山下 桃子

 卒業論文要旨

十長生図屏風についての考察


 十長生図屏風は、「十長生」という韓国特有の主題を屏風に描いたものをいう。十長生図屏風に関する研究は少く、図版等で収集した作品は全部で11点であるが、それらは6曲から8曲の一隻形式をなすものがほとんどで、しかも、画面全体を大きく水陸に分かち、そこに「十長生」のモティーフを描き出している。「十長生」は、主として屏風に描かれるが、その他、新年を祝う歳画、また陶器や日常品の装飾文様となることも多く、高麗末期には既に成立していたものとされ、韓国美術の中に深く根付いている主題である。本論では、十長生図屏風を採り上げ、以下のような順に、いくつかの観点から考察を試みた。
 第一章では、十長生図屏風の主題である「十長生」が具体的にどのようなものであるかを、作品と文献、従来の研究を踏まえて考察した。「十長生」及び十長生図屏風に関する研究はほとんどない。さらにその中でも研究者によって十長生の内容にも相違が見られることから、構成要素を出来る限り明確にし、最も平均的な十長生図屏風1点を中心に、それが屏風の画面にどのようにして配置されているのかを見た。
 「十長生」の構成要素は、基本的には、「日、雲、山或いは石、水、松、竹、不老草、鶴、亀、鹿」の十個で、その意味するところは、不老長生である。しかし、私見によれば、18世紀以降の屏風作品にはこれらに加え「桃」が描かれるようになるのだが、この「桃」を含めるか否かという問題に関しては研究者の間にも食い違いが見られる。また、多くの十長生研究では、作品に描かれている例がほとんどないにも関らず、「月」を加えて十長生としているが、その根拠についても明確ではない。いずれにせよ、十長生図屏風では、右方に陸、左方に水の表現とほぱ決った画面空間の中で、前記のモティーフを用い、近景に石や動植物、中景には雲や山、遠景に日、遠山を配するというふうに、神仙的理想郷風景を描き出している。
 次に、18世紀以降わずかに残る2点の掛幅の「十長生」を屏風と対比させてみた。この2点の掛幅は、年頭の祝い絵としての歳画と思われ、屏風に描かれた「十長生」のような広大な宇宙的景観は消え去り、モティーフがとりあえず描写されている、といったような感があり、かえって、屏風の場合における表現の自在性を窺わせる結果となった。
 第二章では、収集した11点の十長生図屏風に関して、画風を中心に、「十長生」主題がいつ頃明確化していき、その後どのように展開していったのかということを考察した。
 韓国絵画は、大きく、「正統画」と「生活画」の2つに分けて考えられており、「十長生」は後者に含まれる。「生活画」は日常生活や風俗と密着した民俗画的性格を持つもので、観賞を主たる目的とした「正統画」とは違い、生活の中の目的に応じて使用される。また、「正統画」に比べ、「生活画」は価値が低いものとされており、例え著名な画家が制作に携わった場合でも落款は記されない。故に、「十長生」を主題とする十長生図屏風は、制作年代を文献記録や落款等で推定することは難しい。そこで、収集した各屏風に見られる画風及びモティーフの種類により、おおまかに年代が推定されていた8点の作品をもとに、十長生図屏風の系譜を作成し、同じようにして、制作年代が不明である残りの3点について、それがどの位置にあてはめられるのかということを考察した。
 その結果、年代の推定されている8点の作品のうち、明らかに共通項を見出せるものは、18世紀後半から19世紀の間の3点であり、これらを「後期十長生図屏風系」と呼んだ。これは、一章で例として用いた十長生図屏風を含め、18世紀以降の十長生図屏風の一般的空間表現をそのまま踏襲し、さらにモティーフの中に「桃」を加えて発展したものと考えられる。これを主軸として他の作品の位置を推測した。また、十長生図屏風と考えられている作品の中でも、「群鶴寿桃図系」と呼ぶことにした、18世紀の「長生図屏風」と18世紀後半の「群鶴十長生図屏風」という2点の作品は、「十長生」の中でも「鶴」と「桃」を主たるモティーフに置き換えて描き出したように見受けられ、純粋な十長生図屏風とは分けて考えたほうがよいと思われた。
 第三章では、十長生図屏風が民間に存在するものではなかったという多くの研究に疑問を持ち、それに対して自分なりの解釈を試みた。「十長生」が「生活画」に属するという考えを基に、一章と二章の考察から考えられた十長生図屏風の特徴に、従来の研究を交え、考察した。
 「生活画」は屏風装をとるものが多く、屏風は韓国の日常生活において、重要な装飾家具の一つであった。また、「十長生」は「生活画」に属する主題であり、十長生文様として日常生活の様々な家具や用具に用いられている。このような状況の中で、民衆にも深く浸透している「十長生」という主題が、屏風装をとる時には宮中においてのみ使用されるとされるのは、不自然である。収集した十長生図屏風はほとんどのものが、屏風の全扇を一つの画面として図を構成していたが、花鳥図や文字絵等で多く見られる、屏風の各扇毎に一幅の掛幅を表装する形式に着目し、「十長生」に関しても民間ではそのような表装が行われていたのではないかと考えてみた。
 最後に、十長生図屏風に見られる主題の確定化と「十長生」に関する文献資料を通して、「十長生」主題の広がりについて私見を述べた。
 「十長生」に関する最も古い文献であり、14世紀末、高麗末期の高官の詩集の中に見られる「歳画十長生」では、「十長生」は「日、雲、水、石、松、竹、芝、亀、鶴、鹿」の十個となっている。それに対して、収集した17世紀から19世紀の間の十長生図屏風を通して描かれたモティーフまたは、従来の研究では、一章で述べたように、「日、雲、山或いは石、水、松、竹、不老草、鶴、亀、鹿」及び「桃」であり、さらに「十長生」研究ではその中に、理由・作例ともに不明であるが「月」が加わることが多い。「芝」と「不老草」は同じものを指すので特に問題はないが、モティーフの数及び傍点を付した箇所で、両者の間に相違が見られる。
 「十長生」の「十」という数字の意味について、それが「十」という固定した個数を表わすものなのか、また多数の、或いは全てのという意味を単純化した記号として用いられているのか、従来の研究では明らかにされていないが、「歳画十長生」において十個のモティーフが用いられていることから、そこでは前者の意味合いも強く意図されていたと考えられる。しかし、十長生図屏風ではモティーフの数が十の数を上回るものも多い反面、十に満たないものもあり、厳密に十個を規定するような動きは見られなかった。この点において明らかに、「十長生」は屏風という形態において、内容に広がりを見せる。そして、この広がりが「十長生」研究を困難なものにしている要因の一つであると考えられる。
 十長生図屏風について、残された問題点は多い。作品は今後さらに発見される可能性が充分にあり、その時に応じて今回収集した十長生図屏風11点との比較をしなければならない。また、さらに十長生図屏風において広がりを見せた「十長生」が、同じく「十長生」を主題とする他の作品とどのように関係していくのかということを考える為には、より多くの「十長生」作品を収集しなければならない。
 また、十長生図屏風や掛幅の画像が見せる不老長生のイメージが、韓国美術の中の他の主題とどう関っているのかということ、或いは、「十長生」また十長生図屏風と、「十長生」の内容とされる長生シンボルとほぼ共通する感覚を持つ日本や中国における各自の不老長生を意味する主題との間に、如何なる関連性を見ることが出来るかという問題も、より大きな課題として残されているのである。

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