国際的芸術家滞在制作事業(アーティストインレジデンス)アルベルトがルッティ
国際的芸術家滞在制作事業実行委員会(金沢美術工芸大学、金沢21世紀美術館建設事務局)
〒920-8656 石川県金沢市小立野5丁目11番1号 金沢美術工芸大学内
TEL:076-262-3531 FAX:076-262-6594
URL:http://www.kanazawa-bidai.ac.jp


 国際的芸術家滞在制作事業・アーティスト・イン・レジデンスとは、毎年1名の国際的に知られた芸術家を招聘し、金沢市内で滞在制作を行ってもらうというものです。本事業はそれに参加した学生が国際的芸術感性を養い、芸術教育効果を上げることを目的に開催されています。本年度は、多くの国際展覧会への参加実績があり、イタリアのミラノにある美術大学での教育経験が豊富なアルベルト・ガルッティ氏を招聘しました。氏は歴史のある街に住む人々の記憶を呼び起こすようなプロジェクト型の作品をこれまでにも手がけており、金沢においても市民や学生を巻き込み、人々のコミュニケーションを促進するような作品の計画を練ってきました。社会や日常生活の中へ入って作品を創造する新しいタイプの作家です。



 Alberto Garutti(アルベルト・ガルッティ)1948年生まれ。1970年代の中頃から作品を発表。ここ数年は特に「人々が住む場所」「存在する場所」に関連したテーマで、生活の中の現実とアートとの間のより親密な関係を模索している。現在ミラノ在住。ブレラ国立美術院(ミラノ)で教鞭をとる。
コッレ・ディ・ヴァル・デルサ

第7回イスタンブール・ビエンナーレ

主な個展
1980 Galleria Francoise Lambert(ミラノ)
1984 Galleria Locus Solus(ジェノヴァ)
1987 現代美術展示館(ミラノ)/ Studio Guenzani (ミラノ)/Artra Studio(ミラノ)
1988 Galerie Montenay(パリ)
1989 Studio Guenzani(ミラノ)
1990 第44回ヴェネツィア・ビエンナーレ イタリア館 
1992 Studio Marconi(ミラノ)
1993 ボローニャ市立近代美術館、Villa delle Rose(ボローニャ)
1994 ホテル・パレス 402号室(ボローニャ)
1997 パラッツォ・コルダーティ(ルッカ)/ファブリカ劇場プロジェクト(ペッチョリ)
1999 コンツィリアツィオーネ通り(ローマ)でのパブリック・アート

主なグループ展
1979 「ヨーロッパ‘79」展(シュツットガルト)
1984 「新しい議論」展、現代美術展示館(ミラノ)
1986 「プロスペクト‘86」展、(フランクフルト)
1993 「印とドゥローイング」展、Galleria Analix(ジュネーブ)
1998 「フォーリ・ウーゾ(“使用不可”)」展(ペスカーラ)
1999 「セレンディピティ(“掘り出し物”)」展(ワトー)
2000 「オーヴァー・ジ・エッジズ(“境界を越えて”)」展、S.M.A.K.(ゲント)
     「アルテ・ア・ラルテ(“アートの中のアート”)」展(コッレ・ディ・ヴァル・デルサ)=写真上
2001 「ウナ・モストラ・ベリッシマ(“とても美しい展覧会”)」展(ベルガモ)
     第7回イスタンブール・ビエンナーレ=写真下(ボスポラス橋でのインスタレーション)




ファブリカ劇場プロジェクト(ペッチョリ) 
 1997年 イタリア・トスカーナ地方の小さな町、ペッチョリで実行したプロジェクトである。ガルッティは町を何度か訪れ、地元の人々と交流をとりつつ場所を探すことから始めた。彼にとって場所の選択基準は、「集団的倫理価値(value of collective ethic)が現れているようなところ」であった。最終的に彼は、昔ダンスホールとして若者でにぎわっていたファブリカ劇場と呼ばれる建物を選んだ。ここは当時、建築家を呼ばず住民だけの力で作り上げ、地域のシンボルとして機能していたがここ30年間は教会が所有し、外観もかなり朽ちていた。ガルッティは地元のお年寄りらに劇場が昔どのような外観をしていたかを詳しく聞き、その姿に近くなるようファサードの修復を行った。古いしっくいをはぎとり、壁や窓枠を修復し、窓には当時のように赤・緑・白の色ガラスをはめていった。住民の記憶をもとにを再現されたファブリカ劇場の前の地面に、ガルッティは「この作品は、この小さな劇場で恋に落ちた男の子と女の子たちに捧げる」と記している。

「オーヴァー・ジ・エッジズ(“境界を越えて”)」展、S.M.A.K.(ゲント)、2000年
 3ヶ月間にわたってゲントの町中で繰り広げられた展覧会においてガルッティは招待作家58人の中の一人として参加した。彼は、ラジオ信号によって照度が一定時間上がるような街灯を町中の広場にいくつも設置した。市内のどこかの病院で赤ちゃんが誕生し、その母親もしくは病院側の誰かが分娩室脇のボタンを押すと、通常より明るい光が広場の街灯から30秒ほど放たれるという仕掛けを試みた。広場で光が増すのと同時に病院では、分娩室のボタンのそばにある、「この瞬間に広場で街灯を見ている全ての人が一つの命が生まれたことを知るだろう」と書かれたプレートが点灯する。このプロジェクトは2001年イタリア・ベルガモのダンテ広場及び2001年第7回イスタンブール・ビエンナーレでも再び発表された。
オーヴァー・ジ・エッジズ

アルテ・ア・ラルテ(“アートの中のアート”)」展、(コッレ・ディ・ヴァル・デルサ)、2000年
 
1997年から毎年秋にイタリア・トスカーナの幾つかの町を舞台にして、一人のアーティストが一つの町で作品を発表するプロジェクトが行われている。どの作家も自分の目と足で町を確かめ、場所と作品の内容を決めている。ガルッティはコッレ・ディ・ヴァル・デルサという小さな田舎町に実際に住み、地元の人々と話をする中で、町の合唱隊がかつて練習に使っていた古い建物を選んだ。住民の多くが町のシンボルだと語ったこの建物の半ば崩れ落ちたファサードを修復することを作品としたのだ。このプロジェクトには、アーティストの役割として彼が「創造者」よりも「解釈者」「仲介者」的立場を重視している姿勢が感じられる。オープニング当日には、この町の大聖堂にて町の音楽家たちが企画した合唱コンサートが行われた。
アルテ・ア・ラルテ



※全ての版権は国際的芸術家滞在制作事業実行委員会に帰属します。