白石  陽子

 修士論文要旨

初期雛形本の成立と展開
 -絵本的雛形本の系譜-


 小袖雛形本とは、一言でいえば江戸時代の代表的衣裳である小袖の模様、意匠の見本であり、今日でいうファッションカタログやテキスタイルブックにあたるものである。その代表的な形態は小袖背面図の矩形の巾に小袖模様のデザインを描き、余白には加工技法や配色を書き込んだ物である。
 「雛形」は語義のとおり現物を縮小して模型や見本としたもので、文字で説明がなされたものに比べ一目で明快に雰囲気や状態、完成形を理解することができる。雛形本といわれるものは江戸時代を通じて染織関連の雛形本に限らず『大工雛形』や『棚雛形』などの建築関連や菓子意匠などの様々な雛形本が広い分野に渡り出版された。しかし発行数や発行され続けた時間の長さと共に、他の雛形本が主に職人という限定された人々を対象としたのに比べ、小袖模様の雛形本は衣服という生活と身体に密着し誰もが必要とし、なおかつ尽きることのない興味を持つものを扱う点で、また主には女性だが、あらゆる人々が対象とされていたものであったことからも雛形本といえば小袖模様の雛形を指すといっても過言ではない。雛形本は、小袖の制作の際に関わる人々、小袖を注文する客、注文を受ける呉服屋、制作を請け負う職人それぞれの間で、また小袖が作られるまでのあらゆる段階で参考にされたと推測される。
 雛形本が現れ、盛んに出版されたのは江戸時代である。雛形本の最初期の遺例は肉筆で京の呉服商で尾形光琳の生家でもある雁金屋の注文帳があるが、本論で主にとり上げた版本による雛形本は、江戸初期の寛文六年(一六六六)刊『御ひいながた』が現存する最初例であり、これ以降文化・文政ころまでの約百六十年間に約二百種が刊行され、現存のもので約百四十種もの膨大な雛形本が、出版業と染織業の中心であった京都、次いで江戸、大坂で出版され続けた。近世に入り、政治の安定と経済発展の追い風をうけた文化が、階級の別なく小袖に統一された衣服形態と、織りに代わる染め技術の飛躍的な発展と相まって、かつてない小袖模様への関心を生み、雛形本を生み出したのである。
 まず雛形本が出版された全時代を、小袖模様史に沿った三つの期間に分けた。各期間の雛形本出版数は、前期(慶安〜元禄)の五六年間に四八冊、中期(宝永〜元文)三七年間に五二冊、後期(寛保〜文政)の八九年間に四四冊であり前期から中期、寛文から始まり元禄期を頂点とした山を描く。本論では雛形本成立期から最盛期つまり前期から中期に至るまでの期間に出版された雛形本数点を取り上げ考察を加えた。当論文において参考作品として扱った雛形本は以下の、筆者が現物を見て、手元にその複写があり、論旨の発展過程と雛形本史のポイントになると思われるものである。その他の雛形本も適宜参考にあげた。
『御ひいなかた』寛文六年(一六六六)岩瀬文庫蔵
『雁金屋注文帳』寛文三年(一六六三)大阪市立美術館蔵
『四季模様諸礼絵鑑』万治三年(一六六〇)三井文庫蔵
『女諸礼集』天和三年(一六八三)天理図書館蔵
『女用訓蒙図彙』貞享四年(一六八七)天理図書館蔵
『万女集』延宝・天和(一六八一〜八六)京都府立総合資料館蔵
『小袖の姿見』天和二年(一六八二)天理図書館蔵
『西川ひなかた』享保三年(一七一八)三井文庫蔵
 当論文ではこれらの雛形本を、三つの分類に分けた。「一、実用本位のもの」「二、女訓物に派生するもの」「三、絵本的(娯楽的)なもの」である。これらの分類の一から三に至る系統は、本来実用的機能を持つものとして現れたが、出版物として、商品としての付加価値と結びついたことから、雛形本の新たな機能である絵本的(娯楽的)、また服飾雑誌的な意味合いが濃厚となる。以降、雛形本は小袖模様の見本帳でありながら、本としての魅力と斬新さを求め変化を如何につけるかとの間をせめぎあうように発展する。版本化された雛形本の一性質としての絵本的(娯楽的)な雛形本へ至る流れである。以下分類を一章から三章までに振り分けて論の展開を試みた。
 第一章では『雁金屋注文帳』と『御ひいなかた』をあげ、肉筆と版本の雛形本を比較し、雛形本の機能と性質、また雛形本を生む素地となった染色業の発展にともなう小袖需要の変化と、出版業の興隆など雛形本成立の背景について見た。版本の雛形本成立時は商品としての価値が定まらない段階であり、未知の部分を模索する試みが為され、様々の様式が生まれた時であった。この成立時に当時出版物で活躍し始めた浮世絵師達と雛形本が結びつく。雛形本は売れることが肝心の版本となる時点で、先の実用本位だけでは無くなり、消費者の目を楽しませ、より魅力的となるべく変化を遂げる。最初期例の『御ひいながた』は絵師の名は不明だが、流行作家の浅井了意を序跋者に登用し売れ筋を狙う作りである。その意匠も実際に、小袖模様とするために描かれたというよりも、見て楽しい娯楽的な要素を多分に含んだ作りである。雛形本は模様見本帳としての機能は保ちつつ、より娯楽性を押し進めてゆく。
 第二章では『四季模様諸礼絵鑑』『女諸礼集』をあげ、版本として登場した雛形本はこれらに派生するという従来の研究による提言を前提に、衣桁形式という小袖図の提示法と小袖模様の変化との関連を中心に、雛形本編集形式の確立について論を進めた。女訓物という実用書の挿絵的存在であった雛形本は、本を彩り楽しませる部分でもあったが、雛形本の興隆に伴い付随する雛形本部分は独立する。衣桁形式に関しては、小袖模様を見る環境として、日常的光景であった衣桁に小袖を打ち掛けた状態とが不可分であり、一連の「誰ヶ袖屏風」などの絵画的分野との関連も指摘された。やがて意匠見本部分のみが独立し実用的な模様見本の機能を融合しつつ、また有機的で絵画的な小袖矩形から幾何学的定型の小袖矩形へと変化し、衣桁自体も定型化から消滅するなど、雛形本としての定形が形作られるという経過も辿れるものであった。
 第三章では『万女集』『小袖の姿見』『正徳ひな形』などの姿絵形式と呼べる一連の雛形本をあげた。これは挿絵や絵本を得意とした浮世絵師の手になるもので、風俗画と雛形本が融合した感のあるものである。雛形本はその主たる受容者の女性達が求めた機能として雛形本を眺め、いつか誂えたいと思いつつ、描かれた小袖を纏う自分を想像し、姿絵で描かれた人物を依代としてやつす行為自体を楽しんだ思われる。姿絵形式の雛形本は初期段階のみで消えゆくが、理由として専門意匠家の登場がある。これにより、雛形本は浮世絵師と結びつくことで発展した絵本的なる系譜を閉じ、挿絵を含む形式の雛形本は残るが、風俗絵本へ分化してゆく。雛形本の娯楽的機能は新たな形式のもとで展開すると思われるが、興隆時に至り定型化する雛形本の機能もさらに研究する余地があると思われる。
 雛形本は長年に渡り人々の手にあり、様々に使用され、その頻度の高さを窺わせることにもなるが、完本や美本は非常に少ない。また、上下など組になるものが散逸したり、違う本を綴じ併せたり、刊記や奥付、題簽などその本の自出が明らかでない本など、様々な形で未だ眠っているものが多い。また、海外にあるものなど更なる調査の必要性がある。雛形本は描かれた模様や加工法の変遷を整理することで、刊年が明示されるものは、小袖模様様式の大系化の大凡の年代を割り出す為に、有効な資料である。しかし刊年が定かでないものを模様の様式で推定することは時に困難な作業であり、大系をさらに緻密にする作業は終わらない。雛形本は有効な染織資料としてだけでなく衣裳は人に最も近い環境として文化や社会が投影されたものでもあり、雛形本にはそれらが集約され表されているものでもある。雛形本を通じ知り得るものは非常に興味深い。今後更なる研究の余地をのこしつつ結びとする。

    大学院 芸術学    


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