末継 昌代

 卒業論文要旨

エチエンヌ・スーリオにおける芸術作品の存在分析


 本論文はフランスの美学者であるエチエンヌ・スーリオ(Etienne SOURIAU、1852〜1979)が『諸芸術の照応』(La Correspondance des Arts、1947年初版)において提唱した『芸術体系の図表』(Schema du Systeme des Beaux-Arts)の理解の為に、図表の基盤となっている四つの存在様相の分析を試みたものである。

 第一章では彼の経歴を紹介した。彼はやはり美学者であったポール・スーリオ(Paul SOURIAU1852-1926)の子として1892年に誕生、1979年に永眠した。エコール・ノルマル(Ecole Normale Superieure)を経て、1920年には難関と言われる哲学の教授資格(agregation)を取得、大学にて哲学の教鞭をとる。1941年にパリ大学ソルボンヌの哲学一般及び美学の教授となって以来フランス美学の指導的地位にあったのみならず、戦後は国際美学学会の会長として1972年に至るまで美学の研究と発展に尽力した。美学誌“Revue d'Esthetique”編集長も永年にわたり務めた。ミケル・デュフレンヌ(MikeI Dufrenne)ルネ・パスロン(Rene Passeron)等はソルボンヌにおける弟子達である。主著は“L'Avenir de l'esthetique ”(美学の将来1929)“La correspondance des Arts”(諸芸術の照応1947) “CIefs pour l'Esthetique”(邦訳『美学入門』1970)が挙げられる。また彼の死後、娘アンヌ(Anne SOURIAU)が編纂を引き継ぎ、出版された“Vocabulaire d'esthetique”(美学の用語集 1990)は1415頁にものぼる世界最大の美学用語辞典となっている。

 第二章では彼の提唱した芸術体系の円形図表の概略を解説した。この図表は分類表ではなくあくまでも「照応」を示したものであり、「照応」の根底を支えているのが“qualia sensibles”である。“qualia sensibles”とは芸術現象の基盤となる7種類のものであり、それに基づいて芸術が存在し多様化する。7種類の“qualia sensibles”の各々に基づいて諸芸術の外観や「フォルム」(forme)がどのようなものであるかが構造的に決定される。彼はこの“qualia sensibles”を核として円形図表を構成している。

 7種類の領域に分かれた諸芸術の各々に再現的(representatif)であるか、もしくは非再現的(non-representatif)であるかという観点から段階を設定する。再現的芸術とは模倣を最も本質的な手段としていて、現象や作品の本体そのものをもっている芸術のことである。一方、非再現芸術は現象に関する根拠、つまり“qualia sensibles”が直接組織されていて、抽象的とも音楽的とも主観的とも呼ばれる芸術のことである。円形図表の構造からも解るように再現芸術の作品は非再現芸術の要素を含むことになる。このように、非再現芸術と再現芸術は各々のqualia sensiblesに基づいて、相互に照応し合いながら7種類の対を造っている。

 第三章では円形図表において核となるqualiasensiblesの解説及びそれを理解するために必要な四つの存在様相(modes d'existence)の分析を行った。まずqualiaとはラテン語の形容詞“qualis”の複数中性形を名詞的に使用したもので、E・スーリオによって美学の領域に持ち込まれた。それは純粋な本質であり、類別を示す絶対的な特質であると定義し、qualiaが各々の芸術に基盤と様々な段階を与え、その構造を決定し、円形図表の中で諸芸術を秩序づけている。更に芸術の存在様相を四つに亘って分析した。

 一つめは物理的存在である。すなわち、作品はフレーム、カンバス、顔料等の質的物体であり、このような物体なしに芸術作品は存在し得ない、という主旨である。芸術作品はかたちがあって成立もので、かような物体性と共に作品は存在し始めるのであり、その存在は肯定的なものとなり現実感をもつのである。

 二つめは現象的存在である。彼によると、あらゆる芸術作品には存在規定があり、それは現象的なもので、特に感覚の外観に関与している。彫刻で言えば凹凸や奥行き、三次元での形態を有するということである。現象すなわち感覚的外観の次元はあらゆる芸術作品において基本的な要素となる。また彼は現象を認知する感覚の複合性に着目している。絵画を例にすると、色彩には何らかの形態を持っているし、光の違いや、顔料ののせ方を想起させる筆触すら同時に感受してしまう。このように芸術に用いる感覚データは行為の純粋化には決して至らず、qualiaの作用を実際的に分離することもできない。qualiaの作用は常に組織され、限定された体系なのである。

 三つめは事物あるいは事象的存在である。ニコラ・プッサンの“アルカディアの牧人達”にしても不死の国アルカディアなど実在する訳はなく恐らくイタリアの一地方の風景を模したのであろうがやはり画中ではアルカディアである。芸術に限定していえば、この架空こそ重要なものなのである。歴史的場面や、どこともつかない地理条件が見せる風景はそれらを簡素化し修整、再構成する芸術家次第なのである。時代錯誤や地理的な置き換えは作品の美的本質に関わることであり、望まれた末のことなのである。現実を想起させる表現を採るのも、現実の外観と全く異なる方法で表現するのも芸術家の能力に依るのである。四つめは超越的存在である。これまで芸術の事物的、現象的側面を説いてきたが、この章においてはそれに付与する精神性、あるいは事物の超越性を考察している。つまり、教会にみるような神秘的ですらある畏敬の輝きが重要なのである。崇高とも神秘とも言える幻想は常に最終的なものであり、この幻想とは、芸術へと向かう美的本質の実際的手段として了解を得た上で望まれたもの、そして探し求められてきたものなのである。

芸術体系の図表

qualit sensible
 1,線 2,ヴォリユーム 3,色彩
 4,光 5,運動 6,文節音 7,楽音

1,アラベスク―デッサン
2,建築―彫刻
3,純粋絵画―再現的絵画
4,照明・光の投影―淡彩画・写真/映画
5,舞踊―パントマイム
6,純粋損律―文学・詩
7,音楽―劇音楽あるいは描写音楽

     芸術学     


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