芸術学 Aesthetics & Art History
三谷 舞子
卒業論文要旨
ルーベンス模「エウロペの略奪」について
―ルーベンスによるティツィアーノの模写―

 17世紀フランドルの画家、ペーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens1577−1640)について、彼がどのような模写を制作したか、という点から考えてみたいと思い、このテーマを選んだ。というのも、模写の、ある作品を選び、それを写すという能動的な行為の中に、あるいは、模写の対象である作品と模写との比較の中に、ルーベンスの特徴が見て取れるのではないだろうかと考えるからである。なお、本文では、ルーベンスの特徴的な描写あるいは模写に対する姿勢を探るという指針のもと、依頼されて制作した模写や、弟子に作らせた自らの作品の複製版画などは、取り上げず、原則として、ルーベンスが個人的に自らおこなった模写について、検討していく。

 ルーベンスは、同時代のフランドルの画家や、イタリアルネッサンスの画家など、幅広く、たくさんの模写を行った。なかでも、彼が特別に関心を持った画家は、ティツィアーノであった。それは、彼の遺産目録の中に、ティツィアーノ作品や自ら制作したティツィアーノの模写が数多く含まれていたことからもわかる。それらは、オリジナルに対する忠実さの度合いに意識的な差異を設けられているが、ルーベンスが、1628年にティツィアーノの作品から模写した「エウロペの略奪」は、オリジナルと一見変わらず、構図やモチーフの細部、筆致に至るまで、写し取られていて、模写のなかで最も忠実な部類に属している。そのために、この模写作品とオリジナル作品の比較は、ルーベンスとティツィアーノの作風の違い、ルーベンスの模写制作における個人的意識を明らかにできる好例といえるだろう。

 第一章では、第一節として、模写の対象となったティツィアーノの作品「エウロペの略奪」に触れる。この作品は、ティツィアーノが1553年頃から62年にかけてフェリペ二世の私室のために制作し、彼自ら「ポエジア」と呼んだ六点の異教的神話画の中の一点である。この連作は、フェリペ二世の好みに合わせて甘美な主題が選ばれ、女性の官能的な裸体を様々な角度から描く事を意図した。また、どの作品においても、従来の表現に改変が加えられ、ティツィアーノ独自の表現が試みられている。「エウロペの略奪」は、フェニキアの王女エウロペを見初めたユピテルが、白い牡牛に変身して、牛の群れに混じり、シドンの海辺で侍女たちと遊んでいた王女を背に海を渡る、という恋物語を主題としている。ティツィアーノのこの作品では、エウロペは、左足を伸ばし、右足を曲げて、今にも滑り落ちそうな様子である。牡牛と背中合わせで、仰向けに横たわっている。先行図像では、エウロペは、ほとんどの場合、牡牛の背中に跨るか、両足を揃えて横向きに座るかのどちらかにある。よって、ティツィアーノのそれは、極めて特異と言え、その源泉がどこにあるかが問題となっている。いずれにしても、エウロペの不安定なポーズは、略奪という荒々しい主題を効果的に表現し、ティツィアーノによる的確な選択であったといえるだろう。

 ルーベンスが1628年に、スペイン宮廷に派遣されたとき、「ポエジア」は、宮廷のフェリペ四世の夏の居室のひとつに一同に集められていて、ルーベンスは、直接その居室においてこれらの作品を観察することができたようである。第二節では、ルーベンスの模写作品の「エウロペの略奪」を観察する。ここでは、オリジナルに徹底して忠実な筆を再確認するとともに、それだけに無視できない相違点を検討する。ティツィアーノの作品における、絵の具とワニスの変色を考慮しても、模写では、空の色彩が明らかに変更されているのがわかる。ティツィアーノの作品では、空は真っ赤に染められて、遠方の山々にまでその色が映っている。一方、ルーベンスの模写では、明るい水色の空に卵色の光が差していて、たなびく雲が桃色に染められている。このことで、画面全体の色合いが一変し、晩年のティツィアーノが好んだ赤褐色の画面が、模写では、見当たらなくなり、青灰色の画面が姿を見せる。もし、前者が日没の空を意図し、後者は朝焼けの空を意図していると言えるのならば、この色彩の変更には、場面の時を移すという意味が加えられるだろう。次に、ハイライト部分の白に注目したい。不透明に厚塗りされる白こそ、筆触や動勢による生動感に溢れたティツィアーノの技法に欠かざる要素であり、彼の「エウロペの略奪」においても、その白い光が要所要所に散りばめられている。だがルーベンスは、筆致まで写し取る意気込みを見せながら、このハイライトの白においては、原画に忠実ではない。濃厚な白のハイライト部分は、ルーベンスの模写において、さらに局地的になっていて、中間調子への移行部分はより滑らかに塗られている。ここに、絵の具の厚さの微妙な調節、あるいは伸びやかなタッチと置くようなタッチの組み合わせを駆使する、ルーベンスの手腕が覗える。

 第二章では、第一節として、ルーベンスによる、他のティツィアーノ作品の模写を見ていく。ルーベンスとティツィアーノの作品との関わりは、1600年頃からすでに始まっていて、コルネーリス・コールトやアゴスティーノ・カラッチ、ヤコブ・コーベルトらが制作したティツィアーノ作品の複製銅版画から、インクによる模写をおこなっている。そこに認められるのは、非常に注意深く写し取られている線描であり、また、モチーフの微妙な変奏である。その時以来ルーベンスは、その画歴を通してティツィアーノに関心を持ち続け、度々その模写を手かげたが、彼の、ティツィアーノ作品に対する特別な専心は、1628年のスペイン宮廷滞在を機に始まった。模写「エウロペの略奪」と同じく、この時期の模写のひとつである、ティツィアーノ作「アンドロス島の人々」の模写では、随所でモチーフの変更が見られる。しかしそれは、気まぐれな変更では決してなく、画面の中で首尾一貫し、原作とは別の典拠が指摘できるのである。ここでは、古典に造詣が深かったルーベンスの、独自の主題解釈が、模写の場を用いておこなわれている。ティツィアーノによって今までにない構成で描かれた神話画が、好んでルーベンスの模写の対象に選ばれたことにも、ルーベンスの関心が古典の表現方法の追及にあったと考えると、納得がいくのである。

 ティツィアーノ作品の模写は、ルーベンスの作品にどのような影響を及ぼしただろうか。第二章第二節では、まず図像的な影響に触れ、その後に技法的な影響について述べる。私は、ルーベンスの技法の変化に注目したい。ルーベンスは、模写するにあたって、原作とほぼ同サイズの大きなカンヴァスいっぱいに、一筆一筆丁寧に写している。これは、ティツィアーノの技法を習得せんとする試みととって問題ないのではないだろうか。淡い肌色のグラッシによって、構成されているティツィアーノの皮膚の表現は、ルーベンスによる模写の中で再現され、ルーベンスの作品「戦争と平和の寓意」〈1629−30年〉に継承されている。その後のルーベンスの作品に見られる、こすりつけるようなタッチや、わずかな筆で対象を捉える簡潔なデッサンの展開は、ティツィアーノ作品の真摯な模写を土台としているのである。



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