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【資料紹介】高屋肖哲資料⑦ 肖哲の「悲母観音」-師の作品を超えてゆけ-(更新日2018/03/08)
2018年3月08日
【資料紹介】高屋肖哲資料⑦ 肖哲の「悲母観音」-師の作品を超えてゆけ-
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狩野芳崖「悲母観音」(東京藝術大学蔵)は日本美術の名作のひとつですが、その存在は同時代の作家や絵師たちにも多くの影響を与えました。芳崖の「悲母観音」の後に、それに準ずる「悲母観音」系の観音像が多く制作されたことは、既に多く指摘されていることです。それは、当時においても芳崖の作品が高い評価を受け、広く魅力が認められていたからであると言えるでしょう。
肖哲は生涯、師である芳崖を敬愛し続け、その「悲母観音」を詳細に写し、筆致や色彩を研究していたことは先にも述べました。肖哲は芳崖の「悲母観音」研究もさることながら、後年は自身で「悲母観音」系の観音を制作していくようになってゆきます。
本学所蔵の肖哲資料に残っている「悲母観音」(派生)(「悲母観音」と同じ要素(立像の観音像と子どもの組み合わせ)を持ち、芳崖の作品の模写ではないのものをここでは「悲母観音」(派生)という名称で呼ぶ)は5点であり、全て大正期に制作されています。描かれている紙はあまり良い紙ではなく、継貼りされているものもありますが、しっかりと主線が描き込まれており、このような「悲母観音」(派生)の観音図が実際作品として仕上げられていた可能性は十分あるでしょう。
観音-2(大正2)と観音-3(大正14)は同じ構図をとる作品です。画面のほぼ中央に正面向きの観音の立像が配され、観音は左手を胸の前にかかげ、右手には蓮を手にします。また、向かって右下には円で囲まれた子どもがおり、両手には蓮の花弁の入った盆を掲げます。この二作はほぼ同じ構図をとりながら、大正2年と大正14年と制作期が離れています。
観音-5(大正10)は、左手の持物が蓮ではなく柳の枝になっています。衣装の布が片肌脱ぎではなく両肩を覆っている点、観音が下に視線を落とし、子どもと互いの視線が交わされている点など諸所に違いは見られますが、子どもの図柄はほぼ観音-2、観音-3と同じです。こちらは、子どもの部分に薄紙が張り付けてあり修正の跡が見られます。
観音-4(大正6)、観音-115(大正元年)はどちらも観音が両手を合わせ、子どもが蓮の蕾を持つタイプの「悲母観音」(派生)です。観音-4の子どもは台座に乗り視線を観音に向けますが、観音-115の子どもは立膝のポースをとり、視線を画面の外に向けます。どちらの観音も子どもに視線を落としていますが、視線を合わせているのは観音-4だけで、観音-115では観音が子どもを見守るような趣向になっています。
観音-7(大正8)の観音は左手に蓮を持ち、右手で花弁を撒いているのが特徴です。画面向かって左下に蓮を持った子どもが正面向きで描かれ、その頭上に花弁が降り注いでいます。
以上のように肖哲の「悲母観音」(派生)にはいくつかのパターンが認められます。芳崖が「悲母観音」で描いた観音と子どもの関係性を尊重しながら、肖哲自身の「悲母観音」を描き出そうとさまざまな意匠が試みられているのがわかります。また、蓮舟観音やほかの観音像で描かれているように、肖哲の仏教図像にとって蓮や蓮の花びらは重要なモチーフでした。「悲母観音」(派生)でもその蓮が要所に取り入れられ、効果的に使用されています。
肖哲の「悲母観音」(派生)のバリエーションは上記の下図以外にも、雑巻-3(大正8-9)に見ることができます。雑巻とは横長の紙を上下二分し更にそれを縦に細かく割って、そのコマにさまざまな画題の構図や構想を書き留めたものです。雑巻-3には10図の「悲母観音」(派生)の構想が認められます。
このなかでも、観音と子どもの様々な関係性が試みられていますが、観音が花を降らせるもの、子どもが蓮舟に乗るもの、蓮の花が生えその花の中に子どもがいるものなど個性的なものが目を引きます。他の作家や絵師の「悲母観音」(派生)は芳崖作品の枠からでないものが多いですが、肖哲の作品は芳崖作品の様相を踏まえつつ、その枠から出ようとする気概が感じられます。
肖哲の「悲母観音」は、その多くが大正期に制作されています。「悲母観音」(派生)他にも多くの優れた作品を生みだしている時期であり、大正期はいままでの研鑽が花ひらき肖哲の実力が存分にふるわれた時期と言えるでしょう。
(美術工芸研究所 非常勤学芸員 幸田美聡)
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【参考】
「高屋肖哲の新出一括資料調査報告書 『雑事抄録』翻刻・画稿類一覧および研究」金沢美術工芸大学美術工芸研究所 2000年
藤井由紀子「近代化のはざまに生きた画家高屋肖哲―時代から零れ落ちた一人の画家の足跡」「芸術学 学報」第7号 金沢芸術学研究会 2000年
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最終更新日 2018.03.08
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2018.3.8