宮内 ふじ乃

 卒業論文要旨

ジローナのベアトゥス黙示録注釈書の挿絵をめぐる諸問題
 -カロリング朝とイベリア半島との図像伝統の混交-


 ベアトゥス黙示録注釈書、いわゆるベアトゥス写本は、8世紀末に北部スペインの修道士ベアトゥスが、教父たちの黙示録註釈を編纂したものであり、現在断簡を含め31冊が確認されている。この一連の写本群は、この世の終わりやアンチ・キリストの支配に対する恐れと、そこに描かれた挿絵の幻想に満ちた豊かな画像や類い希な迫真的表現とが相俟って、10-11世紀に作られたモサラベの修道院で圧倒的な支持を受け、ベアトゥスが算出した終末の時が過ぎ去り時間的にずれてしまったテクストによるというよりは、むしろその挿絵の持つ強烈な呪縛力によって、13世紀半ばまでの長きにわたって転写され続けて誕生した。
 そのうち975年に制作されたジローナ本は全284フォリオからなり、挿絵は130以上にも及ぶほぼ完全な姿を現在に伝える貴重な作例である。本写本に関する1987年のウィリアムスの研究では、1931年に発表されたノイスの論文以来賞賛され続けている挿絵の持つ東方的な質のみならず、カロリング朝トゥール派の写本の図像をも反映していることが指摘されている。ウィリアムスは主として、冒頭に置かれた二つの扉絵「十字架」及び「マイエスタス・ドミニ」と、トゥール派の写本に描かれた図像タイプとの類似性を指摘しているが、立ち入った考察までは試みておらず、複雑な図像生成の過程や成立基盤は現在もなお明確ではない。
 そこで、本論文ではこのウィリアムスの提起した議論から出発し、挿絵の図像学的・様式的な分析を通してその構想や成立を明らかにしようと試みた。もとよりトゥールと北部スペインとの政治的・宗教的関係は、798年にアルクインがベアトゥスに宛てた書簡や、906年にアルフォンソ3世(在位866-910年)がトゥールの聖職者に向けて王冠購入とその輸送方法を依頼した手紙によって確認されており、特に後者は、10世紀初頭における両者の密接な関係を示す重要な裏付けである。しかもアルフォンソ3世は、書物に非常に関心を持っていたことで知られる支配者であった。しかし、カロリング朝写本が当時の北部スペインに存在していたという事実を確認する資料は未だ発見されていない。にもかかわらず、1O世紀中頃に制作されたモーガン本やヨブ記注釈書のイニシャルに見られるトゥール派やフランコ=サクソン派の影響は、北部スペインにもたらされた挿絵入り聖書の存在を連想させ、さらにジローナ本に導入されたこの二つの扉絵は、明らかにモデルとなったトゥール派の聖書が挿絵師の身近にあった可能性を強めている。
 「十字架」は、ジローナ本の巻頭を飾る扉絵であり、そこに描かれた十字架のタイプは、アルフォンソ2世(在位792−842年)の治下で808年に制作され、以後レコンキスタの勝利のシンボルとなった「天使の十字架」を模したものであり、1O世紀初頭から次第にモサラベ写本の扉絵に描かれるようになった図像である。しかし本図は、他の写本の「十字架」にはない受難具、仔羊、二人の福音書記者の象徴が付加され、新約聖書に基づく複雑な構想によって描かれている。
 ウィリアムスは、この仔羊に受難具を結びつけた図像が、トゥール派のアルクインの聖書の「マイエスタス・アグニ」からの着想によって誕生したとしている。しかしながら、仔羊と受難具が付加された「十字架」の構想は、勝利のシンボルとしての「天使の十字架」、十字架上で死に打ち勝ったキリスト、そして屠られた後復活して新しい生命を得た勝利の仔羊という三重の勝利の象徴であると思われ、「マイエスタス・アグニ」の受難を通した福音書の調和は反映されていない。従って本図は、「マイエスタス・アグニ」の図像をその本来の理念もろとも受容したものとは必ずしも言えず、むしろこれに続くフォリオにある「マイエスタス・ドミニ」「天国」「キリスト伝」という新たに導入された福音書的関心に誘発され、補足的で付加的な新訳聖書の図像を従来の「十字架」に組み合わせて誕生したと思われる。換言すれば、この扉絵は十字架と付加された要素すべてが勝利に結びつけられているのと同時に、一巻本聖書の中の新訳聖書の扉絵であった「マイエスタス・アグニ」の要素を写本の巻頭に配置することによって、黙示録注釈書でありながらも、トゥール派の聖書と同等の福音書的価値をジローナ本に与えるために制作されたと考えられるのである。
 「マイエスタス・ドミニ」は、「天国」「福音書記者の肖像とその象徴」「キリストの系譜」とその拡大でありかつ福音書テクストの等価物として描かれた「キリスト伝」の前に、福音書の扉絵として配置されている。この新しい写本形態が誕生した背景には、633年のトレド宗教会議によって、黙示録を復活祭から聖霊降誕祭までの間、教会で朗読・解説することを義務づけられていた北部スペインの習慣があった。この会議の決定に従ってモサラベの典礼で使用されていたベアトゥス写本は、聖書及び福音書を兼ねた書物として次第にその役割までも担うようになり、その用途の拡大によって次々と福音書の主題が巻頭に付加されていった。その進化の最終段階として、「マイエスタス・ドミニ」は福音書の扉絵に擬して配置され、その際にトゥール派の写本編成を借用したのではないかと考えられるのである。
 そして個々の図像をイベリア半島やカロリング朝の先例と比較した結果、四福音書記者の象徴像の動勢、鷲のもつクッション(本来なら巻物)、8字型マンドルラ、そしてキリスト像と彼が手にしたディスクが、トゥール派固有の伝統に従っているのは間違いなく、特にキリスト像とディスク及びマンドルラに関しては、ヴィヴィアンの聖書が最も類似した作例である。しかしながら、画面上下には「天国」との関連を示す天使と聖霊を加え、ヨブ記注釈書に描かれたイスラムの慣習に基づくイベリア半島の伝統的な玉座と足台を参考にするなど、トゥール派にはない要素も多く、数多い「マイエスタス・ドミニ」の中でもジローナ本のそれは極めて特異な挿絵であることが明らかとなった。従ってこの「マイエスタス・ドミニ」は、単に福音書の扉絵を転用し、トゥール派に多くを負っているだけでなく、それまでの北部スペインの伝統を保持し、また「天国」にも結びつけた独自の構想によって制作されたことが確認された。
 また、ジローナ本において変更が加えられた幾つかの黙示録注釈書挿絵の中で、今日まで取り上げられることの少なかった「四人の騎士」<黙示録第6章:1-8>についても図像学的分析を試みた。ジローナ本と他系譜のベアトゥス写本の作例とを比較すると、本写本とそれ以降に制作された同系譜に属する写本のみが、註釈書テクストに記されていないマンドルラ内の仔羊による封印の開封の逸話やそれに伴う四つの生き物を描いている。これら構成要素は、黙示録テクストとそれを視覚化したカロリング朝のトリールの黙示録に先例があり、特にマンドルラ内の仔羊を最上部に置く画面構成は、封印開封の物語性を重視する点でカロリング朝黙示録写本の伝統に結びついている。しかし一方の四つの生き物の形態は、トリールの黙示録のような全身型ではなく、獣頭下半身車輪型として描かれ、西ゴート以来の伝統的図像に従っている。
 また第一の騎士については、ベアトゥスが註釈書の中でキリストになぞらえたにもかかわらず、ジローナ本ではそれ以前の作例に描かれたキリストを暗示させるタイプではなく、ヴィヴィアンの聖書の黙示録の扉絵に見られるような異教的フリギア帽風兜を被った騎士であり、ササン朝ペルシア風の衣装をもまとい、異国から来た敵兵と見なされている。
 以上のように、カロリング朝に連絡するいくつかの図像要素が確認されたが、そのカロリング朝の影響が最も反映されている要素こそ、ベアトゥスが註釈書テクストで触れていないかあるいはそれに反していることが明らかとなった。このテクストと挿絵の不一致の最大の根拠は、ベアトゥスの註釈書テクストによるよりは、黙示録自体のテクストを字義通りに表現するためのナラティヴな図像の選択の結果であったと考えられる。
 ジローナ本は、福音書的主題の導入により、黙示録注釈書に福音書を兼ね備えた写本として編成そのものが改変され、また黙示録注釈書の挿絵においても、その伝統に変更が加えられており、いずれの点においてもカロリング朝の伝統に連絡する一方で、イベリア半島の図像や超絶的な表現の伝統をも継承し続けているのである。

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