かれた画題を考察することで、再評価を試みた。
 『絵本忠経』は、大きく文章と挿絵という二つの要素で構成されているが、実際には題言、序文に始まり、『忠経』原文、原文注釈、画題注釈、そして最後に跋文とこれら全てに付随するルビ、というふうに文章部分は多くの細かな要素から成っている。第一章ではこれら文章の記述、そしてその挿絵との構成、つまり見開きにおける文面と挿絵画面のレイアウトとも言うべきものと、全体的な本文と挿絵の関係、構成を見た。そこには明確な編集意識が伺え、ここに見る特徴は『絵本忠経』全体の性格を表していると同時に、『忠経』という漢籍、そして思想の日本における摂取という間題も含み、挿絵の描かれた場の性格として確認、考察すべきものと考える。よって第一節では、まず文章記述に見られる使い分けに着目した。これらは『絵本忠経』における和と漢の区別と一体化の意識を端的に示している。第二節では挿絵を描く場合に直接影響すると考えられる、見開きにおける文面と挿絵画面の構成を、特にそれによって決定される画面の形に注目し、分類を行った。そして最後、第三節において『絵本忠経』全体を支配する本文と挿絵の構成について考察を試みた。
 『絵本忠経』は本文に沿って挿絵を入れた挿絵本でもなく、単に絵を主体とした絵本でもない。本文である『忠経』と、「忠」を共通のテーマとする複数の挿絵を一冊の中に構成する<テーマ一貫型目録形式>という独特の形で成り立っている。この形は、挿絵に対して、「忠」という一貫するテーマを鑑賞者に伝えながら、個々の画題をそれぞれ明碓に表すことを要求するが、一方では<ストーリー一貫型>の挿絵本に指摘されてきた「右から左へ」の方向性は持ちながらも、そこからある程度独立した表現を取ることを可能としている。
 『絵本忠経』において重要なテーマであるこの「忠」は、中国で君臣の関係を説く場合に強調され、臣が君に仕える道を指すものとなり、日本へは既に古代に流入、武家社会の中でより重んぜられ、江戸時代にはあらゆる主従関係の基本とされるようになった。その中で「忠」の道を説く学術的な本や、戦記物語や英雄伝などと結びついた忠義の美談、あるいは苦悩を描いた舞台、読み物が数多く現れた。『絵本忠経』も、その画題に先行する物語の中の「忠臣」や「忠」を示すエピソードを取り上げている。
 第二章ではまず第一節から三節にかけて、この「忠」を象徴するどの様な物語が選ばれ、北斎がどの様に各場面を表現したのか、全体を一覧した。彼は、机に肘をつき、頭をもたげて書面を見つめ、その挿絵画面を覗く鑑賞者の姿勢をそのまま映したような(馬融像)に始まる十四の挿絵一つ一つに興味深い表現を行っており、続く第四節ではそこに見られる「冊子」という画面形式の特徴を活かしたいくつかの表現について、『絵本忠経』が全体としては<テーマ一貫型目録形式>であることを踏まえて考察した。
 重要な版本の特徴としては、「ノド」の存在、「めくる」、そして「覗き込む」鑑賞法、複数の画面と大きく四つ、さらに色彩の制限された白黒の世界であり、匡郭という画面の枠ともなるものの存在を挙げることができ、これらを活かした注目すべき表現として、「ノド」の谷の力を利用した人物配置、新たな場面の現れる瞬間に鑑賞者に訴えかける「左から右へ」の方向性を持った構図や、さらに奥行を強調し、臨場感を与え、時に中心人物と呼応する<導入体>など、多くを指摘することができる。
 また北斎がここで行った表現法にはいくつかのタイプが見られ、画面形式を活かした表現を含め、第五節では場面設定と構図の二つにおいて分類を試みた。結論として、この『絵本忠経』において、北斎は版本の挿絵という明瞭な意識の元に各図を作図し、全体を構成したと言える。
 最後に『絵本忠経』の成立を、その構成・内容・画面形式の三つの視点から考察した。まず第一節では『絵本忠経』の<テーマー貫型目録形式>という特殊な構成による成立が持つ意味を、時代の要求を見ることで捉え直し、第二節では本文・画題の内容に見る、板元である小林新兵衛、著者高井蘭山、絵師北斎という三人の関係について考察を試みた。またここでは著者の力が強かった時代にあって、北斎がいかに独自の手法を以て一冊の本を構築し、「忠」というテーマ、そして各画題を表現したのか改めて考察し、そして第三節において、冊子という画面形式に適した内容について、一枚絵と比較しながら考察を行った。
 その結果、<テーマ一貫型目録形式>という形で文章と挿絵の結びつく『絵本忠経』が、物語的内容や目録的内容の表現を得意とする、この冊子という画面形式の上において初めて成り立つものであり、北斎はこの画面形式の様々な特徴を活かし、画題注釈、つまり短い、限られた言葉では表し切れない「忠」のあるべき姿、「忠臣」の偉大さと敬うべきことを鑑賞者に伝えていると理解され、版本という画面形式、「忠」をテーマとした内容、それらを考慮した北斎の表現の三者が、一体のものとしてここに現れているのを見ることができる。ただし北斎の表現には、『忠経』との結びつきにおいて理解しがたい部分も確かにあり、それが同時代の人々にとってどういう意味を持っていたのか、という点について今回深く追求することはできなかったが、重要な視点であると考える。

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