熊谷 良樹

卒業論文要旨

安部公房の写真について

 小説家安部公房(1924-1993)については、現在、新潮社から『安部公房全集』(全30巻)が刊行されており、その装丁には公房の写真が多く用いられている。公房の写真好きは当時から有名であったのだが、小説『箱男』の中では公房自身が撮影した写真が8枚挿頁されるという形で初めて写真を発表しているし、それ以降、公房は自らの写真を幾つかの形で発表している。近年、公房の写真に対する再評価の声は、1996(平成8)年にニューヨーク、そして東京でも行なわれた世界初の安部公房写真展『Kobo Abe as Photographer』として現われている。また、上記したように現在刊行中の『安部公房全集』において、公房の写真が多く用いられているのも、公房の作品世界の中でも写真が重要な要素であるという再評価の現われと言えるであろう。本論では、公房の写真について考察をしていき、写真が公房にとってどのように捉えられており、公房の作品世界の中で写真がどのように位置づけられているのかを考えていった。

 第1章では、公房の写真活動の中でも、重要な3つの仕事を取り上げて紹介していった。第1節では、公房にとっての最初の写真発表となった『箱男』を取り上げた。『箱男』の中では、小説部分の合間に2ヵ所に分けて、8枚の写真がそれぞれ写真の下に詩を付される形で挿頁されている。筆者は、公房が小説の中に写真を取り入れる際に、二つのトリックを仕掛けていることを指摘する。それはすなわち、写真に付されている詩、そして写真の周りを黒く縁取っていることの二つである。この二つのトリックによって、公房は小説と写真のあいだにあるギャップを埋め、また架空の世界を読者にアクチュアルに感じさせている。第2節では、公房の都市観、芸術観を対談集という形でまとめた『都市への回路』の中で、一定の間隔で挿入されている30枚の写真を取り上げた。ここで問題にしているのは、写真に添えられているタイトルについてである。ここでのタイトルは、『箱男』で写真に付された詩とは本質的に異なっており、写真に対して公房の主観的なイメージを与える結果になってしまっているように思う。それは写真に一定の意味を持たせてしまい、自由に写真を読むことを妨げてしまうことになっている。ここではタイトルが写真と本文部分との間に有効に機能していない。第3節では、『芸術新潮』において2年間(1980-1981)連載されたシリーズで、公房が撮った写真に、公房自ら書き下ろしたエッセイを組み合わせて構成された「都市を盗る」シリーズを取り上げた。このシリーズは、月刊誌上での連載という毎回完結した形であるためか、モチーフも多様で、それまでのように街角のスナップショットだけでなく、取材写真や資料写真的なものも見られる。このシリーズは、公房にとってカメラがペンと同様に使い慣れた道具であって、それを示すかのように写真を中心にして展開したシリーズであると言えるだろう。

 第2章では、公房の写真に見られる画像的、モチーフ的な特徴を考察していった。第1節では、その撮影・現像技法的な部分から、なぜそのような技法を用いたか、そしてまた、その必然性について考察していった。公房の写真のほとんどはモノクロ写真で、公房はそれらを自宅の暗室で現像、プリントしていた。公房は現像する際に、増感現像という技法を使ってフィルムを現像していたのだが、これが公房の写真の中でも非常に重要な要素であると考えた。増感現像の必要性の一つには、公房の撮影方法の中から必然的に生じている部分もある。それはつまり、公房のスナップショットのほとんどはノーファインダーで撮影されたものであり、ノーファインダーである故に、パンフォーカスという撮影技法を用いることでピントを確保していた。そのためフィルムに充分露光することができないという状況を生み、必然的に増感現像の必要性が生まれたと考えた。

 第2節では、公房が小説やエッセイの中でも頻繁に用いており、写真でも被写体として選んでいる都市について、公房の都市観や被写体として、どのように都市を見ていたのかを考察していった。まず、公房の写真の特徴として、公房自身「犬の眼」と呼んでいるように非常に低い視点で写真を撮っていることを取り上げた。公房の視線は都市の表層を舐めるように、走査するように、即物的で、モノに対してニュートラルであった。そのような公房の写真は、福のり子が比較している写真家ロイ・ディカラヴァ(1919- )の持つ都市への眼差しとは異なっている。公房が都市に抱いていた愛着は、建築家黒川紀章がアニメ映画『アキラ』の中に見た都市観の中に非常に近い形で現われているように思う。つまり、都市が内包している廃墟性こそ、公房にとっての重要な被写体であったのではないか、と考えた。第3節では、評論的分析として、公房が写真と強く関わりだした『箱男』の構想段階、つまり1960年代末から70年代始めにかけての日本の写真史的な動きの中に、公房の写真との同時代性を考え、その中から『プロヴォーク』という写真同人誌の存在を取り上げた。『プロヴォーク』が展開した写真と写真論は、当時の写真界に大きな影響力を及ぼしており、公房がそれを認識していたということは間違いないだろう。両者の間には、異なっている部分も大きいのだが、公房との間に共通しているように思うのは、写真家中平卓馬の言った「来たるべき言葉」のための写真という認識ではないかと考えた。それは、それまでの写真に対する美術的な見方から、新しい写真の捉え方、写真しか持っていないような要素、つまり「写真とは何か」ということの追及であったのではないかと考えた。

 第3章では、公房が写真の本質的な部分に対して求めた要素を、「情報」と「複製」という二つの要素であると考えて考察をしていった。第1節では、「情報」という要素について、公房が写真の中にどのような要素を求めていたのかを考えた。その中では、パンフォーカスによって得られる偶然性の強く、「脱中心化」されてしまう情報を公房が重要視しているということ。そして、写真に求める「情報」という要素への志向の違いによって、『プロヴォーク』の写真とは異なっており、それが公房の写真に独自性を与えていると考えた。第2節では、「複製」という要素について、公房の写真は複製することを前提としている画像であるのではないか、ということを考えていった。公房が撮った写真のほとんどがモノクロ写真であるということ、公房の写真に見られる増感現像によるコントラストの高い画像という特徴は、「複製」という要素を考えた時に重要な意味を持ってくるのではないかということを指摘している。それはつまり、複製(コピー)する際にそれらの特徴は有効に働くということで、コピーをしていってもオリジナルのイメージを堅牢に保ち続けることができるという利点を持っているのではないかというものである。それは公房がオリジナルとコピーの間に境界を持っていなかったということの証左に他ならないだろう。

 公房の写真は、小説家の余技として切り捨てるわけにはいかない質を備えていることはもちろんであるが、写真家の写真に対する取り組み方とも、また異なったスタンスを持っている。写真家でなかった公房であるからこそ撮れた写真,と言うこともできるかもしれない。


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