芸術学 Aesthetics & Art History
柏尾 沙織
卒業論文要旨
刀装具における文学的意匠
─加賀の白銀師 水野源六家の「 雛形木製見本」を中心に─

 無駄や遊びは時として、味気のない人生に華をそえる。古来より人々は、身のまわりの調度品や着衣に、さまざまな装飾を施してきた。単に実用性や機能性に優れているだけでは満足しないその探究心こそ、私たちが人間たる証なのではないだろうか。そしてそれらは人間社会のなかで、自己の充足と他者への示威という、用途に優るとも劣らぬ役割を担っている。今回とりあげる文学的意匠(文学をモチーフとしたデザイン)は、人々の文学への想いを満たし、かつその人物の教養やセンスをしめす役目を持っている。とくに印刷技術や教育制度が整っていない時代には、文学や文字そのものが極限られた人々のものであった。そのため文学的意匠は、裕福な人々におけるある種のステイタスだったのである。本稿では、この文学的意匠がどんな時に、どんな場所に現れるのかについての考察を行いたいと思う。

 この論を進めるにあたり、軸として扱ったのが、金沢美術工芸大学が所蔵する「雛形木製見本」である。これは加賀の白銀師(金工師)水野源六家に伝わる刀装具の原寸大見本で、総数1000点余を数える。このような刀装具の原寸大見本が残っているのはきわめて珍しく、これは金沢が戦禍を免れたためだと思われる。刀装具の製作過程を知ることのできる貴重な資料であるとともに、この「雛形木製見本」が水野源六家における実作品の欠を補う上で、重要な手掛かりとなるのは間違いない。

 本稿では刀装具など男性の用いるものを「男物」、対して手箱やかんざし、装飾的な小袖や打掛など女性の用いるものを「女物」として位置付け、ここからそれぞれに好まれた文学的意匠の特徴や性格を探っていきたいと思う。「雛形木製見本」にみられるような刀装具は、武具(刀)を装飾するという意味合いを持ち、「男物」のなかでも際立った存在である。それは敵対した相手から女性や子供、田畑を守るという、なにより強い男の象徴でもあるからだ。しかし「雛形木製見本」が作られた江戸時代は、戦乱の時期とは遠くかけ離れた平和な時代だと言われている。矛盾しているようだが、だからこそ象徴としての武具(刀)の意味合いが強調されてゆくのではないだろうか。その意味で「雛形木製見本」は、「男物」の意匠をみるのにとても適していると考えた。

第一章水野源六家の「雛形木製見本」について

 「雛形木製見本」をつくった水野源六家とは、今では知る人もごくわずかだが、かつては金沢の地で刀装金工を専門として活躍した白銀師の家柄である。初代源六好房が三代藩主前田利常の御用を受けたのに始まり、幕末の八代を数えるまで代々が歴代藩主に仕え、明治以降は十代源六光昌まで続いている。第一節では、主に明治時代に八代源六光春によって記された『職工由緒』(金沢市立図書館所蔵)の記述を辿りながら、水野源六家についての解説を行った。

 また、水野源六家とゆかりの深い刀装金工界の中枢である後藤家の人々や、加賀藩御細工所との関係なども交えながら進めていった。

 第二節は主に「雛形木製見本」についての概要を述べた。その他、本学所蔵の水野家資料などについても触れている。

第二章「雛形木製見本」における意匠の分析

 第一節ではまず、刀装の流れについて簡単に述べていった。鐔・縁頭・三所物(小柄・笄・目貫)などをともなう打刀拵という形式が整うまでの流れと、一般的な刀装具の画題等について触れた。

 第二節では約1000点にも及ぶ「雛形木製見本」のうち、主に縁頭(柄の両端を覆う金具)における意匠調査を行い、分析の結果を述べた。一般的に加賀の刀装具は、様々な花鳥草虫・動物・人物・風景・屏風・掛軸・扇子・簾・宝尽しなどの器物から幾何学文様まで、非常に多彩な文様が描かれると言われているが、「雛形木製見本」の調査結果はこのことを裏付けるような興味深い結果となった。

第三章文学的意匠についての考察

 ここでは前述した結果をもとに「男物」、「女物」にみられる文学的意匠の違いなどについて考察していく。ただ、ひとくちに文学的意匠といっても詩歌や物語、戯曲など様々な素材がある。また対象となる文学が、一つとは言い切れない場合や、文学との関係性が明確でない場合もある。たとえば一般的に「安宅」、「安宅の関」と呼ばれる画題は、『義経記』をはじめ、謡曲『安宅』、歌舞伎の『勧進帳』などにみられる一場面を意匠化したものであり、このような人気のある話は幾度となく姿をかえて登場する。また「春日野」などの画題は、一見風景描写とも取れるが、「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき」などにみられる歌の影響が大きいと言われている。ただ具体的な文字を配す場合を除いては、特定の文学との関係を示すものではない。このように文学的意匠とは、作品と対象の関係が流動的で、曖昧な場合が往々にしてある。

 第一節では「雛形木製見本」にみられた文学的意匠について述べた。その時々で柔軟な対応をしながら、先行する研究に従って考えた。ここでは文学的意匠が、江戸時代の装飾のなかに着実に根付いているのを垣間見るとともに、文学というイメージを媒体としたモチーフが、文様として定着することを改めて認識する。

 第二節では「雛形木製見本」に見受けられた文学的意匠が、「女物」の意匠のなかでどのように展開しているかを考察し、そこから刀装具意匠としての性格や特徴を探った。私見であるが「武蔵野」や「鉢木」のように武士に好まれそうな画題も、「女物」の意匠にあらわれており、特別刀装具らしい意匠というのは見受けられなかったように思う。たとえば謡曲『石橋』に登場する勇ましい獅子が、「女物」では優雅なイメージを持つ扇獅子になるなど、多少の変化はあるものの、少なくともこれまで扱った画題は、「男物」と「女物」に共通してあらわれており、残念ながら目覚しい成果はみられなかった。ただ「雛形木製見本」の図様は、文学的意匠と分かる最小限のモチーフで構成されており、そのため一貫して常套的な表現に終わることが多かった。それに比べると「女物」の意匠の方が、遥かに豊かな展開を結んでいる。特に装飾的な小袖や打掛などの着衣においては、文学をあらわす景物にも趣向が凝らされ、多くの個性的な意匠をみることができた。そして女性達が着衣に対して格別のこだわりを持ち、自由な着想を楽しんでいる様子を窺い知ることができた。

 ただ「雛形木製見本」は、たしかに刀装具の一端をなしてはいるが、時代や流派、地域などを考慮すると、ある特定の性格を持っている可能性がある。おそらく加賀という地方都市の好尚もあるだろうし、水野源六家の得意とした図様などもあるだろう。このようなことを踏まえると、一概に結論づけることはできない。

また「雛形木製見本」にみられなかった文学的意匠、たとえば『平家物語』や『太平記』などの軍記物に題材をとったものなども刀装具意匠としては少なくない。このような画題が「女物」の意匠においてどのように展開するかは、本稿では触れてこなかった。まだまだ未開拓の分野であり、今後の研究に期待したい。



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