川辻 七瀬
卒業論文要旨 ラファエロの「システィーナ礼拝堂のタピスリー連作のためのカルトン」について

 盛期ルネサンスを代表する画家であるラファエロ・サンツィオ(1483-1520)は、長くはない生涯の中で多くの優れた作品を世に送りだした。本論で取り扱う、「システィーナ礼拝堂のタピスリー連作のためのカルトン」もその代表作のひとつに数えられる。

 カルトンとは、イタリア語のcartoneという言葉から派生した用語で、完成作の前段階にあたる最終的な下絵を意味する。ファサード装飾からフレスコ画、油彩画、モザイク、そしてタピスリー、さらにステンドグラスに至るまで、様々なジャンルにおいて制作者の道標として幅広く用いられた。15世紀後半からは、それ以前にもましてカルトンは工房での絵画制作にとって必要不可欠な役割を担うようになった。タピスリーは一般に、経糸に麻や木綿のような丈夫な糸を使い、横糸にさまざまな色に染められた毛色を使って緞織りされた壁掛けの総称である。タピスリーは簡単に巻き込んで持ち運べるというモバイル壁画であり、かつ意に応じて掛け替えが可能であるという利点から、中世の教会建築から世俗建築まで次第に普及していった。様々な主題の情景が色鮮やかに織り上げられるタピスリーでは、紙面全体が彩色されたカルトンが用いられるのが特徴である。

 通常カルトンは、完成品であるタピスリーを織る上での只の付属品とみなされ、時に工房や職工を変えながら繰り返し使用されることから破損を被り、必然的に消却されていった。だが、ラファエロのカルトンはオリジナル以外に幾つものタピスリーを織る際に使用された後も、多くの変転と幸運を経ながら7点が現存している。そして現在では、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館内に専用に設けられたラファエロ・ギャラリーにおいて、ひとつの独立した芸術作品として展示され、評価されているという事実に興味を惹かれた。このことが、私が本作を卒業論文のテーマに選んだ理由である。

 本論の目的は、一連のカルトンがラファエロの作品の中でもどのような点で優れており、何をもって評価されてきたのかを再確認することである。構図や色彩、主要人物の動作という種々の要素がどのように組み合わされ、どのような特徴がカルトンには見受けられるのかを探った。そこで、タピスリー連作のためのカルトン制作をレオ10世がラファエロに要請した16世紀はじめにまで遡り、もともとの配置場所であったシスティーナ礼拝堂というコンテクストに当てはめて考察することを、論を展開させる上での出発点とした。

 全体の構成は3章に分け、第1章は「タピスリーはいかに成立し、飾られたか」を論じた。タピスリー連作は1515年にレオ10世から重要な儀式の際にシスティーナ礼拝堂の側壁下部を装飾するためにラファエロに依頼され、現在ヴァティカン絵画館に所蔵されている。タピスリー連作の主題はペテロ伝からの《奇跡の漁り》、《ペテロに天国の鍵を授けるキリスト》、《不具の男の快癒》、《アナニアの懲罰》の4点、そしてパウロ伝からの《聖ステファノの石打ち》、《パウロの回心》、《エリマスの失明》、《ルステラの犠牲》、《牢獄の聖パウロ》、《アテネでのパウロの説教》の6点であり、合わせて10点で全体を構成している。タピスリーの制作は1517年にブリュッセルのピーテル・ファン・アールストの工房で始まり、1521年末までに10点すべてが注文主のレオ10世のもとに届けられた。

 第1節の作品の成立背景では、1515年以前の礼拝堂内部の装飾を2期に分けて辿った。次に第2節ではその後のほとんどの研究者から賛同されている、ジョン・シェアマン氏による「タピスリー連作の再構成」をもとに、10点のタピスリーが本来どのように礼拝堂内に配置されていたのかを独自に作図した。その結果、各タピスリーが割り当てられた壁面に応じて大きさや主題が相関関係を持つよう配慮されていたことが判明した。

 第2章「タピスリーのためのカルトン」ではまず第1節でカルトンの定義を述べ、第2節では1965年から1966年にかけて行われた際の本格的な調査に基つく、素材やメディウム、および顔料の組成構造についてのデータを記述した。第3節ではそれぞれの主題について説明した。

 第3章「《奇跡の漁り》・《ペテロに天国の鍵を授けるキリスト》の作品分析」では、ラファエロと彼の弟子たちによって制作された7点のカルトンの中から《奇跡の漁り》と《ペテロに天国の鍵を授けるキリスト》の2作品に焦点を当て、それぞれの作品分析を行った。

 なぜこの2作品を取り上げたのか。それは、両者の主題のもつ神学的見地からの重要性と、先の研究者たちによって提唱されているように、そのほかのカルトンと比べ、明快で安定感のある構図や、背景の風景表現に心を砕いている、という点で質的に優れているからである。さらに最も重要な理由は、この2点のタピスリーには、与えられた壁面に対して、作品の相互間に有機的な関係が生じるように意図した、ラファエロの綿密な構想が認められるからである。この構想は、カルトンと左右が逆になるタピスリーにおいてより明確に示される。

 《奇跡の漁り》では宗教上の教義に習って、本来は説教し祝福するキリストの右手がカルトンでは左手で表現されているが、それは図案がカルトンからタピスリーへと移し変えられるときに、左右が反転するという前提を、ラファエロが充分に理解していたことを証明している。《奇跡の漁り》と《ペテロに天国の鍵を授けるキリスト》において両場面をつなぐ物語の時間的、空間的連続性を支えているのは、背景の丘陵および舟の描写と、カルトンにおいて画面右上から差し込む光である。これをタピスリーに置き換えたならば、光は左側から差し込むことになる。実際にタピスリーが掛けられた礼拝堂内での位置関係は、《奇跡の漁り》が祭壇の右側、《ペテロに天国の鍵を授けるキリスト》が右側の側壁の、最も祭壇よりの場所にある。そして実際に1536年までは、祭壇と側壁上部の上方に窓が存在していた。織り上げられた画面の中の光と、窓から差し込む現実の光が重なり、結び合わされて登場人物たちを際立たせたのだ。

 ラファエロが図案を手がけたタピスリーが配置されたのは、それ以前の名だたる芸術家たちの作品で装飾された礼拝堂であった。ラファエロは、ミケランジェロ(1475-1564)の人物像のモデリングやダイナミックな画面構成と近年行われた天井画の洗浄によって明らかとなったその鮮烈で生き生きとした色彩から、多くの霊感を受けていた。例を挙げるならば、《奇跡の漁り》の主要人物のポーズや、天井画からの一場面である《光と闇の創造》からの創造主の動作を反芻する、《ペテロに天国の鍵を授けるキリスト》の両腕を広げたキリストの身振りに現れている。ラファエロが彼の芸術を最も意識していたことは間違いない。そしてミケランジェロから深い影響を受けつつも、いかに彼自身の作品を場に適合させ、独自性と自律性をもたせるかについて熟慮していたことだろう。

 本論において考察を進めた結果、カルトンが先例の優れた造形的要素を取り入れながら、完成したタピスリーが掛けられた時の効果まで考慮した巧妙な構想を持っているという点が、大きな特徴であるということが明らかとなった。また後世に与えた影響にも特筆すべきものがある。カルトンの各場面のイメージは16世紀の基準作として、銅版画、木版画、マヨリカ等のメディアを通じて広く流通し、後世の画家や職人はこれを規範として模倣し、複製した。このことからも、カルトンがいかに多義的でありまた高く評価されてきたのかを伺い知ることができる。


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