末継 昌代 卒業論文要旨 エチエンヌ・スーリオにおける芸術作品の存在分析 本論文はフランスの美学者であるエチエンヌ・スーリオ( ![]() ![]() ![]() 第一章では彼の経歴を紹介した。彼はやはり美学者であったポール・スーリオ(Paul SOURIAU1852-1926)の子として1892年に誕生、1979年に永眠した。エコール・ノルマル(Ecole Normale ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 第二章では彼の提唱した芸術体系の円形図表の概略を解説した。この図表は分類表ではなくあくまでも「照応」を示したものであり、「照応」の根底を支えているのが“qualia sensibles”である。“qualia sensibles”とは芸術現象の基盤となる7種類のものであり、それに基づいて芸術が存在し多様化する。7種類の“qualia sensibles”の各々に基づいて諸芸術の外観や「フォルム」(forme)がどのようなものであるかが構造的に決定される。彼はこの“qualia sensibles”を核として円形図表を構成している。 7種類の領域に分かれた諸芸術の各々に再現的( ![]() ![]() 第三章では円形図表において核となるqualiasensiblesの解説及びそれを理解するために必要な四つの存在様相(modes d'existence)の分析を行った。まずqualiaとはラテン語の形容詞“qualis”の複数中性形を名詞的に使用したもので、 ![]() 一つめは物理的存在である。すなわち、作品はフレーム、カンバス、顔料等の質的物体であり、このような物体なしに芸術作品は存在し得ない、という主旨である。芸術作品はかたちがあって成立もので、かような物体性と共に作品は存在し始めるのであり、その存在は肯定的なものとなり現実感をもつのである。 二つめは現象的存在である。彼によると、あらゆる芸術作品には存在規定があり、それは現象的なもので、特に感覚の外観に関与している。彫刻で言えば凹凸や奥行き、三次元での形態を有するということである。現象すなわち感覚的外観の次元はあらゆる芸術作品において基本的な要素となる。また彼は現象を認知する感覚の複合性に着目している。絵画を例にすると、色彩には何らかの形態を持っているし、光の違いや、顔料ののせ方を想起させる筆触すら同時に感受してしまう。このように芸術に用いる感覚データは行為の純粋化には決して至らず、qualiaの作用を実際的に分離することもできない。qualiaの作用は常に組織され、限定された体系なのである。 三つめは事物あるいは事象的存在である。ニコラ・プッサンの“アルカディアの牧人達”にしても不死の国アルカディアなど実在する訳はなく恐らくイタリアの一地方の風景を模したのであろうがやはり画中ではアルカディアである。芸術に限定していえば、この架空こそ重要なものなのである。歴史的場面や、どこともつかない地理条件が見せる風景はそれらを簡素化し修整、再構成する芸術家次第なのである。時代錯誤や地理的な置き換えは作品の美的本質に関わることであり、望まれた末のことなのである。現実を想起させる表現を採るのも、現実の外観と全く異なる方法で表現するのも芸術家の能力に依るのである。四つめは超越的存在である。これまで芸術の事物的、現象的側面を説いてきたが、この章においてはそれに付与する精神性、あるいは事物の超越性を考察している。つまり、教会にみるような神秘的ですらある畏敬の輝きが重要なのである。崇高とも神秘とも言える幻想は常に最終的なものであり、この幻想とは、芸術へと向かう美的本質の実際的手段として了解を得た上で望まれたもの、そして探し求められてきたものなのである。 ![]() ![]() 1,線 2,ヴォリユーム 3,色彩 4,光 5,運動 6,文節音 7,楽音 1,アラベスク―デッサン 2,建築―彫刻 3,純粋絵画―再現的絵画 4,照明・光の投影―淡彩画・写真/映画 5,舞踊―パントマイム 6,純粋損律―文学・詩 7,音楽―劇音楽あるいは描写音楽 |